第30話「令嬢の人質交渉」

「準備は万端。わたくしもドレスの上から鎧を着ましたし、多少のことなら大丈夫でしょう。さあ、練兵場の地下へ行きますよ」


 ルシオラが着ている鎧は食堂で息絶えた伯爵の兵から拝借したものだ。死者を冒涜するつもりはないが、自分たちが死者の仲間入りをするくらいであれば、多少の融通を利かせるのが辺境の倣いである。

 いや実際は知らないが、魔物討伐へ赴く父や兄がそう言っていたのでたぶんそうなのだろう。


「あたしも剣いっぱい拾ってきましたからね! これで遠距離攻撃はばっちりっすよ!」


 なんで剣を拾って遠距離攻撃の話になるのか、と一瞬首を傾げたが、そういえばシィラは例の賊の討伐の折に腰の剣をぶん投げて大木を切り倒していたのだった。

 てっきりあれは敵を動揺させるための一手としてやったものだと思っていたのだが、どうやら彼女にとって剣とは元々そういう使い方をする道具であるらしい。

 ミドラーシュ教団、というか東方教会の本部をアルゲンタリアに置いておいても本当に大丈夫かな、と父の統治が若干心配になった。


「ところで、練兵場とはどちらなのでしょう。わたくし、実家のお城でも離れからほとんど出たことがありませんから、一般的なお城の構造には疎いのです」


「え? ルーシーちゃんが知ってるんじゃないんですか? あたしも騎士団の寮と訓練場か、あと街のスラムくらいしか知らないんで、お城の構造なんてさっぱりなんですけど」


「……練兵場というくらいですし、騎士団の訓練場と似たようなものでしょう。でしたら、なんとなくでもアタリがつけられるのでは?」


「なるほどそれもそうっすね! じゃあルーシーちゃん、まずは騎士団でいう寮にあたる場所を教えてください! そこから辿りますから!」


 そうきたか、とルシオラは眉間にしわを寄せた。


「……仕方がありません。地道に探しましょう。あと通行人とかがいればその方に聞きましょう」


「わっかりました! でもお城の中に通行人っているんですかね。それ通行人っていうかもう住人なのでは……」



 ◇



 幸い、城の中を歩く通行人だか住人だか従業員だかを捕まえた二人は、その案内で練兵場へと行くことが出来た。もちろんその通行人だか住人だか従業員だかにとっては幸いでもなんでもない。口頭での説明を一向に理解しない二人によって半ば拉致される形で同行を求められてしまったからだ。


「あのう、着きましたけど……。練兵場……」


「うんありがとう。でもおかしいな、誰も居ませんよルーシーちゃん」


「誰も居ませんわね……」


 これはどういうことだろう。

 伯爵はたしかに練兵場へ来いと言ったはずだ。練兵場の地下へ来い、と。


「あ、待ち合わせ場所は地下でした。すみませんここの地下ってどうやって行ったらいいのでしょうか」


「えっ。練兵場って地下あるんですか?」


「えっ」


「えっ」



 ◇



 ルシオラとシィラのふたりは、それから何人かの被害者をキャッチしたりリリースしたりしながら城内を捜索し、ようやく伯爵の待つ地下を見つけることができた。

 この施設はどうやら使用人たちには立入禁止になっているらしく、かなりの苦労を強いられたものの、案内してもらうのではなく行ってはいけない方向を教えてもらえばいいのではということに気づいてからは捜索が進むようになった。


「……ついに見つけました。ここにノーラとトミーが……」


「いや、マジで『ついに』って感じっすよね……。大丈夫かな。ノーラさんたちもそうだけど、マリスちゃん待ちくたびれちゃってないかな」


 待ちくたびれているだけならまだしも、待ちくたびれすぎて余計なことをしていないだろうか。

 もしルシオラたちの帰りが遅いことを気にして、探しに出られでもしたら問題だ。人質救出の前に伯爵と鉢合わせでもしたらノーラたちの命が危ない。

 ルシオラたちも苦労して見つけたくらいなので急にここに現れることはないとは思うが、魔女特有の不思議なパワーで何とかしてしまう可能性もある。


「今更ですが、急ぎましょう。心配です」


「そっすね」



 地下室の扉を開けると、そこはいかにも邪教の儀式場といわんばかりの部屋だった。

 壁はすべて石材で覆われており、ところどころに天井を支える石柱が立てられている。そのせいで見通しは悪いが、中心だけは入口からよく見えるようになっていた。

 その中心にはこれも石で作られた長方形の祭壇のようなものがあり、何やら濡れているようだった。

 部屋に点在する石柱に備え付けられているランプの光が、頼りなく祭壇を照らす。

 赤い。

 濡れているのは、血であるらしかった。


「──遅かったな。いや本当に。何をしていたのだ一体……」


 祭壇の向こう側にはディプラノス伯爵が立っていた。

 地下室が薄暗いせいか、それとも祭壇を濡らす血があまりに赤黒いせいか、伯爵は先ほど見たときよりもどこかやつれて見える。あるいはルシオラたちが遅すぎたせいなのかもしれないし、片腕を失ったからかもしれない。真相は本人にしかわからない。


「……急に練兵場の地下へ来いと言われましても、わたくしたちにも準備がございますので」


「そうか……。てっきり迷子にでもなったのかと思ったぞ。もっと詳細に場所を説明しておけばよかったと後悔しはじめていたところだ」


 もっと早く気づいて欲しかった、と思いつつも、その前に後悔すべき行動はいくらでもあったのでは、とも思う。


「ディプラノス伯爵……。ノーラとトミーはどこですか」


「隣の部屋だ。あの二人には別に用はないのでな。私が用があるのは貴女たち二人だけだ。心配せずとも事が済めば解放する。貴族としての名に懸けて誓おう」


「このようなことをしておいて……今さらディプラノス家の名に、懸けるほどの価値などあるのでしょうか」


 卑怯にも食事に毒を盛り、それが効かぬとなれば人質をとってでも相手を操ろうとする。貴族にあるまじき卑劣な行為だ。


「……確かに、もはや私には……我が家には、貴族たる資格などない。しかし、それでも……」


 そうこぼした伯爵の目には、ルシオラもシィラも写ってはいないようだった。

 だとしたら、伯爵は一体何において貴族の資格を失ったというのだろうか。


「ディプラノス伯爵。なぜ、このようなことを? そして、わたくしたちに何をさせようというのですか」


「なに、特に何をしてもらおうというわけではない。そこの祭壇で寝ているだけでよい。ただ、実験台になってもらいたいだけだ。

 もうすでに……平民を使った実験には成功している。あとは、そう、貴族か、貴族に準ずる法力を持つ者を使った臨床実験だけなのだ。

 そのためには、ルシオラ嬢、貴女か、そちらの騎士の身体が必要なのだ。さあ、従者の命が惜しくば、わかっているね」


「お待ち下さい。ノーラとトミーは本当に隣の部屋で、無事でいるのですか? それを確認するまでは交渉を始めるわけにはまいりません」


「……そのような要求を出来る立場だと思っているのか?」


「そちらこそ、そんな強気で大丈夫なのですか? 今、マリス様がどちらにいらっしゃるか、ご存知なのですか?」


 マリスの名を出すと伯爵の眉間にぎゅうっと皺が寄る。

 マリスならば食堂にいるはずだが、それは伯爵にはわからないことだ。

 相手がこちらにとってしてほしくないことをちらつかせるのなら、こちらも相手がやってほしくないことをちらつかせるまでである。交渉とは綱引きのようなものであり、綱引きとはお互いが同じ力で引き合わなければ成立しない。とか父だか兄だかが言っていた気がする。姉だったかもしれない。うろ覚え。


「……魔女はここへは来ないように、という条件だったはずだが」


「人質交渉とはそもそも人質の無事が前提で成り立つものです。それを揺るがすようなことをおっしゃるのなら、こちらとしても考えざるを得ません」


 ルシオラと伯爵がしばし睨み合う。

 その隣でシィラはあくびをしていた。誰が剣を投げる合図をしてくれるのかな、とか考えながら。


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