第29話「魔女と儚い少女の願い」

 慌てての魔術を解除したところ、ベッドの令嬢はたいそう驚いた。下手をしたらそのまま昇天してしまいかねなかったほどだ。そこを何とか落ち着かせ、ようやく話ができるところまで回復させた。


「……急にお部屋に現れたので、てっきりお迎えがきたのかと思いました」


「驚いてもらえたのなら何よりだよ」


 ただでさえ死にかけている人間に止めを刺すところだったので何も何よりではないのだが、謝っても何も解決しないのでそう答えておいた。


「しかし、お迎えがきたのかと思った、と言うってことは、自分の身体の症状は理解しているようだね」


「お父様がお雇いになった新しいお医者様でしょうか。ええ。もう、自分が長くないだろうことはなんとなく……」


 マリスが見たところ、少女の生命の火はいつ消えてもおかしくない。身体中がボロボロで、生命力というものがほとんど感じられないからだ。

 その割には元気に見えるが、あくまで元気なのは考えたり話したりする部分だけで、それ以外の、例えば手足などはもう動かすことができないはずだ。痛覚や触覚も死んでいるから自覚症状も無いのだろうが、この症状が内臓まで侵蝕すれば死に至る。

 その時はそう遠くない。


 これはおそらく、少女の中の多すぎる法力が行き場を失い、身体機能を破壊しているせいだろう。マリスが幼かった頃、森の魔物に戯れに無理やり魔力を注入したときに起きた症状によく似ている。

 魔力も法力も、言ってしまえば筋力と同じでそれそのものは単なる「力」に過ぎない。

 例えば、筋肉が肉体の縛りを離れどこまでも肥大化していってしまえば、いつかはその収縮によって骨や神経を押し潰してしまうことになる。通常起こり得ないことだが、魔術や法術で筋肉だけを半永久的に強化するなどの特殊な処理を施せば有り得ない話ではない。

 それが体内の法力で起きているというだけの話だ。


 ただそれも通常は有り得ない。何の指向性も与えられていないにも拘わらず肉体を破壊してしまうほどの量の法力など普通は持っていないからだ。いたとしても、例えば貴族や王族、地方豪族など、血統を管理し煮詰めてきたような連中だけだろう。

 また仮にそうであっても、そういう血筋の者たちは先天的に法力を制御する術を持っている。そうでなければ血統を維持する前に自滅して血が絶えてしまうからだ。

 もし持っていないとすれば、それは。


「……君は、もしかして、いわゆる『無能』なのか」


「お父様からお聞きなのではないのですか? ……ええ。私の母もそうでした。だから母は私を生むときに……」


 アルジェント伯爵の末娘であるルシオラは、生まれつき法術適性を持たない無能の少女だった。

 そしてその隣領であるディプラデニアを治めるディプラノス伯爵の娘も、偶然にも同じ無能だった。 


(もっと言えば、伯爵の亡くなった奥方も無能か。となると、もしかして伯爵がルーシーちゃんに固執する理由はこの辺にある、のかな。例えば無能フェチだとか。いやそれは冗談だとしても)


 人間で言う無能のことなど、魔女であるマリスは気にしたことがない。

 しかし同じ無能であるにも拘わらず、そして同じく内包している法力が膨大であるにも拘らず、平気な顔をして毒入りディナーを平らげるほど健康なシィラやルシオラと、目の前の儚い少女は何が違うのか。

 少女の母も同様の症状で亡くなったのだとすれば、この現象は遺伝の可能性がある。もし違うなら、無能が原因で寝たきりになるケースと無能でありながら元気に動き回るケースで、同じ無能でも二パターンの症状があることになる。

 さらに、動き回るケースでもシィラとルシオラではまた症状が違う。シィラは人の枠から大幅にはみ出した身体能力を持っているが、ルシオラは普通だ。その代わりに若干勘が鋭い気もするが、シィラほど異常ではない。

 いやその前にシィラは元孤児で素性が知れないので、内包している法力がどのくらいあるのかは調べてみなければわからない。この少女やルシオラと同列に扱うのは間違っている。

 そう考えると、貴族における無能の中でルシオラだけが例外ということになるのかもしれない。彼女が例外たる理由は何なのだろうか。


「あの、お医者様は今日はどういうご要件でこちらに? 診察ですか?」


 少女はマリスを完全に医者だと思い込んでいるらしい。まぁこれでも魔女であるし、様々な薬を作ったり人を癒やしたり癒やさなかったりすることについては自信がある。医者と言ってもそれほど間違ってはいない。真似事くらいはできるだろう。

 実際、マリスの祖母は薬を作ってアルゲンタリアの街で売ったり、街の人の怪我や病気を治したりしていた。

 マリスにとって重要なのは、広義ではもはや友人と言っても差し支えないだろうルシオラが無能の例外である理由であって、無能としての例に漏れず今にも死にかけている少女のことではないのだが、医者の真似事をしてやるくらいなら問題ない。


「そんなところかな。今日の気分はどうだい? 手足は動かないままかな? 食事はいつ取った? 水分は? 尿意や便意はある? 身体のどこかで痛みを感じる場所は?」


「そ、そんな急にたくさん聞かれても……。えと、今日はその、いつもよりは調子がいいと思います。食事は夕食がまだですけど、お腹が減っていないので大丈夫です。その、べ、便意とかもありません……。痛いところもないです」


「なるほど……」


 どうやら、もう末期のようだ。


 昼食は食べたようだが、今に至っても尿意も便意もないのであれば、消化器がもうまともに働いていない可能性がある。空腹も感じないのであればなおさらだ。この状態でどこも痛くないとなると、確定と言っていいだろう。

 今日は調子がいいのではなく、調子が悪いことすらもうわからなくなってしまっているのだ。

 おそらくだが、ここから加速度的に少女の寿命はすり減っていくはずだ。

 これにはさすがのマリスも憐憫を覚えた。 


「……何か、私にしてほしいことはあるかい? 何でもひとつだけ、私にできる範囲で叶えてあげよう」


 伯爵への人質にしようかと考えていたが、気が変わった。

 どのみち、人質として耐えられるだけの時間も体力も少女にはない。

 ならばインサニアの魔女として。

 儚いながらも森に寄り添って生きた者へ、せめてもの憐れみを与えたくなった。


「何でも、いいのですか……?」


「ああ。私にできる範囲でだけどね」


「それなら……。それなら、お父様に──」



 ◇



 それからほんの少しの間だけ、マリスと少女は話をした。

 少女はこの部屋の外のことは何ひとつ知らなかったし、マリスも森の外のことはほとんど知らなかったので、お互いに身の回りの話をするだけで十分に楽しめた。


 話が一段落すると、少女はそのまま眠るように息を引き取った。


「──ずいぶんと遅れてしまったけど、そろそろ行かないと。練兵場の地下だったかな。シィラのやつ、伯爵殺しちゃってないだろうな。ちょっと話さないといけないことができたから、急がなきゃ」




 ★ ★ ★


新年明けましておめでとうございます。

いきなりおめでとうってテンションの話ではありませんでしたが、年末にこれっていうのもちょっとアレなので、年始に持ってきました。

今年もよろしくお願いします。

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