第22話「令嬢と可能性のケダモノ」

 その後伯爵は二人に謝罪をし、挨拶はまた夕食時にでも改めてということで席を外した。

 ルシオラたちは令息の案内で客室を宛てがわれた。縁談を進めるかどうかはともかく、一行はひとまずディプラデニア城に滞在することになる。

 このあたり、縁談が肝になっているのがルシオラとしては不思議な気分だ。

 確かに、元々は縁談の話でディプラノス伯爵と繋がりができていた。

 しかしその話も、ルシオラ側から一方的に反故にしたようなものだ。本来ならその時点で謝罪とお断りの手紙を送るべきだったが、マルコスにさせてもらえなかった。


(というか、話を持ってきたのも段取りをつけたのもマルコスおじ様ですし、わたくしがとんぼ返りしたのを知っていて離れに軟禁したのであれば、手紙を送るのはマルコスおじ様のお仕事なのでは)


 いや、もしマルコスがディプラノス伯爵に何らかの連絡をしていたとしたら、その内容はルシオラの縁談に関する謝罪などではないはずだ。

 アルゲンタリア出奔の折、シィラが飛びかかる直前に口を滑らせかけていたマルコスの言葉からするに、彼がディプラノス伯爵と繋がっていることは間違いない。頻繁に、かはわからないが、それなりの頻度で連絡をしていたと見るべきだ。

 出奔のときのことがルシオラたちより先にこの地へ届いているとは考えられないから、これまでにマルコスが手紙を送っているとしたら、ルシオラたちがディプラノス伯爵の息のかかった盗賊の討伐に向かった、という情報が最新になるのではないだろうか。


 にも拘わらず、突然現れたルシオラたちに「縁談のために来たのだろう」と言い放ったのは中々の面の皮だと言える。向こうからすれば、賊の討伐に出かけたはずが何故かボロボロの馬車でいきなりディプラデニアに現れたように見えたはずなのに、だ。


 あるいは、ディプラノス伯爵はマルコスからの情報をそれほど信用していないのかもしれない。

 マルコスはルシオラのとんぼ返りのせいで職を辞したと言っていたが、そもそもこの縁談自体ががマルコスの手引きだった。余計なことさえしなければアルゲンタリアで財務官僚をしていられたのに、隣のディプラデニアに尻尾を振ったばかりに職を失い、しかもディプラデニアからも信用されていないのだとすると、さすがに憐憫を感じてしまう。

 彼一体何がしたかったのだろう、とルシオラはぼんやりと考えた。


 マルコスの人生設計はともかく、彼が手引きした縁談に端を発する一連の事件をみるに、ディプラノス伯爵がルシオラの身柄を欲しがっているのは間違いない。

 そして先ほどの、ルシオラとシィラを素で間違えたことから考えると、彼がルシオラを欲しがる理由は財産や容姿ではないのだろう。


(……もしかして、若くて魅力的な女性なら誰でもいい、ということかしら。初見でわたくしよりもシィラ様のところへ行かれたのは少々腹立たしいですけれど。わたくしが声をかけなかったら、その次は誰のところに行ったのかしら。わたくしかしら。マリス様かしら。ノーラかしら)


 父親と同年代の男性が、自分と同年代の女性に熱を上げるというのは、率直に言ってあまり良い気分はしない。ルシオラ自身のように貴族であるなら諦めもつくが、平民や騎士の女性にそれを強いるのは醜悪に思えた。

 亡き奥方を大切にする人格者。ルシオラの父からはそう聞いていたのに、実態は違うということなのか。貴族家の当主として、次代以降を担う人材が必要なのだとしても、それなら子息と結婚させればいいだけだ。いや、子息に子供を作る能力が欠けているという可能性もあるか。稀にそういう男性がいるという話は聞いたことがある。

 あるいは女性には欲情できない性質だとか。

 あくまで可能性の話ではあるが、もしそうならちょっとだけ許せるかも、とルシオラは思った。



 ◇



 その日の夕食の折、ディプラノス伯爵から改めて縁談の話があった。

 本来その返事は、たとえ当事者であろうとも貴族家当主でないルシオラには出来ない。しかしそう言って逃げたり、あるいは断ったりしたりしたら、じゃあ何しにこんなところまで来たのかということになってしまう。

 そうなるとルシオラとしては、縁談については当主である父より返事をする許可をもらってきた、ということにして「よろしくお願いします」と答えるしかない。

 これまで伯爵の元にマルコスからどういう報告が来ているとしても、今回ルシオラ一行を「縁談のためにきた」として受け入れた以上は、伯爵側としてもそれ以外のあれこれは「無かったこと」とするしかない。主には例の賊やマルコスとの繋がりのことだ。少なくとも今回の邂逅では伯爵は知らぬ存ぜぬで通すはずである。


「──なるほど。結婚は本人の意思に任せる、ということか。アルジェント伯爵はルシオラ嬢をたいそう愛していらっしゃるようだ」


 ナプキンで口元を拭い、そう言った伯爵の顔には、何の感情も浮かんではいなかった。

 その様子に若干の違和感を覚えたが、何に起因する違和感なのかまではわからなかった。

 モヤモヤしたものを抱えつつ、夕食会はしめやかに終わる。


 食後のお茶が運ばれてくるまでの間、普通なら歓談で場をつなぐところだが、この時は全員が黙りこくって静かな雰囲気が続いていた。

 マリスが静かなのはわかる。法術だかなんだかよくわからない謎の術を使う彼女は、おそらくはかなり良い血筋の出だ。ルシオラの縁談の話に参加する筋合いでもないので、余計なことは言わないようにしているのだろう。

 シィラが静かなのはちょっと不気味だ。まあ夕食をガツガツ食べてお代わりまでしていたので、食事に集中していただけかもしれない。

 ノーラとトミーは使用人枠なので食事を共にすることはない。とはいえ伯爵家にとっての客人ではあるので、別室で食事を与えられているはずだ。


 沈黙が心地よく感じられるくらい親しければ問題ないのだが、ディプラノス伯爵家とルシオラたちは初対面である。ここはホストの伯爵側が何らかの話題を提供し、間をもたせるのが筋ではないだろうか。

 そう思いルシオラが伯爵に視線をやると、その伯爵と目が合った。

 伯爵はやや眉根を寄せ、怪訝そうな表情をしている、ように見える。隣の令息も似たような顔だ。


「あの、何か……?」


「あ、いや……。その、体調に……変化などはないだろうか?」


「ありませんけど?」


 答えつつ、マリスやシィラに視線で問いかける。マリスもシィラも首を傾げた。マリスはおそらく「体調は平気だけど、なぜそんなことを?」という意味だろう。シィラには視線だけで意味が通じているか自信がないので、もしかしたら「なんで急にこっち見たの? あ、お代わりならもういいよ!」という意味かもしれない。

 伯爵がなぜ急に体調を聞いてきたのかはルシオラも気になる。


「なぜ急にわたくしたちの体調を?」


「う、うむ。その、アルゲンタリアからディプラデニアまで馬車で来たのだろう。随分と時間もかかっていたようだし、旅の疲れなど出てはいないか、と心配になってな……」


 あの賊が伯爵の手引きであったとしたら、自分でけしかけておいて心配するとか普通に考えてありえない。

 これが嘘なのは確実だが、では一体何を隠すための嘘なのか。そしてどこからが嘘なのか。

 もし、体調の変化、たとえばルシオラたちの体調を気にしているところまでは本当だったとしたら。

 

(このタイミングで、わたくしたちの体調に何らかの変化が現れると知っていた? そして変化が現れないことを不審に思ったからこその、あの怪訝な表情だとしたら……。もしかして、先ほどの食事に何か……?)


 食事はすべて美味しくいただいてしまった後だ。

 ただ、これまでの人生で「良くないことが待ち受けている状況」以外で体調を崩したことがないルシオラは、毒で自分の体調が変化するイメージがどうしても浮かばなかった。

 なにせ、これまで体調が悪くなったときにどんな薬を飲んだとしても、決して治ることはなかったのだ。薬は効かないのに毒だけ効くとかそんな都合のいい話などあるはずがない。

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