第21話「魔女と『敵』の目的」
少なくともマリスの美的感覚で言えば、この場にいる中で「伯爵令嬢」に最も相応しいのはルシオラである。
元々の顔立ちだけで言えばシィラも十分その資格はあるが、着ているものが法騎士団の鎧だし、髪も適当に伸ばしただけで手入れはされていないし、顔も薄汚れて肌が荒れて──はいないようだ。シィラの異常な頑丈さは肌にも適用されているのだろうか。たとえば肌に対するあらゆるダメージも一律カットする、とか。そういえば髪も特に手入れをしている様子はないのにキューティクルを保っている。なんだこいつはあらゆる女の敵か。
まあそういう意味では、実はシィラが真の伯爵令嬢で人の目を避けるために敢えて法騎士のコスプレをしている、という線も有り得ないではないかもしれない。
しかし仮に伯爵がそう判断したとしても、普通はいきなりそっちにはいかないはずだ。まずは正道の伯爵令嬢然としたルシオラに声をかけるのが筋だろう。
と、マリスはそこまで考えたところで、そういえば何しに来たのだったかを思い出す。
ここに来たのはシィラの希望で、その目的は伯爵の討伐。
さらにマリス的には、可能であればそこの伯爵令息も含めた伯爵一族の根絶やし。ついでに冒涜的な罪状のでっち上げ。
はっとして状況を再確認すると、殺人を目論む思想犯がその被害者に至近距離で手を取られているという場面だ。
シィラもいきなりのキスで放心していたようだが、その目にゆっくりと殺意の光が宿り始めるのをマリスは捉えていた。
(しまった! いや速やかに伯爵を始末するのはたしかに目的なんだけど、暗殺するにしてもタイミングってものが──)
「今だー!」
(今じゃないってば!)
頭痛とデジャヴュを感じつつ、とっさに魔術で身体強化をし不測の事態に備えるマリス。
身体と共に強化した目で、シィラが伯爵に取られた手をそのまま抜き手に変え伯爵の目を突こうとしたのを確認する。
(殺意高いな! いきなり目潰しからの脳破壊か! もうちょっとこう、パンチとかキックとか、段階を踏んだりできないのか!)
もうこれは無理だ。伯爵にはここで消えてもらうことにして、騒がれる前に令息や使用人たちを死体に変える準備をしたほうがいい。
そう考え素早く令息に視線を移す。
だが。
「──はっはっは。何が『今』なのかはわからぬが、ルシオラ嬢はずいぶんとお元気なようだ」
伯爵は笑っていた。
そしてシィラは、自分の手と伯爵とを交互に呆然とした表情で見ている。
(……何が起きた? シィラはなんで伯爵を殺していない? まさかとは思うけど、シィラのほぼゼロ距離からの抜き手を伯爵が躱した……? 伯爵の立ち位置は……少しズレている。私が目を離した隙に、伯爵が何らかの動きを見せたのは間違いないか。じゃあ本当に躱したのか? どういうことなの……)
シィラの攻撃を躱すなど並大抵のことではない。もしかしたらシィラの所属する法騎士団では普通のことなのかもしれないが、少なくとも貴族家の当主にできることではないだろう。
いや辺境の領主ともなると、そのくらいの戦闘力は必要になるのだろうか。
その辺りどうなのかなと、辺境の領主の娘であるルシオラに視線を向けた。見てもマリスの疑問が伝わるわけではないし、伝わっても答えられる状況でもないので意味はないのだが、なんとなくだ。
ルシオラは目をパチパチとさせていた。驚いてはいるようだが、何に驚いているのかはわからない。今の攻防を見ていなかったとしたら、シィラの「今だー!」という叫び声に、かもしれない。
「あの、たいへん申し上げにくいのですが、ルシオラ・アルジェントはわたくしですわ、閣下。そちらの女性はご覧の通り、ミドラーシュ教団より手を貸していただいている法騎士のシィラ様です」
すると伯爵は「えっまさか」と頓珍漢な言葉を漏らした。まさかも何も、誰がどう見てもそうだろうに。
(あっ。もしかして、ディプラデニアでは未婚の貴族は鎧を着て生活するとかいう特殊な文化でもあるのかな。令息も鎧着てるし。だとしたら納得──はしないな。シィラが着てるの法騎士団の鎧だぞ。マジ何考えてんだこの伯爵……)
本気で勘違いしたというのであれば、伯爵がシィラをルシオラだと確信する何らかの根拠があったことになる。
いや伯爵だけではない。城門では、こちらが名乗る前に令息の方からルシオラ一行だと看破して話しかけてきた。
一行の乗る馬車は貴族にしては質素なものであり、しかも穴だらけでボロボロだ。馬と御者の老人だけがギラギラとした生命力に満ちているという──馬だけでなくトミーにもこっそり身体強化魔術をかけておいた──不審極まりない集団だ。
間違っても「あっ、あの馬車もしかして中に伯爵令嬢が乗ってるかも!」と思えるものではない。
(……ディプラノス伯爵には、何か、ルーシーちゃんの存在を感知する手段があるのかもしれない。そしてそれは、ルーシーちゃんとシィラとを誤認してしまう可能性のあるもの……。ふたりの共通点と言えば、法術適性、かな……?)
一定範囲に存在する人間の中から、法術に適正がない者を選択的に抽出する技術を伯爵は持っている、ということだろうか。
普通に考えて、まず一定範囲内の人間を感知するという時点でハードルが高い。さらにその中から特定の条件に合う人間を自動的に選ぶなど、並大抵の技術では達成できないはずだ。長年蓄積された魔女の技術を用いればそのくらいのものは開発できるだろうが、人間には無理だ。そして魔女にはそんなことをする理由がない。
(もし伯爵が本当にそんな技術を持っていたとして、一体どこから……。それに、シィラ並みの身体能力の高さも気にかかる)
例の賊の黒幕が伯爵であろうとなかろうと、あるいは他の何かしらの罪が伯爵にあろうとなかろうと、いずれにしても一族は根絶やしにするつもりではいた。
しかしこの様子だと、伯爵の目的は何なのか。そしてその目的に力を貸している者が存在するのか。このあたりは調査の必要があるかもしれない。
(お祖母様が言っていた。『敵を知り己を知れば百戦殆うからず』と。東方教会に知られる前にことを済ませる必要があるから時間がないのは確かなんだけど、その前に一応敵のことは調べた方が良いのかもしれない。シィラも出鼻を挫かれてなんか大人しくなってるし)
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