第20話「魔女と辺境の伯爵」

 やると決めたのなら迅速にやり切るしかない。罪状を考える時間も必要だが、今はそれよりとにかく伯爵一家を片付ける方が先だ。

 マリスは懐から短杖ワンドを取り出し、こっそり馬に魔術をかけた。違和感が出ない程度の強化系の術だ。法術にも似たようなものがある。


「……?」


 ルシオラが不思議そうに見てきた。やはり何かを感じているようだ。

 ただ同じく法術適性を持たないシィラはマリスの魔術に気づく様子がないので、適性がどうのというより純粋に個人の特性なのかもしれない。

 もっともシィラは馬車の外側に張り付いているので、今回の魔術については気づいているのかいないのかはいまいちわからないのだが。


 馬車は軽快に街道を飛ばし、ディプラデニア領に入った。

 領境にあるシィラ製巨大落とし穴はもちろん避けた。そこにあることを知っていれば避けるのは簡単だ。しかし知らなければ、普通は街道のど真ん中にいきなり穴が開いているとは思わないだろうから、誰かが枝葉を街道に捨てただけだと思うかもしれない。いやそれも相当に考えづらいシチュエーションではあるが。


 そのまま街道を、インサニアの森の外のただの森を横目に真っ直ぐ進むと、やがて立派な城壁が見えてくる。

 アルゲンタリアのそれとは微妙にデザインが違うその城壁こそ、目的地であるディプラデニアだ。

 本来なら馬を飛ばしても数日かかる道程だが、強化された馬車馬によって半分以下の時間で到着することができた。馬には違和感を持たれない程度の強化しか施していなかったが、その状態に慣れてくれればさらにもう一段レベルが上の強化ができる。道中はこまめにそれを繰り返しており、最終的には客車を牽きながら普通の馬の三倍以上の速度を出すに至っていた。

 もちろん客室内は地獄だったが、魔術でなんとかした。なんとかなってよかった。

 なお、さすがにシィラも途中で客室内に入れてあげた。


 到着したはいいものの、さてディプラデニアの街の城門をどうやって突破しようか、と作戦会議をしようとしたところ、馬車を見つけた門兵がなんと自ら門を開けた。

 そして中から少し華美な鎧を着た兵士が出てくる。指揮官だろうか。


「──アルゲンタリアのルシオラ様の馬車とお見受けいたします。輿入れにいらしたのですよね。伯爵がお待ちです。どうぞこちらへ」



 ◇



 マリスが指揮官だと思っていた兵士は、なんと伯爵の嫡男だったそうだ。

 その彼が輿入れと言っていた通り、伯爵側はこの一行をディプラデニアに縁談に来たルシオラご一行様だと認識しているそうだ。


(……まさかその伯爵様を殺害しに来た一行だとは夢にも思わないだろうけど)


 以前にマリスもルシオラから聞いている通り、たしかにルシオラがディプラノス伯爵へ嫁ぐという話はあった。

 ただしその時は、ルシオラ(と馬車馬)が急な体調不良を訴えたため、結局ディプラデニアに一歩も足を踏み入れることなく引き返していた。馬が体調不良を訴えるとはどういうことなのか意味不明だが、まあルシオラもノーラもトミーもそう言っているので、たぶん本当にそうだったのだろう。

 とにかく、結局ルシオラが一度もディプラデニアに足を踏み入れていないため、ディプラノス伯爵は今回こそがその縁談目的の訪問だと考えた、ということらしい。


「予定よりかなり遅れてしまっていたようですが、馬車の不調か、あるいは何かのトラブルなどございましたか?」


 応接室で伯爵を待つ間、息子がいけしゃあしゃあとそう聞いてきた。


「はい。それはもう」


 それにルシオラが笑顔で答えた。

 馬の体調不良はたしかに馬車の不調と言えるし、帰りがけではあるが賊に襲われたというトラブルもあったので、そこはまあ「それはもう」としか言いようがない。

 そして、その襲ってきた賊はすでに捕らえ、背後関係も吐かせてある。その背後とは他ならぬディプラノス伯爵自身だ。

 伯爵令息がそれを知っていて聞いているのかどうかは、対人経験の少ないマリスでは判断できなかった。


(でも、賊の背後にディプラノス伯爵がいると看破したのはルシオラだけど、よく考えたらそれが正解だっていう保証はないのか。ルシオラの勘違いかもしれない。あるいはシィラの戦闘力を知ったルシオラが、シィラを消しかけて邪魔なディプラノス伯爵を亡き者にしようと考えた、とかって可能性もあるか。縁談が死ぬほど嫌で、死ぬくらいなら相手を謀殺したほうがマシだと思った後悔はしていない、みたいな)


 マリスにはピンとこないが、自分の父親と同年代の男性と結婚するというのは、年頃の少女にとっては命──自分の、とは限らない──と天秤にかけても構わないくらい辛いことなのかもしれない。

 それだけの年の差があっても問題なく婚姻できるというのは、ある意味では人間という生物の優れた部分のひとつと言えるのかもしれないが、しなくていいならしないに越したことはないように思える。年の近い異性がいるならそっちとくっついた方がよほど健全だ。


(あれ? ていうか、まさにそうなのでは? 目の前にいる伯爵令息は、たぶんルーシーちゃんと同年代。なのになんでわざわざ親父の方との縁談を……?)


 次期当主がすでに立派になっているのに、あえて現当主に後妻を宛てがう意味がわからない。

 そしてその次期当主が、場合によっては自分の立場を脅かす継承者を生むかもしれないルシオラを笑顔で迎え入れているのもよくわからない。

 人間の貴族の生態は本で結構読んでいるつもりなのだが、やはり現実は物語とは違うということなのか。マリスが期待するような、相続を巡る親族同士の骨肉の争いなど夢のまた夢なのだろうか。


 そんな益体もないことを考えていると、応接室にひとりの男性がやってきた。

 年の頃は40前後だろうか。その鋭い眼光のせいか、なんだか覇気のようなものが滲み出ているようにも見える。伯爵令息をそのまま成長させ、少し老けさせたような外見だ。


「お待たせして申し訳ない。なにぶん、急な来訪だったものでな。私がこのディプラデニアの領主、サミュエル・ディプラノスだ。

 おお、貴女がルシオラ・アルジェント嬢ですな。ようこそ我が家へ」


 ディプラノス伯爵はそう言いながら、何故かアホの子シィラの手を取りその甲にキスをした。

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