第23話「魔女と毒入りディナー」
ディプラノス伯爵の白々しい返答の後、ルシオラがテーブルの食事の置かれていたあたりをじっと見つめているのを見て、マリスも何となく察した。
(……ああ、今の食事、毒が入っていたのか。人間用の食事なんてあんまり食べたことないから全然気が付かなかった。そういうスパイスなのかと思ってた)
言われてみれば、出された食事には仄かな塩味と酸味と苦味と甘味と旨味がブレンドしてあったような気がする。そんな味わい豊かな毒物があるのかどうかは知らないが。
仮に毒物が混入していたとしても、魔女であり、普段からインサニアの森で採れる恵みを口にしているマリスには、人間の使う毒など効果がない。生物由来の自然毒のいくつかはそのまま旨味成分として機能するものもあるので、何なら美味しくいただけてラッキーだったくらいだ。
そしておそらくだが、普通の毒物はシィラにも通用しないだろう。
肌や髪へのダメージすら無効にするほどのイカれた強靭度を持つ女である。体内への攻撃だけは素通しなど、そんな甘い話はあるまい。
(あれ? だとすると、味覚なんかも結局は舌への刺激で感じるわけだし、こいつ味とかロクにわかってないのでは……。あの高そうな食事を、味も分からずお代わりしてバカ食いしてたってことか。やべーな。まあ高い食事って言っても毒入りなんだけど)
まあシィラのことはどうでもいい。
それより、マリスとシィラはともかくルシオラが毒に対してノーダメージだったのが気になる。
いや、アルゲンタリアを去るときのマルコス何某の口ぶりからすると、ディプラノス伯爵はルシオラを生きたまま捕らえようとしていた節がある。もしかしたらルシオラの皿には毒は盛られていなかったのだろうか。
(そうすると私やシィラではなくルーシーちゃんに体調を聞いた理由がわからないか。じゃあルーシーちゃんのお皿にも盛ったってことか。何で平気なんだろう。何らかの理由でルーシーちゃんも毒が効かない体質だった、とかかな)
何らかの理由で毒が効かない体質ってなんだ。
ちょっと考えてみたがマリスにはわからなかった。わからなかったので考えるのはやめた。
しかし、もし本当に伯爵がマリスたちの毒殺または毒による無力化を狙っていたとしたら、その毒が全く効かなかった以上、次に取るだろう手段は容易に想像できる。
「……出来れば穏便に済ませたかったが……。仕方がない。何より、この機を逃すわけにはいかない」
伯爵が高らかに指を鳴らす。
と同時に、乱暴に扉を開け兵士たちが食堂になだれ込んできた。
(ほらね)
食事に何か仕込んでおいて穏便も何もないだろう。
「ルシオラ嬢。貴女のお父上には若い頃から色々と世話になっている。私としても、できることならこんなことはしたくなかった……。許してくれとは言わぬ。もちろん貴女のお父上に対してもな。すまないが、私のエゴのために、その
言葉に合わせ、ばっ、と一糸乱れぬ動きで兵士たちが剣を突きつけてくる。
こういうのってセリフに合わせて練習してたりするのだろうか。マリスはちょっと気になった。
「えっ? あっ、ええと、い、今だー……かな? あってる? あってない? あーもうわからん!」
突然バイオレンスな展開になったせいか、バイオレンス担当のシィラが混乱している。
今度こそまさに「今だー!」な状況なのだが、それが逆に判断を迷わせているようだ。前回、伯爵にそれを仕掛けて軽くあしらわれてしまったので、自信を喪失しているのかもしれない。
シィラに今すぐ「今だー!」する気がないのであれば、少しくらいは話す時間が取れる。
「伯爵のエゴのためにルーシーちゃ、ルシオラ様の命を使う、って具体的にどういうことなの? なんでわざわざルシオラ様の命なの? 領主なんだし、そんなのお宅の領地の適当な人間使えばいいじゃない。そこらにたくさんいるでしょ」
伯爵を「今だー!」するのも大事だが、伯爵の目的も若干気になり始めているマリスはダメ元で聞いてみることにした。
しかし伯爵は発言したマリスを忌々しげに睨むばかりで、答えてくれそうにない。
もしかしてこういうシチュエーションでは聞き方の作法とかあるのだろうか。それとも何か気に障ることでも言ってしまったのだろうか。
「……アルジェント伯爵が付けたとは思えぬほど、なっておらん侍従だな。いや使用人は別室に連れて行ったはずだから、こやつは侍従ではないのか。というか、今さらだが、貴様は一体何者なのだ? なぜ、ルシオラ嬢に同行して、輿入れ先の夕食にまで同席しているのだ? どういう関係だ? アルジェント家ともディプラノス家とも関係ないよな? それでよく平気な顔をして食事を食べられるな。どんな面の皮だ」
(え、今更? もしかして、ここの家の人たちにジロジロ見られてたのって、私が可愛いからじゃなくて「誰こいつ」って思われてたってこと?)
想定外だ。そして対人経験の少ないマリスは、会話の途中で想定外のことが起きるのは当然ながら想定していない。
とっさになんと答えようかと考え、不意に、以前にルシオラたちに対して自分の正体を隠していることを引け目に感じた思い出が蘇った。
さらに、シィラを止められない場合は早く伯爵一族を始末しなければならないこと、シィラは何故か勝手に止まっているので止める必要は今のところなさそうなこと、顔も見たことがない魔女たちに怒られるかもしれないこと、シィラが止まってるのなら怒られることはないかもしれないこと、怒られないためには伯爵一族を始末しなければならないこと、今さらっと若干失礼なことを言われた気がするのでやはり伯爵一族は始末したほうが良いのではないかということ。
そんな色々な思いが一瞬で脳裏を駆け巡る。
「わ、私は──魔女だ! インサニアの森の魔女だ! だ、だから、その、ディプラデニアともアルゲンタリアとも関係あるっちゃあるますよ! お隣さんなので! ええと、よろしくお願いします!」
テンパって普通の挨拶をしてしまった。
魔女と名乗ったせいか、兵士たちは顔色を変えている。一方伯爵は片眉を上げただけで特に驚いてはいない。
どうやら自己紹介は滑ってしまったようだ。
対人会話で滑ってしまったときにどうしたらいいのか、の引き出しはマリスの中にはない。
このままでは、失礼なことを言ったっぽい伯爵に舐められてしまう。
舐められないようにするには力を誇示するのが一番手っ取り早い。
そしてこの場には力を誇示したくて仕方がない法騎士見習いがいる。「今だー!」するのはいったいいつなのかとその瞬間を今か今かと待っているのだ。
「ええとええと、シ、シィラ! いつやるのか、今でしょ!」
「あ、今であってるのか。よかった。今だー!」
そして狭い食堂で乱戦が始まった。いや狭いと言っても乱戦をするにはという意味で、食堂は普通に食事をとる分にはもちろん十分な広さはあるのだが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます