第5話「伯爵家の出戻り令嬢 1/2」

 辺境の街、アルゲンタリア。

 この地を治めるはデイヴィス・アルジェント伯爵である。

 伯爵とはいうものの、このリベルタ連邦国では爵位はその家の強大さを表す指標としての意味しかない。侯爵に次ぐ領土、あるいは軍事力、あるいは経済力を持っている貴族、それが伯爵である。


『人類領域』の端である辺境都市を治めるに相応しい実力と胆力、そして凄みを持ち合わせた偉丈夫。

 アルジェント伯爵はそういう人物だった。



 そんな彼の怒声がアルゲンタリア城中に響き渡る。


「ル、ルシオラに縁談!? しかも、もう出立した!? どういうことだ!」


 その怒りの矛先は彼の目の前で身を竦めている中年の男、マルコス・アルジェントであった。


「お、お嬢様の方から……おっしゃられたことですので……。ア、アルゲンタリアのためだ、と──」


「アルゲンタリアのためだと!? この私が、娘を政治の道具にしなければ自領も守れん愚か者だと言うのか、貴様は!」


「で、ですからそれはお嬢様が!」


「だとしてもだ! 娘本人とは言え当主でもない者が貴族同士の婚姻を決めるなど有り得ん! 無効だ! 今すぐ連れ戻せ!」


「な、なりません! もう先方にも話はついております!」


「馬鹿な! ディプラノス伯爵はそのような道理のわからぬ方では……! くっ、とりあえず、伯爵に手紙をしたためる! 連れ戻すのはその後だ!」


「は、はぁ……」


「それからマルコス、貴様はクビだ! 財務官の役を降りろ! 一応は分家の当主だからと、多少仕事ができぬでも大目に見てやっていたが……本家の婚姻に口を出すなど言語道断だ! 城を出ていけとまでは言わぬが、もう面倒は見ぬ!」


「なっ!? そのような無体な!」


「何が無体か! この場で斬り捨てられぬだけありがたいと思え!」



 ◇ ◇ ◇



 と、そのようにアルゲンタリア城でホットな話題を提供している伯爵家の次女、ルシオラ・アルジェントだが、その本人は実はアルゲンタリアに戻ってくる道中だった。

 それも、縁談の相手であるディプラノス伯爵のところへ行くことなく引き返しているところだ。


 ルシオラは実家からほとんど外に出たことがない。今回の縁談がなければ、これから先も城から出ることはなかったかもしれない。

 相手のディプラノス伯爵はルシオラの父アルジェント伯爵と同年代の男性で、もし縁談がまとまっていればルシオラは第二夫人になる予定だった。

 父と同年代、しかもルシオラ自身と同年代の子息がいる相手との縁談は、まだ17歳になったばかりのルシオラには酷な話であるが、貴族社会ではそう珍しいものでもない。この縁談も、『人類領域』の端を治める貴族として結束を強めるためのものだった。


 このリベルタ連邦国は、人々の住む土地を確保し、人類領域を少しでも拡大せんと奮闘した過去の英雄たちが、互助会のような組織を立ち上げたのが始まりと言われている。英雄たちが没した後もその子孫が彼らの遺志を受け継ぎ、やがて貴族として家を興し、その貴族家が互助会を元に同盟を組み、生まれたのがリベルタ連邦国である。

 ルシオラの実家アルジェント伯爵家も縁談相手のディプラノス伯爵家もそんな貴族家のひとつだ。

 とはいえ、過酷な環境で貴族たちがお互いに助け合い必死で生きていた時代はとうに過ぎ去っている。国として体裁がつくだけの領域を確保した連邦国、そこに所属する貴族家は、いつしか領土を広げるよりも自領を守ることを優先するようになっていった。

 人類領域の外、『領域外』への進出を諦めるとなると、領土を広げるためには同じ貴族の領土を奪うしかない。貴族たちから助け合いの精神は消え去り、周りをいかに出し抜いて成果を得るかを考えるようになった。実際に、時には武力で、時には計略で、他領を奪った貴族もいる。

 今は連邦国とは名ばかりの、群雄割拠の時代なのだ。


 そんな中でも、敵対する順番は重要だ。本当に周りの全てを敵に回して生きていられる勢力は少ない。

 ディプラノス伯爵が自分の子供ほどの年齢のルシオラを娶ろうとしたのもそれが理由だろう。婚姻によってアルジェント伯爵家と繋がりを持ち、互いに不可侵の条約を結ぼうとしたに違いない。

 それはいい。

 問題なのは、ルシオラがディプラデニア──ディプラノス伯爵の治める領地──に足を踏み入れることなくアルゲンタリアに帰ろうとしている事実である。



「トミー! 馬たちの様子はどうですか!?」


 馬車の客室から、侍女のノーラが御者席のトミーへ語りかける。

 というのも、道中で馬たちが急に体調を崩してしまったからだ。

 ノーラの主人であるルシオラ・アルジェントをディプラデニアの城に送る途中のことだった。ディプラデニアに入り、城まで半分過ぎたかといった頃に、御者のトミーの指図もなく馬たちは足を止めてしまった。見るからに体調が悪そうで、それ以上は馬車をけそうになかった。仕方なく、少し前に通過した村まで戻ろうとしたところ、今度はすんなりと動くことができた。ならばディプラデニア城に向かうかと馬首をかえせば、再び体調不良に陥ってしまう。

 なんとか馬が動ける方へ動ける方へと移動していった結果──アルゲンタリアに帰ってきてしまったのだ。


「へえ! 馬たちには今はもう全くなんの問題もありやせん! 元気そのものでさあ!」


「良かった! ではディプラデニアに向かえそうですか?」


「もちろんで──お、おいおめえら……? あー、駄目でさ! あっちに向かおうとすると途端に具合が悪くなりやがる! いったいどうなってんだ……」


「そうですか……!」


 客室の木窓を閉め、ノーラはため息をついた。せっかくの主人の縁談は叶いそうにない。アルゲンタリア城から一生出ることはないと思っていた主人のこの縁談は、ノーラにとっても悲願と言ってよかった。

 それが例え、胡散臭い分家の当主から言いつけられたものであったとしても。


「お馬さんの体調が戻らないのでしたら仕方ありませんわね」


 ノーラの向かい側に座る、神秘的な銀髪を縦巻きにロールさせた少女がにこやかに言った。


「……まるで『仕方がない』という顔ではありませんよ。なんでそんなに上機嫌なんですかお嬢様」


「それはもちろん機嫌が良いからですけれど」


「ああ聞かれたら普通は機嫌が良い理由を答えると思うんですけど」


「体調が良くなってきたからですわ。言ってませんでしたが、お馬さんたちと同じく、わたくしもディプラデニアに近づくにつれ体調が悪くなっていったものですから」


 さらりと言うルシオラに、ノーラは愕然とした。

 言われてみれば確かに道中は顔色が悪かった。ルシオラはめったにアルゲンタリアの城から出ず、馬車にも慣れていなかったから、てっきり馬車に酔ったものだと思っていた。何よりルシオラは無言だったため、酷い症状だとは思っていなかった。


「……どうして言ってくれなかったのですか」


 縁談を成功させることにばかり気が急いていて、主人の体調に全く気が付かなかったことをノーラは恥じた。


「わたくしはアルゲンタリアから出たことがありませんでしたから、他領とはそういうものなのかと……」


「そんなわけないでしょう。もう! もう! ……今は大丈夫なんですね?」


「ええ。アルゲンタリアが近いからでしょうか。元気が戻ってまいりました」


「……それなら良かったです。馬も本調子ではないようですし、お嬢様も本調子でないのでしたら一度お城に帰りましょう。

 トミー! 馬車をアルゲンタリア城へ! 一旦帰還します!」


 ノーラは再び木窓を開け、御者席のトミーへ命じる。


「了解でさ!」


 トミーに駆られた馬車馬たちは上機嫌でアルゲンタリア城へ向かい走っていった。


 しかし、そのまま何事もなくアルゲンタリアへ行くことは出来なかった。


「──うお!? ノーラ様! 木窓を閉めてくだせえ! 矢が飛んできやした!」


「矢ですって!?」


「もう、ノーラったら。木窓を閉めるだけでしょう? 『ヤですって』だなんて意地悪をしないで、閉めてあげればいいではありませんか」


「そういう意味じゃ──ああもう! 閉めました! トミーは大丈夫なの!?」


「──閉めたなら、お嬢様がたにゃあ酷なことかもしれやせんが、頭を低くして椅子の下に隠れていてくだせえ! 外は心配ありやせん! これでも、アルゲンタリアじゃちったあ名の知れた猟師だったんでねっ!」


「まあ。トミーは漁師だったのですね。でもアルゲンタリアには海とかありませんけど、一体どこでお魚を──」


「黙ってくださいお嬢様! 舌を噛みますよ! トミー! 無事で!」


 そこから先のことは、馬車の床でうずくまっていたルシオラとノーラにはわからない。

 右へ左へ、上へ下へと激しく揺さぶられながら、ただひたすらに耐えていただけだ。抱きしめるノーラの腕の中でルシオラだけは楽しそうにしていたが。


 そうしてしばらくの間、タライで洗われる芋の気分を二人で味わっていると、やがて馬車の走りが穏やかになっていくのを感じた。


「もう芋ごっこは終わりなのでしょうか」


「お嬢様、危険ですのでまだ顔は上げないように。……芋?」


「──もう大丈夫ですぜ! お嬢様がた!」


 御者席からトミーの声がする。どうやら彼も無事だったらしい。


「貴方は大丈夫なの? トミー」


 ノーラが客室の木窓から御者席の方を覗くと、トミーの姿を見ることはできなかったが、馬車の外装に数本の矢が突き立っているのが見えた。


「あっしは平気でさ。この程度、森の猿どもが投げつけてくる石礫に比べりゃ何ほどのこともありやせん」


 森の猿とはトミーが猟師時代に相手にしていた獲物だろうか。


 アルゲンタリアは『人類領域』の端に位置している。『領域外』と称される魔境、インサニアの森を臨む場所に拓かれている。いわゆる辺境都市である。

 インサニアの森は広大で、どこまで広がっているかはアルゲンタリア領主のアルジェント伯爵家でさえ把握できていない。魔物を狩る実力を持ち、未知の世界の探索を生業とする『探索者』たちでさえ、インサニアの森のほんの浅層までしか分け入ることが出来ていない。領域外とはそれほど恐ろしいところなのだ。


 ただし、一部の危険な領域外には『魔女』がいる。魔女とは領域外を管理し、異常が発生しないようにしていると言われている。もし領域外での異常を放置すれば、生態系が崩壊し、強力な魔物たちががエサを求めて人類領域まで押し寄せてくる恐れがある。それゆえ、魔女が管理をしている領域外の近くは比較的安全だと言える。

 とはいえ、魔女は必ずしも人類の味方というわけではない。領域外を管理する魔女にとって、その領域外に分け入り魔物を狩り資源を奪っていく人類もまた排除すべき対象となりうるからだ。


 インサニアの森にも魔女はいた。しかも他の魔女と比べると格段に温厚で、人類に対し友好的な魔女だった。管理者が彼女だったからこそ、インサニアの森のそばに辺境都市アルゲンタリアやディプラデニアを建設できたのだと言える。

 探索者や地元の猟師がいくら森の浅層に入っても彼女は怒ったりせず、それどころか森で危機に陥った人間を助けたこともあったと言う。


 トミーもまた、現役の猟師時代にインサニアの魔女に助けられた者のひとりだった。森の猿とはその頃に戦っていた魔物だろう。

 そうした経験に比べれば、たかだか人間に矢を射掛けられる程度のことは大した危険ではないのかもしれない。


「ああ、馬車に穴が開いちまったのはすいやせん。何せ、馬たちに当たりそうな矢を何とかすんので精一杯でして……。お家の方にゃ、ノーラ様の方から取り成していただけると……」


「そのくらい、いくらでもするわ」


「お父様ならきっとお許しくださいますよ、トミー。でも、お父様は許しても財務担当のマルコスおじ様は何て言いますかしら」


「……お嬢様。余計なことは言わないでください」


「お嬢様がた! もうそろそろアルゲンタリア城ですぜ!」

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