神への礼儀作法 前編

「……佐藤君、作法って知っているかい?」

「え? 急になんですか?」


 新聞から少し顔だけ出して向かいに座っている佐藤君を見ると、紅茶のカップに適当に指を突っ込んで飲んでいた。少し視線をスライドさせると、神薙優奈が美しい所作で湯呑を使って緑茶を飲んでいた。


「色々あるだろう? マナーって呼ばれるものがさ……紅茶カップの持ち手に指を突っ込むのはよくない、とかさ」

「あ、あぁ……もしかして、先生ってそういうの細かくするタイプですか?」

「いや、少し前にそういう体験をしてね」


 作法ってものは正直、マナー講習で金を稼いでいる講師が適当に言っているだけだと思っていたんだけどな。あんな経験をしてしまうと、意識せざるを得ないというかな。


「君、そういうの気にしなさそうじゃあないか。僕は別に目の前で失礼なことされたって、大抵のことは許すと思うけど、神様とかはそうもいかないからな」

「……今、なんて言いました? 誰はそうもいかないって言いましたが?」

「だから、神様だよ神様。いるだろう? 日本なんて八百万なんて言われるほど神様の数が多いんだから、それだけ考え方もみんな違うんじゃないか? 作法にうるさい神様とかだっているからな」

「な、なんか……経験してきたように言いますね。霧崎先生ならそんなことも経験してそうですけどね」


 佐藤君、実はやっぱり僕の話を聞いていないんじゃないのか?

 僕は確かに、そういう経験をしたと言ったはずなんだが。本当に彼は面白い人間だな。聞いているようで聞いていない人間は、なかなかいないだろう。神薙優奈は話を聞かない人間だしな。


「来月号の読者経験談に載せられそうな話ですか?」

「……いや? 少し厳しいと思うね」

「え? なんでですか? オカルトチックな話ならどんなものでもいけますよ?」

「いいや駄目だ。あの神社は危険すぎる……そして、今も存在しているからな」


 問題はそこなんだ。僕と神薙優奈が体験したあまりにも危険なあの神社は、まだしっかりと存在している。神主が誰とか、祀られている神がなんなのかとか、そういうのは一切わからないのに、今だにそこに存在しているのが問題なんだ。読者投稿で僕がもし書いて、それが一気に噂として広まったら、恐らく死人が大量に出る。それだけ危険な場所だ。あまりに危険すぎて、佐藤君にも場所を伏せているぐらいだからな。


「そ、存在している……真似して行かれると、困るんですね?」

「あぁ、そうだ。あの場所は興味本位だけで足を踏み入れていい場所じゃあない。ま、興味本位で踏み込んだ僕が言うのもなんだけどな」


 本当に、僕が興味本位で突っ込む癖に準備を怠らない人間ではなかったら、もしかしたら死んでいたかもしれない。好奇心を抑えられないという僕の性とはあまりにも矛盾したような性格だが、今はその矛盾点にも少しだけ感謝している。


「本当に……佐藤さんからもなんとか言ってくださいよ、この人に」

「おい神薙優奈、調子に乗るな。僕はあの神社で君に礼を言ったが、それは人として最低限のことをしたいと思ったからであって、僕が本心から感謝している訳じゃあないからな」

「その方がマナー違反だと思いますけど?」


 人間と人間の会話でのマナー違反なんてものは、他人が勝手に決めることであって、僕には関係のない話だ。少なくとも、僕はしっかりと敬うべき人間は敬っているし、神薙優奈のように嫌いな人間に対しては当たり散らしても問題ないと思っている。世間一般的にクズと言われようとも、僕はこの性格で26年間も生きてきた訳だからな。


「その……場所とかは良いんですけど、話だけ聞かせてもらえないですか? 色々と話のネタにもなりそうですし、創作とかにも使えそうですから」

「……そう言えば佐藤君、副業でホラー作家を目指しているんだったね。なら場所は教えられないが経験したことは教えてあげよう」


 僕は人のことを基本的に顧みない人間だが、やはり見ず知らずの人間が僕のせいで死なれてしまっては面倒くさいものだ。だが、佐藤君のように作家になりたいとか頑張っている人間は好きだ。応援したくなる。だからこそ、話さないと決めていた話をしたくなった。それに、人間は禁じられたものこそ甘美に思えるものだ。


「なら、心して聞いてくれよ。君は聞いているようで聞いていないからね」

「酷くないですかぁ? 私だってしっかり聞いてますよ」

「全く……これも過去からの経験だと言うのに。まぁいいさ……あの神社の話だったね」


 あの人里離れた山奥に位置している、人気が全くない鬱蒼とした神社。

 あそこに住んでいた、奇妙でとても恐ろしい気難しい神様の話。

 人間の礼儀作法は、誰に向けたものなのかを、再認識できる危険で奇妙で怪奇的な神社の話だ。

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