黄昏の集団下校
「霧崎先生いますかぁ?」
「おいおい、佐藤君……今、何時だと思っているんだい? 夕方の17時半過ぎだぜ? いくらなんでもこの時間帯での訪問はないんじゃないか?」
「いやぁ、近くで作家さんと打ち合わせしてましてぇ、その帰りに寄っていけたらいいなぁって思ってたんですけどぉ……こんな時間になっちゃいましたねぇ」
佐藤君のこの微妙なルーズさは本当にどうかしていると思う。ここは探偵事務所なんだから、もう少し気にして入ってきたりするもんだと思うんだが、彼は全くそう言うのを気にしない。いつかひどい目に遭うぞ。
「佐藤さん、お茶です」
「あ、神薙優奈さん、ありがとうございます」
「おいおいおい! 神薙優奈! その茶葉は高いやつなんだから、佐藤君には出す必要ないって前に言ったよなぁ? なんで客用の高い茶葉を出しているんだ!」
「えぇ? だって、佐藤さんだってお客さんですよ? そういうけち臭いこと言うから、霧崎さんの事務所は人が来ないんですよ」
本当にムカつく女だなこの神薙優奈は。
「僕だって依頼をしに来る人には、その茶葉を出しているさ。だけどな、この佐藤君は僕に一度たりとも探偵として依頼をしたりなんてしたことがないんだぞ? やるのは雑誌に載せる話だけさ。これのどこがお客さんだって言うんだ?」
「立派なお客さんですよ。ねぇ佐藤さん」
「は、はぁ? どうでしょうかねぇ? なんだか、本当に仲のいいカップルみたいですねぇ」
「佐藤君も人の話を聞いていないじゃないか! どっちも人の話はしっかりと聞くべきだと思うがな」
「それを言うなら、霧崎さんだって私の忠告を聞くべきだと思いますけどねぇ」
ふん。僕は自分の知的好奇心を満たす行為だけは、絶対に邪魔されたくないのさ。だから、神薙優奈の持つ霊能力を本物だと信じていても、絶対に言うことは聞かない。
「大体、佐藤さんがこの時間に来るのは今回が初めてじゃないですよ?」
「知っているさ。僕はそういうこと細かく覚えているタイプだからな。気になって眠れなくなるタイプだよ」
「あぁ……そう言えば、神薙さんと初めて顔を合わせた時も、同じような時間帯でしたねぇ」
「へぇ、意外だね。佐藤君がそういうの、覚えてると思ってなかったよ」
彼女ができても、細かい記念日とかすぐに忘れて怒られるタイプだと思ってたな。だが、意外に佐藤君は覚えているタイプだったか。
「それはそうですよ。佐藤さんはあの時、少し怖い思いをしてここに来ているはずですから」
「……あの話か。けど、佐藤君には自覚、ないと思うよ」
「えぇ!? あんなことがあったのにですか?」
「え? あんなことってどんなことなんですか?」
こういう鈍感さがあるから、彼は僕が本気の体験談を載せまくっている、正直かなりヤバイ感じのオカルト雑誌の編集者兼任記者としてやっていけるのかもしれないな。
「私、そういう怖い経験とか、したことないんですけどぉ……霧崎先生は知ってますか? 私がそういう経験したこと」
「おいおいおい。君が経験したことだろう? なんでも僕にそれを聞くんだよ。自分に問いかけてくれないかい? 僕は君の母親じゃあないから、君がなにを体験したのかなんて知らないんだよ」
当然と言えば当然なんだが、僕は他人の全てを知っているような全知全能の神様でもなければ、彼の経験したことを全て話してもらっているような親しい間柄でもない。なので、彼が何を経験したのかは彼自身に話してもらう必要がある。
「えぇ? あの日ですかぁ? えーっとあの日は確か……同じように作家さんの家にお邪魔した日でしたねぇ」
「先生、ありがとうございましたぁ」
予定よりも時間のかかってしまったオカルト作家さんとの打ち合わせで、既に時間は夕方になってしまった。逢魔が時っていうくらいだし、霊感のない私だってこの時間帯なら幽霊に出会えるかも、なんて思っているけど、丑三つ時にも幽霊に出会ったことがないんだよなぁ。こんなんでオカルト雑誌、よくやってるよなぁ。
私、佐藤幸雄は昔からオカルト雑誌とかは普通に読んでいたけど、実際に遭遇はしたことがない、ごく普通の人間だ。年齢は24歳で、懇意にしている探偵の霧崎先生より2つ年下。よく、雑誌の取材とかでネットで有名な心霊スポットとか行ったりもするけど、それっぽいものすら私はまともに見たことがない。
「はぁ……あ、そうだ。丁度いいから霧崎先生のところも寄って行こう……あの人の話は、やっぱり雑誌購読者にも人気だからなぁ」
さっきまで打ち合わせしていた作家さんに直接は言えないけど、彼の創作するオカルト小説より、霧崎先生の書く体験談の方がよっぽどリアリティがあって人気なんですよねぇ。やっぱり、本当に体験したことを書くというのは人気の要因になったりするんだろうな。
何度も言うようだが、私は人生でそういうものを一度も見たことがないのでわからないが、霧崎先生のことは少し羨ましく思っている。オカルト好きとして、命の危険は勘弁だけど、不思議な体験はしてみたいものだ。まぁ、霧崎先生本人は、ただ知的好奇心に突き動かされているだけの探偵だけどね。
「お前おそーい!」
「待ってよー!」
「……小学生かぁ」
そう言えば、霧崎探偵事務所の近くには小学校があったっけ。きっとそこの生徒が集団下校をしているんだろうな。時間的にも夕方だし、私も半分仕事終わりみたいなものだしなぁ。
それにしても、小学生の頃はああやって下校の時間でもなんとなく楽しい感じだったな。友達と走ったりしながら帰っていたっけな。見たところ、小学1年生か2年生って所かな?
交差点のT字路へと向けると、山の西に沈んでいく太陽が美しかった。時間もそろそろ17時半なので、小学生たちも今日は公園とかで遊べない日なんだろうな。
「疲れたおっさんだったよ?」
「おっさんっていうほどじゃないよー」
「こら! 悪口はだめ!」
まぁ、小学生の低学年からすれば24歳の私はおっさんだろう。私は小学生たちのように走って仕事場まで行けないし、走って帰宅する元気もない。やっぱり、私も年齢を重ねたんだなぁって思った。
なんだか背後で小学生たちがクスクス笑っていたけど、まぁ気にする必要はないかな。
霧崎先生の探偵事務所にようやく着いた。今日も色々な話を聞かせてもらって、面白い感じの話だったら雑誌に載せようかな。かなりグロい感じの話だったら見送ろう。
「霧崎先生いますかぁ?」
「おいおいおい、佐藤君さぁ……君、何時だと思っているんだい? いくらなんでも非常識ってもんじゃないかい?」
「細かいですねぇ」
扉を開けるて廊下を歩いた先にある探偵事務所内にいた霧崎先生は、いつも通りの態度だった。なんだか私、この先生の態度が好きなんだよなぁ。同じ編集部の人たちから偏屈で変人で狂人だって言われてたけど、私は愉快な人だと思うけどなぁ。
「ど、どうも。霧崎さんこの人誰ですか?」
「は? なんでわざわざ僕が君みたいな押しかけてきた人間に、一々説明しなくちゃあいけないんだい? 知りたいなら自分で聞きなよ」
「も、もぉ……その、始めまして」
「えー……あっ! 美少女霊能力者の神薙優奈さんですかぁ!?」
何処かで見たことがあるなぁと思っていたけど、昨日テレビの録画で見たばっかりだ!
もしかして、霧崎先生の所に依頼で来たのかな?
「私、こういうものです」
「はぁ? えーっと……雑誌編集者兼任記者の佐藤幸雄さん、ですか? オカルト雑誌の?」
「はいそうです! いやぁ……なんでこんな辺鄙な事務所に?」
「おい。佐藤君、君は僕の事務所をそんな風に思っていたって訳かい?」
「実際、辺鄙じゃないですかぁ」
この事務所、T町の町役場から見て北東方面にあるけど、周囲は寂れたような住宅しかない。先生は近くにスーパーがあって、駅も歩いて行ける距離にあり、小学校も中学校も保育園も近くて公園も広いとか気に入ってましたけど、住むにはいいかもしれないけど探偵事務所の場所としてはねぇ。
「その……失礼かもしれないんですけど、なにか心霊スポットでも行ってきたんですか?」
「え? どうしてですか?」
「いやぁオカルト雑誌の編集者ですし……その……言いにくいんですけど、後ろに結構、危ない感じのものが、憑いてますよ?」
「って感じですねぇ」
「はっきり会っているじゃあないか。君はもう少し危機感というものを身に付けたほういいよ」
「わ、私もそう思います」
珍しく神薙優奈と意見が合ってしまったが、逆にこんなことですら意見が合わない奴がいたら縁を切った方がいい。
佐藤君は全く理解できないって顔をしているが、僕としては本当に危機感のない奴だと思う。もっとも、僕が怪異側の立場だったならば、こんな目の前で違和感バリバリのことをしておいて気が付かない人間なんて、逆に怖いと思うけどね。
「そのぉ……本当にわからないんですよ」
「……君、前回も同じ17時半って言ったよな?」
「え? そうですね……」
「最近の小学校って結構、防犯意識とかしっかりしててさ。校門のところに防犯カメラなんかも設置されていることが多くなったし、集団下校が当たり前の世の中になっている訳だ。それでも、通学路の標識も無視して、周囲を全く気にもせずに爆走する車が、集団下校中の小学生に突っ込んだりとかするんだけどさ」
この間もテレビで話題になっていたな。老人がブレーキとアクセルを踏み間違えたとかいう、いつもの判子のような言い訳。あれの方が怪異なんじゃあないのかな。
「小学校低学年の頃とか、夕方に下校した記憶あるかい?」
「えぇ? どうでしょうね?」
「はっきり断言してやるが、ないよ。あそこの町立H小学校の低学年は、遅くとも15時には下校する。しかも、15時に下校する時は6年生まで一斉下校だ」
僕の事務所の前も通学路だから小学生は良く通るが、それ以降の時間に下校しているのは高学年の部活をしている小学生だけだ。その部活に所属している高学年の生徒も、17時には下校しているがな。
「じゃ、じゃあ私がすれ違った、集団下校していた低学年の小学生たちは?」
「よかったな。クスクスと笑われて不用意に振り向かなくて、さ……これからは黄昏時、気を付けた方がいいんじゃあないの?」
佐藤君の青褪めた顔なんて、初めて見たな。
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