第一章 剣奴の少年②
のどの渇きを潤し、意識のはっきりしてきた隼人は、自分の上に影を落とした人物を見上げた。
まず他の戦奴と違い、裸足でも草履でもなく、粗末ではあるが革の
隼人の育った阿古の里で目にする武器らしいものといえば、狩猟用の槍か弓矢、
隼人の目は、少年の剣に
「珍しいか」
水をくれた少年が、剣の
少年が身に着けた革の胴巻きや
「おまえ、ツクシのミコさまか」
もしこの人物が津櫛の御子ならば、と、隼人は腹の底からのど元までこみ上げてくる怒りに、自分より三、四歳年上と思われる少年をにらみつけた。
少年はフッと
「おれは
聞いたことのない言葉に、隼人が少年に抱えていた
「ケンドってなんだ。戦奴とちがうのか」
数えで十四歳になる史人は、疲労と恐怖で丸く見開かれた眼をこすりながら、ぶつぶつと口の中でつぶやき始めた。
「剣を佩く戦奴を剣奴と呼ぶ。あるいは捕虜にされた
史人の答に、隼人はまわりのこどもたちと顔を見合わせた。その優れた記憶力によって里の神子に選ばれ、
人間が集まって里や
阿古には
さらに山奥には、獣肉を
諸邦の大郷でもっとも尊いのは、久慈四神の子孫であり、かつ邦の祭祀長である日留座だ。そして日留座の宗子とその兄弟姉妹は、特に「
それは豊邦の大郷から遠く離れた阿古の里に育った隼人でさえ、知識としてはいつの間にか学んでいたことだ。しかし、戦奴だの剣奴だのという仕事や階級が存在することを知ったのも、隼人がその目で見たのも、この夜襲が初めてであった。
隼人に興味をなくしたのか、他のこどもたちに視線を移した少年剣奴の顔に陽が当たる。両眼の下、日焼けした頰骨の上に二本ずつ彫り込まれた鎌形の
「おまえの名は?」
針のように細く切れ上がったまぶたの隙間から、黒い瞳が鋭く隼人を見おろした。
「知ってどうする」
小柄で声もそれほど低くなく、ひげもなくつるりとした頰はまだ少しふっくらとしているにもかかわらず、隼人たちの里を襲った男たちと同様に冷たい瞳だった。
この少年が、かつては貴人から選ばれるという兵であり、いまは戦奴隷に落とされた剣奴であるというのなら、髪型もみずらを結わぬ童形であるのにかかわらず、ほかの戦奴よりもよい身なりで、人を見下した態度にも説明がつく。
冷酷な目つきのこの剣奴が、逃げ惑う里のひとびとを追い詰め、手にかけたのだと、隼人は先ほど感じた怒りよりもさらに激しい衝動に、めまいと吐き気さえ覚えた。
隼人の胸中の嵐を無視するように、休憩は短く切り上げられた。捕虜の少年たちは、先を急ぐ戦奴たちに追い立てられる。
「止まれっ」
新緑の森に近づくころ、それまで後尾を歩いていた剣奴の少年が唐突に叫び、飛ぶように走りだした。
「槍を構えろっ」
戦奴たちに戦闘態勢を命じながら、隼人たちを追い越してゆく剣奴の背には、不釣り合いな長い
童形にして剣を佩くだけでなく、おとなに命令し武器を運ばせる津櫛の剣奴。豊邦の山間の里で戦など知らずに数えで十三まで育った隼人が、これまで会ったことも想像したこともない人間だった。
剣奴の少年は、行列の先頭に追いついた瞬間、剣を抜き放った。磨き上げられた金銅色の
「地面に伏せろっ。体を丸めて、頭をかばえっ」
剣奴の叫びが、自分たちに向けられた命令だと気づいた捕虜たちは、あわてて地べたに
矢が狙っているのは剣奴の少年と戦奴たちだけで、こどもたちは狙われていない。ということは、阿古が襲撃されたことを知った豊邦の
そばの戦奴に剣を預け、弓を受け取った少年剣奴は、立て続けに三本の矢を放つ。あっという間に三人を沈めた。長い弧を描くふつうの弓よりも短く、
少年は剣を持ち直すと、襲いかかってくる賊の群れへと駆けだした。突き出される槍をかわし、低い背をさらにかがめて相手の懐に飛び込み、短い銅剣を横に
次の賊が突き出す槍を背を反らしてよけ、肩をかすめた槍穂の継ぎ目を左手でつかんで引き寄せる。槍をはなせずに前につんのめった賊のあごを、すかさず斜めに蹴り上げた。悲鳴が上がり、賊は割られたあごを押さえてうずくまった。その蹴りたおした男を踏み台にして跳躍し、自分の全体重を剣にのせて次の賊の首筋に叩きつける。
「
隼人のとなりで、やはり顔を上げてようすをうかがっていたサザキがつぶやいた。
サザキの背丈は剣奴の少年よりも高く、里の力仕事で鍛えられた肩や胸は成人なみに厚い。しかし、武器を持ったことのないサザキは、剣奴の少年の闘いぶりにただ
「ありゃ鬼だ」
「鬼の
うしろでも前でも、
剣奴の少年は旋回を続ける
戦奴と襲撃者の、怒号と悲鳴、武器を打ち合わせる音が、耳を
血臭に満ちた空気に、興奮の
「サザキよぅ。おれら、もうずっと奴隷なんかなぁ」
助けが来たと思ったものの、束の間で終わってしまった希望に、うしろで泣き声が上がる。落胆するこどもたちを、サザキが小声で励ますのが、隼人の耳に聞こえた。
「やられたやつら、豊の兵とは帯や鉢巻が違う。豊の民みたいにみずらも結ってなかった。助けじゃなくて、ただのひとさらいだったのかもしれないしさ」
サザキの冷静な観察眼に、こどもたちは失望に顔を曇らせ、不確かな
今まで里にいた農奴のこどもたちと、同じ身分になるのだ。そういえば、かれらはどうなったのだろう。里の外縁に住んでいた農奴たちは、まっさきに襲撃に遭ったはずだ。
「津櫛邦に着く前に逃げ出して、豊邦へ戻れたら助かるかもなぁ。でも、豊邦の
サザキが途方に暮れた声でつぶやいた。
「武器があって、あいつくらい強けりゃ、逃げ切れるかもしれないけど。でも、どこへ逃げていいのか」
ため息をついて愚痴をこぼす。このこどもばかりの虜囚団では最年長の自覚から、サザキはずっとみなを励ましてきた。が、さすがにおとなたちが命を奪い合う恐ろしい光景を目の当たりにして、どうしようもなく声が震えていた。しかも、その中心で返り血を浴びて鬼のように戦ったのが、自分とあまり変わらない年頃の少年なのだ。
怯える捕虜をよそに、剣奴の少年は弓持ちの戦奴とともに死者の服装を
「これを見ろ。鉄だ。槍の穂はすべて青銅のようだが、穂先の型がまちまちで、同じ工房で作られたものはない」
弓持ちの戦奴は、集められた武器の形を確認してうなずく。衣服や金属製の武器に統一性がないのは、かれらが決まった工房を持つ部族の戦奴ではなく、戦死者から武器を拾い集めて武装した、寄せ集めの盗賊であることを示している。
「豊邦の戦奴ではありません」
「
少年剣奴の声に、嫌悪の響きがあった。
「下っ端の戦奴に守られたこどもの捕虜なら、
「海賊どもが。
少年は、足元に転がる
「急ごう。腹が減った」
無表情にそう言うと、返り血を浴びたこともさして気にならないようすで、銅剣についた
運ばれてきた剣奴の鏃を眼にした隼人は、息を
そのかすかな風笛のような音に、剣奴の少年がふりむく。無感動なきつい
「これに見覚えがあるか」
少年の唇の片端が、わずかに上がった。
見覚えどころか、隼人の父が造った鏃だ。隼人の父は、冶金工芸の盛んな豊邦では名の知れた工人で、腕の良い冶金師だ。特にかれが鋳造した鏃はよく飛び、よく貫くともてはやされていた。
隼人は声が震えないように、
「その鏃を造った工人を、殺したのか」
隼人の押し殺した声と、激しさを込めた
「工人は殺さない」
隼人は止めていた息をそっと吐いた。隼人の安堵を冷笑するかのように、少年が付け加える。
「歯向かってこないかぎりはな」
そのひと言に、工房を守ろうとして、目前の剣奴に切り下げられる父や兄の姿が隼人のまぶたに浮かんだ。熱い塊がのど元にこみ上げ、目の前が赤く染まる。
「よくも、とうさんをっ。このやろうっ」
怒りの衝動に駆られた隼人は叫び、剣奴の少年に跳びかかった。こどもたちの悲鳴があがる。
隼人の拳は剣奴には届かなかった。捕虜たちの首をつなげていた縄がかれの動きを阻み、隼人は縄につながれていたほかのこどもたちの重みに地面に引き戻された。急な動きで自分の首が絞まり、縄をゆるめようと激しくもがくものの、爪が皮膚をえぐるだけで、縄と首の間に指をいれることもできない。
呼吸ができず視界が白くなり、意識が飛びそうになったとき、肩を突き飛ばされ、仰向けに地面に叩きつけられた。なにが起きたのかもわからないうちに、首筋に焼けるような痛みが走り、新鮮な空気がのどから胸郭の奥へと一気に流れ込む。
隼人は激しく
銅剣がじゃり、という音を立てて引き抜かれ、剣奴は隼人の肩から足をおろした。
隼人が首に手をやると、縄は切り落とされていた。浅い切り傷から滴る血が、指先にぬるりとまとわりつく。
「奴隷の首縄は、暴れると絞まるようになっている。くくり
剣奴の少年の冷淡な警告は、隼人だけでなく周囲の虜囚たちにも向けられていた。隼人はかすれた声で絞り出すように叫んだ。
「とうさんの鏃を返せっ。この人殺しっ」
首縄から自由になった隼人は、左手に触れた石を握りこんで、剣奴の膝めがけて殴りかかった。
剣奴の少年の動きが速かったのか、窒息しかけていた隼人の動きが緩慢だったのか。隼人の攻撃はあっさりかわされた。剣の腹で拳を打たれ、握りしめていた石を叩き落とされる。
なおも抵抗しようとする隼人に、剣奴の弓持ちをしていた戦奴が槍をふり上げた。なすすべもなく傍観していたこどもたちのなかで、戦奴の殺意を感じ取った史人が、起き上がろうとする隼人をかばう。
「隼人のとうさんは生きている。こんなところで殺されたら無駄死にだ」
普段はおとなしく消極的な史人の、必死の行動に我に返った隼人だが、史人はたちまち戦奴に蹴飛ばされた。別の列にいたサザキが、史人と隼人の名を叫び、こちらへ手を伸ばしたが、かれの首も縄で
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