第一章 剣奴の少年②

 のどの渇きを潤し、意識のはっきりしてきた隼人は、自分の上に影を落とした人物を見上げた。

 まず他の戦奴と違い、裸足でも草履でもなく、粗末ではあるが革のくつを履いている。革のすねあて、膝上丈のつつばかま。身長はそれほど高くない。なにより隼人の目を驚かせたのは、その人物の年頃が自分たちとあまり変わらない上に、腰に剣をいていたことだ。

 隼人の育った阿古の里で目にする武器らしいものといえば、狩猟用の槍か弓矢、まき割り用のおの、祭祀に使われる短剣くらいなものだった。その短剣ですら、神事をつかさどる巫覡たちと賢老衆しか見たり触れたりすることを許されない。工房には鋳型の木剣があったが、父親は隼人たちが狩猟具以外の武器の鋳型に触れることを禁じていた。

 隼人の目は、少年の剣にくぎけになった。剣の長さは持ち主の膝下までで、里を訪れる行商の噂から想像していたものよりも短い。円筒のつかにはなんの模様も打ち出されてはおらず、握りの部分には使い古した革が巻きつけられていた。

「珍しいか」

 水をくれた少年が、剣のさやを握って隼人に声をかけた。太陽を背にしているために、少年の顔は陰になってはっきりとは見えない。

 少年が身に着けた革の胴巻きやは、ひどくくたびれ、ところどころすり切れている。額の鉢巻も薄汚れ、もとの色すらわからなかった。だが、剣を佩いているということは、山里育ちの隼人が噂でしか聞いたことのないひとびと──邦のまつりぬしであり、久慈の四神のまつえいとされるるのくらと、その血族であるといった、貴人に近い身分であると推察される。るのくらに連なる貴人の姿など見たことのない隼人にとって、少年の具足とごうまんな物言いは、充分『高貴』に映った。

「おまえ、ツクシのミコさまか」

 もしこの人物が津櫛の御子ならば、と、隼人は腹の底からのど元までこみ上げてくる怒りに、自分より三、四歳年上と思われる少年をにらみつけた。

 少年はフッとちようしよう混じりの息を吐いた。

「おれはけんだ」

 聞いたことのない言葉に、隼人が少年に抱えていたてきがいしんが一瞬だが薄れる。うしろでぼんやりしている史人にかすれた声でたずねた。

「ケンドってなんだ。戦奴とちがうのか」

 数えで十四歳になる史人は、疲労と恐怖で丸く見開かれた眼をこすりながら、ぶつぶつと口の中でつぶやき始めた。

「剣を佩く戦奴を剣奴と呼ぶ。あるいは捕虜にされたつわものが、剣奴に落とされる」

 史人の答に、隼人はまわりのこどもたちと顔を見合わせた。その優れた記憶力によって里の神子に選ばれ、げきの宮に弟子入りした史人は、隼人たちの知らないことをたくさん知っている。

 人間が集まって里やむらができれば、上下の関係や階級が定まってくる。阿古の里で一番高い権威を持つのは、里の祭祀を行うかんなぎや巫覡で、次が隼人の父や兄などの工人だ。

 阿古にはかんなぎのほかには貴人がいないために、里のおきてや行事は、工人たちが集まって取り決める。その下に、工人たちの口を養うために山間の田畑を耕す農奴がいる。

 さらに山奥には、獣肉を狩人かりうど、果樹や堅果を採集する山人の里があり、時おり阿古の里に下りてきて適当な道具や穀物と交換していった。山奥の住民は阿古の里から昇る煙を見たはずだ。異変に気づいて、豊のるのくらに知らせてくれるだろうか。

 諸邦の大郷でもっとも尊いのは、久慈四神の子孫であり、かつ邦の祭祀長である日留座だ。そして日留座の宗子とその兄弟姉妹は、特に「」と呼ばれて敬われる。代々の日留座に連なる親族を貴人とし、貴人の女子は日留座の宮に仕える巫女となるか、あるいは貴人の妻となる。男子の貴人は神に仕えるげきとなる道を選ぶか、または武器をとるつわものとなる。

 それは豊邦の大郷から遠く離れた阿古の里に育った隼人でさえ、知識としてはいつの間にか学んでいたことだ。しかし、戦奴だの剣奴だのという仕事や階級が存在することを知ったのも、隼人がその目で見たのも、この夜襲が初めてであった。

 隼人に興味をなくしたのか、他のこどもたちに視線を移した少年剣奴の顔に陽が当たる。両眼の下、日焼けした頰骨の上に二本ずつ彫り込まれた鎌形の刺青いれずみがはっきりと見えた。他の戦奴には頰の上に一本ずつあるだけだ。刺青の数はいくさ奴隷の階級を示すのだろうか。隼人はあごをぐっと上げて、ふたたび少年に話しかけた。

「おまえの名は?」

 針のように細く切れ上がったまぶたの隙間から、黒い瞳が鋭く隼人を見おろした。

「知ってどうする」

 小柄で声もそれほど低くなく、ひげもなくつるりとした頰はまだ少しふっくらとしているにもかかわらず、隼人たちの里を襲った男たちと同様に冷たい瞳だった。

 この少年が、かつては貴人から選ばれるという兵であり、いまは戦奴隷に落とされた剣奴であるというのなら、髪型もみずらを結わぬ童形であるのにかかわらず、ほかの戦奴よりもよい身なりで、人を見下した態度にも説明がつく。

 冷酷な目つきのこの剣奴が、逃げ惑う里のひとびとを追い詰め、手にかけたのだと、隼人は先ほど感じた怒りよりもさらに激しい衝動に、めまいと吐き気さえ覚えた。

 隼人の胸中の嵐を無視するように、休憩は短く切り上げられた。捕虜の少年たちは、先を急ぐ戦奴たちに追い立てられる。

「止まれっ」

 新緑の森に近づくころ、それまで後尾を歩いていた剣奴の少年が唐突に叫び、飛ぶように走りだした。

「槍を構えろっ」

 戦奴たちに戦闘態勢を命じながら、隼人たちを追い越してゆく剣奴の背には、不釣り合いな長いゆぎが上下に揺れる。その後を槍と短い弓を抱えた戦奴が追いかけていった。

 童形にして剣を佩くだけでなく、おとなに命令し武器を運ばせる津櫛の剣奴。豊邦の山間の里で戦など知らずに数えで十三まで育った隼人が、これまで会ったことも想像したこともない人間だった。

 剣奴の少年は、行列の先頭に追いついた瞬間、剣を抜き放った。磨き上げられた金銅色のやいばが陽光をはじき返したと同時に、乾いた枝の折れるような鋭い音が、隼人たちの耳を裂いた。剣奴の少年がすさまじい速さで、飛来した矢を剣でたたき折ったのだ。八人の戦奴は、捕虜を囲んで槍を構え、矢の雨に備える。

「地面に伏せろっ。体を丸めて、頭をかばえっ」

 剣奴の叫びが、自分たちに向けられた命令だと気づいた捕虜たちは、あわてて地べたにいつくばった。首に結わえられた縄のために、ほかのこどもたちに引きずられるようにして隼人も四つん這いになる。しかし、頭を抱えたところで、体に矢が当たればそれまでだ。そう考えた隼人は地面に伏せたものの、顔は上げて剣奴の少年の姿を追った。

 矢が狙っているのは剣奴の少年と戦奴たちだけで、こどもたちは狙われていない。ということは、阿古が襲撃されたことを知った豊邦のるのくらが、捕虜になった隼人たちを助けるために兵を出したのかと胸が躍った。

 たけびを上げながら、行く手の森の奥から二十人を超える襲撃者たちが躍り出た。

 そばの戦奴に剣を預け、弓を受け取った少年剣奴は、立て続けに三本の矢を放つ。あっという間に三人を沈めた。長い弧を描くふつうの弓よりも短く、ひようたんを半分に割ったような奇妙な形の弓から放たれる短い矢は、おそろしい速さで直線に飛び、やじりの頭が胸から背中まで貫通する威力を持っていた。

 少年は剣を持ち直すと、襲いかかってくる賊の群れへと駆けだした。突き出される槍をかわし、低い背をさらにかがめて相手の懐に飛び込み、短い銅剣を横にぎ払って走り抜けた。一瞬にして腹をぱっくりと裂かれた賊は、槍を放りだし、血の噴き出す傷口からはみだしてくる中身を両手で押し戻そうとする。

 次の賊が突き出す槍を背を反らしてよけ、肩をかすめた槍穂の継ぎ目を左手でつかんで引き寄せる。槍をはなせずに前につんのめった賊のあごを、すかさず斜めに蹴り上げた。悲鳴が上がり、賊は割られたあごを押さえてうずくまった。その蹴りたおした男を踏み台にして跳躍し、自分の全体重を剣にのせて次の賊の首筋に叩きつける。けい動脈からほとばしる血しぶきが降りかかる前に、剣奴は地面に着地した瞬間には次の獲物を求めて走り出していた。

つえぇ」

 隼人のとなりで、やはり顔を上げてようすをうかがっていたサザキがつぶやいた。

 サザキの背丈は剣奴の少年よりも高く、里の力仕事で鍛えられた肩や胸は成人なみに厚い。しかし、武器を持ったことのないサザキは、剣奴の少年の闘いぶりにただぜんとするばかりだ。

「ありゃ鬼だ」

「鬼のわらわだ」

 うしろでも前でも、きようがくに震えるささやきが交わされた。隼人は剣奴の少年の動きを目で追うのに精一杯で、かれらに同調している余裕はなかった。

 剣奴の少年は旋回を続けるつばめのように鋭く切れのある動きで、賊の腹や首を斬り裂いてゆく。そのたびに宙空に飛び散る鮮血が、大小無数の弧を描いた。

 戦奴と襲撃者の、怒号と悲鳴、武器を打ち合わせる音が、耳をろうする。津櫛の戦奴の倍はいたはずの襲撃者がすべてたおされるのに、それほど時間はかからなかった。

 血臭に満ちた空気に、興奮のめぬ津櫛の戦奴たちは、賊のしかばねあさって武器や防具、価値のありそうな護符を奪いだした。

「サザキよぅ。おれら、もうずっと奴隷なんかなぁ」

 助けが来たと思ったものの、束の間で終わってしまった希望に、うしろで泣き声が上がる。落胆するこどもたちを、サザキが小声で励ますのが、隼人の耳に聞こえた。

「やられたやつら、豊の兵とは帯や鉢巻が違う。豊の民みたいにみずらも結ってなかった。助けじゃなくて、ただのひとさらいだったのかもしれないしさ」

 サザキの冷静な観察眼に、こどもたちは失望に顔を曇らせ、不確かなあんにため息をついた。隼人だけは、どっちにしてもにされるんじゃないか、と奥歯をんだ。

 今まで里にいた農奴のこどもたちと、同じ身分になるのだ。そういえば、かれらはどうなったのだろう。里の外縁に住んでいた農奴たちは、まっさきに襲撃に遭ったはずだ。

「津櫛邦に着く前に逃げ出して、豊邦へ戻れたら助かるかもなぁ。でも、豊邦のるのくら様が弱くなって、おれらを守れなくなったから、里が襲われたんだろ」

 サザキが途方に暮れた声でつぶやいた。

「武器があって、あいつくらい強けりゃ、逃げ切れるかもしれないけど。でも、どこへ逃げていいのか」

 ため息をついて愚痴をこぼす。このこどもばかりの虜囚団では最年長の自覚から、サザキはずっとみなを励ましてきた。が、さすがにおとなたちが命を奪い合う恐ろしい光景を目の当たりにして、どうしようもなく声が震えていた。しかも、その中心で返り血を浴びて鬼のように戦ったのが、自分とあまり変わらない年頃の少年なのだ。

 怯える捕虜をよそに、剣奴の少年は弓持ちの戦奴とともに死者の服装をあらためる。賊の矢を拾い上げ、屍の衣で鏃の血をふき取って部下の戦奴に見せた。

「これを見ろ。鉄だ。槍の穂はすべて青銅のようだが、穂先の型がまちまちで、同じ工房で作られたものはない」

 弓持ちの戦奴は、集められた武器の形を確認してうなずく。衣服や金属製の武器に統一性がないのは、かれらが決まった工房を持つ部族の戦奴ではなく、戦死者から武器を拾い集めて武装した、寄せ集めの盗賊であることを示している。

「豊邦の戦奴ではありません」

じんの奴隷狩りが、こんな山奥まで来るようになったのか」

 少年剣奴の声に、嫌悪の響きがあった。

「下っ端の戦奴に守られたこどもの捕虜なら、よこりも楽だと思ったのでしょうな。あごから首にかけてうろこの刺青があるところを見ると、南海倭族の一派かと」

「海賊どもが。わにおかに上がるとこうなる」

 少年は、足元に転がるがいの頭をつま先で蹴りつける。竹の水筒に口をつけてうがいをし、砂埃の混じった唾とともに吐き捨てた。

「急ごう。腹が減った」

 無表情にそう言うと、返り血を浴びたこともさして気にならないようすで、銅剣についたのりを賊の衣でぬぐい、二人の戦奴に自分の矢の回収を命じた。

 運ばれてきた剣奴の鏃を眼にした隼人は、息をんだ。

 そのかすかな風笛のような音に、剣奴の少年がふりむく。無感動なきついまなじり、切れ込んだ細い両眼が隼人に向けられる。隼人の脇にじっとりとした汗が流れた。矢を受け取った少年が近づいてきて、赤く汚れた鏃を隼人の貫頭衣のすそいた。

「これに見覚えがあるか」

 少年の唇の片端が、わずかに上がった。

 見覚えどころか、隼人の父が造った鏃だ。隼人の父は、冶金工芸の盛んな豊邦では名の知れた工人で、腕の良い冶金師だ。特にかれが鋳造した鏃はよく飛び、よく貫くともてはやされていた。

 隼人は声が震えないように、こぶしを握りしめた。

「その鏃を造った工人を、殺したのか」

 隼人の押し殺した声と、激しさを込めたまなしに、剣奴の少年は口をまっすぐ横に引いてわずかにじりを下げる。

「工人は殺さない」

 隼人は止めていた息をそっと吐いた。隼人の安堵を冷笑するかのように、少年が付け加える。

「歯向かってこないかぎりはな」

 そのひと言に、工房を守ろうとして、目前の剣奴に切り下げられる父や兄の姿が隼人のまぶたに浮かんだ。熱い塊がのど元にこみ上げ、目の前が赤く染まる。

「よくも、とうさんをっ。このやろうっ」

 怒りの衝動に駆られた隼人は叫び、剣奴の少年に跳びかかった。こどもたちの悲鳴があがる。

 隼人の拳は剣奴には届かなかった。捕虜たちの首をつなげていた縄がかれの動きを阻み、隼人は縄につながれていたほかのこどもたちの重みに地面に引き戻された。急な動きで自分の首が絞まり、縄をゆるめようと激しくもがくものの、爪が皮膚をえぐるだけで、縄と首の間に指をいれることもできない。

 呼吸ができず視界が白くなり、意識が飛びそうになったとき、肩を突き飛ばされ、仰向けに地面に叩きつけられた。なにが起きたのかもわからないうちに、首筋に焼けるような痛みが走り、新鮮な空気がのどから胸郭の奥へと一気に流れ込む。

 隼人は激しくあえき込みながら、涙でゆがんだ視界を染めるあおい空と、その空を背景に自分の右肩を踏みつけて立つ黒い人影を見上げた。視界の端、ひりひりと痛む首の真横で、地面に突き立てられた銅剣の刃が陽光を反射している。

 銅剣がじゃり、という音を立てて引き抜かれ、剣奴は隼人の肩から足をおろした。

 隼人が首に手をやると、縄は切り落とされていた。浅い切り傷から滴る血が、指先にぬるりとまとわりつく。

「奴隷の首縄は、暴れると絞まるようになっている。くくりわなと同じだ。自分でほどくことはできない」

 剣奴の少年の冷淡な警告は、隼人だけでなく周囲の虜囚たちにも向けられていた。隼人はかすれた声で絞り出すように叫んだ。

「とうさんの鏃を返せっ。この人殺しっ」

 首縄から自由になった隼人は、左手に触れた石を握りこんで、剣奴の膝めがけて殴りかかった。

 剣奴の少年の動きが速かったのか、窒息しかけていた隼人の動きが緩慢だったのか。隼人の攻撃はあっさりかわされた。剣の腹で拳を打たれ、握りしめていた石を叩き落とされる。

 なおも抵抗しようとする隼人に、剣奴の弓持ちをしていた戦奴が槍をふり上げた。なすすべもなく傍観していたこどもたちのなかで、戦奴の殺意を感じ取った史人が、起き上がろうとする隼人をかばう。

「隼人のとうさんは生きている。こんなところで殺されたら無駄死にだ」

 普段はおとなしく消極的な史人の、必死の行動に我に返った隼人だが、史人はたちまち戦奴に蹴飛ばされた。別の列にいたサザキが、史人と隼人の名を叫び、こちらへ手を伸ばしたが、かれの首も縄でくくられているために、かばうどころか手も届かない。

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