第一章 剣奴の少年③

 至近距離からおのれに向けられた槍をよけることもできず、隼人は目をつぶった。

 槍先が胸を貫く痛みを覚悟した隼人だが、周囲のざわめきのほかにはなにも感じられない。そっと目を見開くと、剣奴の少年が槍をふり上げた戦奴の腕を押さえていた。

「剣奴に逆らったのですよ。掟どおり、殺さなくていいのですか」

 困惑して問いかける年上の戦奴に、少年は淡々と答える。

「邑に着くまでは、捕虜は掟のらちがいだ。勝手に殺したら、おれたちが責められる」

 不満そうに槍をおろす戦奴に、剣奴の少年は捕虜の首縄をつなぎ直すことを命じた。隼人の縄を切ってしまっただけでなく、隼人の動きに巻き込まれて、前後にいたこどもたちの首縄もきつくなってしまったからだ。

 ふたたび隼人ににじり寄った史人が、自分の衣の裾を裂いて、隼人の首を濡らす血をぬぐい、止血のために首に巻いた。

「短気を起こしたらだめだ。隼人」

「でも、あいつがとうさんの鏃を……」

 声をつまらせて訴える隼人に、史人は根気強く言い聞かせる。

「隼人の縄はとても固く締まっていたんだ。あと少しでもあの剣奴の縄を切るのが遅れたり、剣をふりおろす手元が狂っていたら、隼人は助からなかったろう」

 命を救われたからといって、父の鏃を奪い里を焼き払った相手に感謝などできるはずがない。しかし、仲間たちに及ぼす災難を思えば、それ以上はなにも言えなかった。史人の必死の説得に、隼人は身内にくすぶる怒りを強いて押し殺し、戦奴のかける縄をおとなしく首に受けた。

 捕虜たちのようすを見回り終えた剣奴の少年が、隼人の前で立ち止まった。緊張で身を硬くする隼人を、少年は冷然と見下ろして尋ねた。

「おまえの名は」

 隼人は一瞬だけためらったものの、まっすぐ少年の目を見上げて名乗った。

「隼人」

 剣奴の少年は、細目で隼人と周囲のこどもたちを見比べた。

 隼人の心臓が早鐘を打つ。色白で面長の阿古のこどもたちと異なり、浅黒い肌、丸顔で彫りの深い目鼻立ちの隼人は、こうした他郷者の反応には慣れていたが、毛色の違う隼人をかばってくれる両親や兄のいないこの場では、どんな扱いを受けるか予測がつかない。

 隼人に視線を戻した少年剣奴は、空を仰いで虚空を舞う影を指さした。

 地上を満たす血の匂いに誘われたもうきんが翼を広げ、ぬけるように高い空を旋回している。

「ハヤブサの隼人か」

 それまで単調で冷淡であった剣奴の声音に、かすかな興味がにじんでいた。少年は返答をためらう隼人のようすを気にも留めず、右手を自分の胸まで上げ、ひどく素晴らしいことを宣言するように、息を吸い込んだ。

「おれはタカシだ」

 そして、ふたたび空を見上げた。

「オオタカのたか


 幼い阿古の捕虜たちが目的地に着いたのは、日も暮れかかったころだった。

 阿古の里よりも数倍の大きさの、谷を背にしたせまい平地の邑は、不気味なものにぐるりと囲まれていた。

「なんだ、あれ」

 こどもたちのひとりが怯えた声でつぶやいたが、誰も答えられない。

 先をとがらせた丸太の先端を、外側に向けて地面に斜めに突き立て、さくで支えて並べたそれが、さかと呼ばれる防壁だと知るこどもは、阿古の里にはいなかった。

 邑の入り口にはやぐらがあり、二人の戦奴が周囲の山野を見張っていた。櫓の四隅には青く細い旗が風になびいている。

 丸太をいかだのように並べた厚い門は、行列が近づくと内側から重たげにゆっくりと開いた。おとなが五人がかりで開けた門は、一行が中に入ると閉ざされた。

 邑の入り口には篝火がかれ、円く掘り下げた地面の上に、藁をいた屋根をかぶせた伏屋型の住居が、等間隔に並んでいた。

 こどもたちは門の内側に入るなり、糸の切れた人形のようにつぎつぎに地面に崩れ落ちた。

 固まって座り込むこどもたちの前に、十人のきゆうを従え、白と赤の衣をまとった女性が近づいてきた。こどもたちは口をあんぐりと開けたまま、目の前に立つ華やかな女性と、奥のくるわで貴人に仕える小ぎれいな宮奴たちを見上げる。

 女性は胸に青玉と赤玉を交互につらねた首飾りを下げ、腰の帯には手のひらに収まるほどの円い銅鏡を赤い紐で結わえつけていた。浅緑の細長いを肩からかけ、かかと丈の腰巻きの上に、大きなひだをとった膝までの赤いを重ねている。前髪はあかね色の長鉢巻で押さえられ、背中に流れるつややかな黒髪は膝まで届く。前でえりを重ね合わせるそでの長いあわせごろもは、床の高い建物に住む貴人が着るものだ。

 色彩をぜいたくにまとった貴人の姿を初めて目にした小さなこどもたちは、その鮮血を思わせる赤裳の鮮やかさにぼうぜんと魅せられた。

くすさま。おそくなりました」

 鷹士が膝をつき、両手を地面につけて顔を伏せる。戦奴たちも同じように地べたに這いつくばって礼をした。

「おかえり、鷹士。こどもたちの怪我は」

 ほどよく落ち着いた高めの声は、二十代にさしかかった年頃と思われた。

「軽い怪我をしたものが数人います」

「では手当てをさせましょう。縄をほどきなさい」

 水を張ったたらいが運ばれ、宮奴の女たちがこどもたちの足を洗い始めた。傷に入り込んだ砂利を取り除かれる痛みに暴れ、両手両足を押さえつけられて泣き叫ぶ子もいる。

 薬女はひとりひとりを診たのち、薬草を煮だした湯に傷口を浸すよう指示する。隼人の首の傷も、白く滑らかな指であごを持ち上げられ、念入りに状態を診られたのち、控えていた宮奴に、刀創に使う薬の指示が出された。

 のう止めの薬湯は傷にみたが、隼人は声を出さないよう歯を食いしばる。それが終わると、こどもたちは順番になんこうをのばした布を傷口にあてられ、包帯を巻かれた。

「やけどを負ったものが五人います。やけど用の軟膏を調合しましょう。鷹士、あとで薬房にとりにきなさい」

 鷹士は両手を顔の前で組んで頭を下げ、立ち去る薬女の背を目で追ったあと、こどもたちに立ち上がるように命じる。

 それからこどもたちは炊き場へ連れて行かれた。炊き場のぞうから、あわと細かく刻んだ青菜、塩漬けのわらびと豆の入ったかゆ汁をひとわんずつ渡される。こどもたちはふうふうと湯気を吹きながら、その日ようやくありついた食事を、小さく縮んでしまった胃に流し込んだ。

 食事を終えるとすぐに、邑の外縁に近い藁屋根の伏屋に詰め込まれた。かれらを案内した戦奴は、黄色い歯をむきだして笑いながら脅した。

「さっさと寝るんだ。明日から仕事がたくさんあるんだからな」

 床に敷かれた藁のむしろの上に身を寄せ合いながら、こどもたちは不安そうに闇を透かして、閉ざされた入り口を見つめた。

「ここが津櫛邦か」

 隼人が誰に訊くともなくつぶやいたが、答えられるものはいない。

「逃げられないかな」

 独り言のようにつぶやきながら、隼人は戸口に這って行った。粗末な板戸を背中で押してみたが、びくともしない。

「この邑の周りに張りめぐらされていた、尖った木の柵を見たろ。逃げようとしても、あれをよじのぼってる間に矢を射かけられるのがおちだよ」

 サザキが突き放すように言い終わると同時に、誰かがくしゃみをし、はなをすすり上げた。小さな子が親や子守姉を呼びながら泣き出す。

 天井の中心にある煙出しの小さな穴から、昇り始めた月の光が一条、射し込んできた。幼いものはうつらうつらし始めている。得体の知れない焦燥に駆られた隼人は、勢いをつけて背中を板戸にごんごんとぶつけてみた。

 その戸が突然、外へ向かって開かれた。隼人は背中を戸に打ちつけていた勢いのままに倒れて、頭を打つ。

 月明かりの下に、仰向けにひっくり返ったまぬけな姿をさらす隼人を、冷たく見おろしているのは剣奴の少年だ。昼間の返り血に汚れた服のまま足を広げて立っている姿は、伝説に聞く鬼の童のようであった。

「邪魔だ、どけ」

 呆然としている隼人の肩を、鷹士はつま先で小突いた。硬いものが肩に当たり、軽く突かれただけなのに鋭い痛みが走った。昼間、鷹士に踏みつけられたことや、その沓で蹴られてあごを砕かれた賊のことを思い出し、隼人は屋内に引っ込んだ。鷹士が顔だけを入り口からのぞかせて、こどもたちに呼びかけた。

「やけどしたものだけ外に出ろ」

 五人のこどもたちがぞろぞろと外に出て、戸の周りに座り込んだ。屋内に残されたこどもたちは、積み上げられたうりのように戸の枠に顔を並べて外のようすをうかがう。

 鷹士はやけどをしたこどもの前にあぐらをかき、無言で手当てを進める。その鷹士に、隼人は思い切って質問を浴びせた。

「ここは津櫛の大郷か」

 サザキが衣の裾を引いて止めようとするのも意に介さず、隼人はさらに前に出た。

「おれたちのとうさんやかあさんはどこいったんだよ。おれの妹は生きてんのか」

 鷹士の無反応さに隼人の気が高ぶってきた。声が大きくなる。

「おれたちの里で何人殺したんだ」

 無謀な隼人の挑戦を止めようと、サザキが隼人の肩をつかんで奥へ引きずり込む。

 手当てを終えた鷹士は立ち上がった。戸を閉じるため、顔を出していたこどもたちを押し戻そうとしたが、サザキの手をふり切った隼人が戸を押し返した。

「ずっとこん中にいろってのか、臭いもん出たらどうすんだよ」

 鷹士は手を止めて、少し考えたようだった。

「あとで戦奴をよこす」

 短くこたえ、隼人には押し返せない力で戸を閉め、つっかえ棒をして行ってしまった。

 サザキがいらった声を上げながら、隼人の肩を揺さぶった。

「なんであんな生意気な口をきくんだ。殺されるぞ」

 なぜと訊かれても、隼人には説明できなかった。鷹士が怖いのは隼人も同じだが、かれの持っていた父の鏃が忘れられない。史人は隼人の父親は生きていると言ったが、確かめるすべはない。隼人は込み上げる涙を我慢するために深く息を吸い込み、吐き出してから別のことを答えた。

「あいつの沓には、なんか硬くて尖ったものが仕込んであるんだ。だから蹴られたやつが一発でたおされちまったんだな。蹴られないように気をつけろよ」

 隼人に念を押されなくても、鷹士の足の届く範囲に行きたいと思うものはいなかった。

 沓を履くのは、板の床を張った家に住む貴人や巫覡くらいなものだと、隼人はこれまで思っていた。史人が神子の務めで宮室を出入りするときは、泥が入らないように外で沓を履くが、隼人たちと遊ぶときは裸足だ。

 木と布で作られた巫覡や神子の沓では走ることはできないが、鷹士の革沓はぴったりとかかとまで包み込む上に、武器まで仕込まれている。鷹士のような少年にまで、誰かと戦うための備えを身に着けさせている津櫛邦というのは、いったいどういうところなのだろう。

 隼人は想像できないまま、ぶるりと身を震わせた。

 少しして、戦奴のひとりがこどもたちを外縁の側溝に連れて行って用を足させた。

 月は中天に昇り、天の川がいつもと同じように輝いている。見上げる夜空はいつも通りなのに、地上では居場所を奪われたこどもたちが、落ちた星のように、心細く寄り添っている。

 伏屋に戻されたかれらは、疲れきった体を地面に横たえると、瞬く間に眠りに落ちてゆく。隼人も横になってまぶたを閉じたが、闇の中で睡魔を払う風に名を呼ばれた気がして、ひじをついて上体を起こした。

 かたわらにひとの気配がする。誰かの温かく乾いた手が、隼人の首の傷に触れていた。

 煙出しの穴から差し込む、かすかな月の光に浮かぶ姿は史人であったが、まぶたは閉じられ、かんした頰も口元も眠っているようにしか見えない。

 隼人の首を撫でる手つきも、無理に操られ、動かされているかのようなぎこちなさだ。

「史人……じゃ、ない。影すだま、だな」

 神子として修行を始めて間もない史人に、ときおり起こる現象であった。

 魑魅すだまとは、山林の精が凝ったものであるとも、体からさまよい出た人のこんぱくであるともされている。祭りやぼくせんのときにはよりましとして神霊を降ろす役割を務める史人だが、ときに神ではないモノのすだまにもひようされてしまうことがある。

 得体のしれない魑魅にとりかれたら、修行を積んだ霊力のあるかんなぎはらってもらわなければならない。しかし、隼人は落ち着いて史人の手首を押し上げ、史人の体を動かしているモノに話しかけた。

「たいした傷じゃない。いちいち見にくるなよ」

 史人はかすかに首をふって、目を閉じたまま顔をゆがめ、片手を胸に当ててかすれた声でささやいた。

「ここも、ひどく痛む。ときどき、息も、できないくらいに」

 風穴の彼方から聞こえてくるかのような影すだまの声は、史人のものではない。むしろ隼人自身の声に近かった。隼人はつぶやき声で応える。

「里が焼かれて、たくさん殺された。妹が連れていかれて、とうさんやかあさんたちがどうなったかも、わからない」

 言葉にしてしまったために、昨夜の襲撃と燃え落ちる里の光景と、この日剣奴に踏みつけられて味わった屈辱がよみがえる。隼人は胸の張り裂けそうな痛みに顔をしかめた。こみ上げるえつをこらえる。

 史人が手を伸ばし、手のひらを隼人の胸に当てた。そして、隼人とよく似た声で、なにか低くつぶやいた。史人の手に吸い取られるように、胸と首の痛みが薄れてゆく。

 隼人の胸のつかえが楽になると、史人が深い溜息をもらすのが聞こえた。そのまま体を横たえる気配を感じる。

 影すだまの気配が薄れてゆき、伏屋の空気中に残ったのは、史人やこどもたちの寝息だけとなった。

 隼人が耐え難い痛みを受けるたびに現れては、その痛みを吸い取ってゆく影すだまの存在を最初に感じたのは、六歳を過ぎたころだ。

 誰の思いつきだったのか、作物を荒らす猪をこどもたちだけで捕まえようという、無謀なたくらみに加わったときのことだった。他郷からのもらわれ子であることと、情動が不安定で気が昂ぶると泣き出してしまう性質のために、ほかのこどもたちから侮られやすかった隼人は、こうした勇気を試される誘いを断れなかった。

 本来はウサギを捕まえるためのくくり罠に猪がかかったことに、こどもたちは興奮した。まだきばの生えたての若猪であったから、おとなに頼らずとも捕まえられると年長のこどもが判断した。結果、細縄を引きちぎった手負いの猪に追われて、隼人を含め数人のこどもたちが大けがをしてしまう里の大事件となった。

 その夜、麻布でほぼ全身をぐるぐる巻きにされた隼人が、動くこともできず伏屋の片隅で横になっていると、彼の足もとにわだかまる影があった。やわやわとした得体のしれないものに怯えた隼人は、その影がゆっくりと身を起こして、猪の牙にえぐられたふくらはぎを撫でていくのをじっと見ているしかなかった。

 影が撫でたところから、一日中隼人を苦しめたずきずきする痛みが引いてゆく。猪から逃れたときに、木の根につまずきたおれて岩に打ちつけた顔や太腿、谷を転げ落ちてゆくときに枝で傷つけた肩と背中、岩盤に着地しそうになって手をつきねんした手首を、影はゆっくりと撫でていった。

 痛みを吸い取られる気持ちよさに、やがて隼人は深い眠りにつくことができた。

 影は、それからも隼人が大けがや大病をすると現れた。史人が神子となってからは、その口を借りて話しかけるようになり、会話らしきものもできるようになったが、その正体を訊ねて答を引き出すほどには、長居してゆくことはなかった。

 隼人がこの得体のしれぬ訪問者について相談したとき、史人はこう応えた。

けがれは感じないから、死者の霊ではないよ。意識がはかなすぎてよくわからないけど、かすかな哀しみと、祈りのようなものを残していく。ゆうこんの術が使える誰かが、遠くから隼人のことを見守っているんじゃないかな』

 自分の生霊すだまを飛ばせるじゆりよくを持つ人間など、そうそういるものではない。もしかしたら、隼人の実の両親が、異能の巫覡に隼人を捜させているのではと、史人は考えた。

『里のかんなぎ様に、相談してみたらどうかな』

 自分がもらい子であることを知っている隼人だ。その影すだまの正体が気にならないはずがない。しかし、隼人を訪れる影すだまは、ただ見守っているだけだ。あちらから隼人を捜しだそうとか、隼人を呼び寄せようとする意思は感じ取れない。

 隼人は阿古の父母に心配をかけるからと、里の巫に話すことは断った。そして、このことは誰にも口外しないようにと史人に頼んだのだ。

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