第36話 全然、気にしないですよ?

「…夜は動物とかも、出てきそうですね」


 男の後ろについて、木目の美しい階段をトントンと登りながら、澪は尋ねた。


「出ますよ。鹿とか、イノシシとか、いろいろと」


 男は穏やかに返したあと、二階の一室のドアを開け、澪を招き入れた。


「こちらの部屋を、使っていただけますか?」


 部屋の3つあるベッドのうち、男は手前のベッドスプレッドを折り畳んだ。


「ベッド、大きいですね」


 澪は率直な感想を述べた。


 木製家具で統一された部屋に、ベッドはかなりのスペースをとっていた。


「私も弟も長身なので、普通のシングルベッドだと、足先が出ちゃうんですよ」


「なるほど。このベッドは、弟さんの?」


「そうですね。弟とか、海外の友人とか、…私も使ったり…。すみません、他人のベッドを使うのは、お嫌ですよね…」


 男は、申し訳なさそうに言った。


「全然、気にしないですよ?」


「今夜、葵たちが泊まる予定をしていたので、シーツ類は交換されています。向かいの部屋は、ドアノブが壊れてしまって、鍵がかからないんです…」


 口調が少し!早くなった男に、


「てっきり、下にあった寝袋だと思っていたので、ベッドをお借りできるなんてありがたいです」


 澪は、最大級の笑顔で答えた。


 十分すぎる待遇だった。

 ウチなんか、帰宅するとリビングのソファで、弟が見知らぬ女とヤってますなんて、低俗すぎて口が裂けても言えない、と澪は思った。


「今日はお疲れでしょう。リビングでもこちらでも、自由にくつろいでもらえたら」


 男はホッとした表情を浮かべて言った。澪が礼を伝えると、部屋を後にして、階下へ降りていった。



 澪は、胸に手を当て、ふぅっと息を吐いた。動転しすぎて酸欠気味だ。

 深呼吸をして落ち着かせた後、澪は両耳のピアスを外して、チェストの上に置いた。

 一つは留め具だけ、一つは形をとどめていたものの、翡翠に痛々しくひびが入っていた。


(ごめん。私の身代わりに、なってくれたのね…)


 澪は両手を合わせ、深く謝罪し、感謝した。


 明日旅館に戻ったらすぐ、本家へ連絡し、東京へ帰ろうと思った。


 能力がないことへの後悔は、もうしたくなかった。

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