第33話 遺伝的な疾患

「私は、そんなできた人間ではありません。実を言うと、女性の方が…、その、…苦手でして…」


「えっ、意外です。私とも、普通にお話されてるから…」


 男の言葉は、にわかに信じがたかった。

 救助からこれまで、確かに口数は少ないにしても、女性の扱いは手慣れているように見えた。


「ますみさんは、お話しやすいのですが、今も、…かなり、緊張しています」


 男は口に手を当て、目線を落とした。白々しい雰囲気は全くなかった。


「話しやすいって、初めて言われました。一応理系だからでしょうか…。そんな、こじらせちゃうほどの結婚詐欺とか、酷い目に遭ったんです?」


「いえ。…何というか、これまで、特定の女性と付き合ったことはないので…」


 澪は、うつむく男を見て、大きく瞬きした。


「えぇっ、その容姿で? 信じられない…。…あの、…もしかして、……だっ…、あ、…いえ、………なんでもないです」


 澪も口ごもって、あぁ、なるほど、だからかと勝手に深く納得した。


「ちなみに、男性はそういった対象ではありません」


「…そうですか。失礼しました」


 澪はバツ悪くうなずいたが、そうかも知れないし、そうじゃないかも知れないと思った。男の表情は穏やかだが、変化が少なすぎて、感情が読みにくい。


「今年三十ですし、そのような誤解もあってか、両親からは身を固めろと、よく見合い話をもらいますね」


「お見合い…。どんな感じですか?」


 澪は単純な興味から聞いた。見合いどころか、コンパもオフ会も、参加したことがない。


「我が家の場合、お相手は家同士の付き合いがある女性です。両親も交えて食事の席を設けることがあるのですが…」


 澪は話を聞きながら、自分が見知らぬ一家と対峙する場面を思い浮かべた。


 例えば、料亭の一室。美しくしつらえられた空間に、着慣れぬ振袖なんぞを着て座る自分がいたとする。


 奇跡的に両親の帰国に合わせたとしても、母は相手ガン無視で研究論文を片手にブツブツ言いながら考え込み、父はその隣で、永久的にニコニコしているのだろう。


 見合いの途中、母が料理を「美味しい」と一言、言おうものなら、父は料亭の厨房へ消える。弟は論外だ。来ない。


(…破談しかないじゃないか。なんの罰ゲームだ、これは)


「ウチじゃ考えられないわ…。その時の、ちょっとした会話だけで、お相手を判断するわけですよね?」


「そうですね。一度付き合ってから考えるよう促されますが、相手を余計に傷つけそうなので、お断りさせてもらう。すると、誤解が深まり、さらに見合い話が持ち込まれるわけです」


「なんとも、お気の毒に…。周りから急き立てられて動く感情ではないから、仕方ないと思います。お相手に悪いと思い描く時点で、あなたの答えは、もう出てるもの」


 澪の返しに、男は少し考えこんだ。


「…何というか、ここだけの話、私の家系の場合、特殊な子どもが産まれる可能性があるんです」


 神妙な顔で男が口にした、『特殊な子ども』。澪の脳裏に引っかかった。 


「なにか、遺伝的な疾患、ということですか?」


 澪が顔を少し傾けると、男は少し間を置いて小さくうなずいた。


「…そうですね。それを理解した上で、我が家とご縁を結ぼうとしていただいている女性に対して、礼を欠くわけにはいかない事情がありまして…。嫌いでないのなら、とりあえず受けろと、特に父からは言われます。関係性を重んじる人なので」


 男の穏やかな微笑みの奥には、深い葛藤がにじんで見えた。


「恋愛において礼儀を通すことは、自分の気持ちを二の次にして、相手を立てることではないと思います」


 口から出た正論は、自分の耳にすら軽く聞こえた。


 自分の父なら、縁談を「とりあえず受けろ」だなんて、口が裂けても言わないだろう。けれど、辰巳家の存続を切に願う父の気持ちは、無意識的に汲んでいた。強烈に、それこそ、脅迫観念のようにはっきりと。


「…って、言ったところで苦しいですよね。あなたと同じ重さではないですけど、私も家族の期待を勝手に写し取って、自分から湧き出た感情のように、納得させがち、です…から」


 そこまで言って、澪は気づいてしまった。


(そうか。私、言えなかったんじゃない。言わなかったんだ)


 辰巳の能力、このとんでもない責任を、これまで付き合った男に、言及したことはなかった。


 心の奥底では決めていたんだと、澪は今さらながらに気がついた。自分一人で生きていくのだと。修一と生きていく未来を描いてはいなかった。


「あなたの判断は、きっと間違っていないと思います。私、三年付き合った人がいたんですけど…、彼には、これといって嫌いなところ、なかったんです。でも、特別惹かれていたわけでもなくて、惰性で付き合っていたら、結局彼の浮気で別れました。悲しいとかじゃなくて、虚しさしか残らなかったです」


「…」

 男は無言のまま、じっと澪を見た。


「自分の気持ちをないがしろにした結果は、ろくなもんじゃなかった。何かが違うって、心が訴えてるのに、ずるずる続けるのだけは、もうやめようって思ってます。…単なる、反省なんですけどね」


 余計なお世話だろうが、目の前の男には、自分と同じ轍を踏んでほしくなかった。


「ますみさんは、ご経験された上での結論なので、説得力があります」


「でも、付き合ってみたら意外と相性がいい、っていう展開になるかもしれませんし、難しいですよね。恋愛は、心変わりすら醍醐味でしょうから。…答えがないわ」


「確かに、車の運転のようにコントロールできるものではないですね。遺伝がどう、というより、私自身の問題です。弟たちには、大切な女性がいますから」


「兄弟で比べられちゃうと、余計にプレッシャーですね。慎重になるのも、当然かと思います」


「ますみさんは、優しいですね」


 言うと男は、柔らかに微笑んだ。

 胸の奥が、さらに締め上げられる。この人が幸せであるなら、何でも差し出してしまいそうだ。

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