第25話 誠実な物言い
「救助ヘリは、しばらくで到着します。よかったらこちら、どうぞ」
男はリュックからスポーツドリンクを取り出すと、澪に差し出した。
「いえ、葵ちゃんの方が…」
「ご心配なく。葵の好きな、りんごジュースも持ってきていますから」
男は、りんご風味の経口補水液の紙パックを手に持って、口元に柔らかい笑みを浮かべた。
「声が枯れていますね。水の方が良いですか?」
更なる提案に、澪は礼を言って差し出されたスポーツドリンクを受け取った。
男はストローを出し、馴れた手つきで、横たわる葵を支えてジュースを飲ませ始めた。
スポーツドリンクは、澪の乾いた喉に染み入った。ごくごくと半分を一気に飲み、ぷはっと息を吐いた。
(声? この人の声が、そうさせるのかしら? 安心させるのが、なんて上手い人…)
ゆっくり話す男の声は、独特の間も音程も穏やかで、妙に色気があって、もっと聞きたくなるような、不思議な魅力を備えていた。
葵は男を「お兄ちゃん」と呼んでいたが、実の兄は別にいて、実際には葵の親戚なのだそうだ。
ヘリは15分ほどで到着した。救助隊員とともに、葵はロープで釣り上げられ、無事機内へ運び込まれると、病院へ搬送されていった。
共に病院を受診し検査するよう、京都府の救助隊員に強く勧められたが、澪は居合わせただけでどこも痛くないからと、頑なに断った。
ヘリが飛び去ったあと、澪はボランティアの男に礼を言い、登山ルートへ戻るにはどうすれば良いか尋ねた。
男は、自分が降りてきたロープで崖を駆け登るのは危険だと言った。遠回りになるが、登山道へ歩いて移動することを提案され、澪はそれに同意した。
川沿いに、二人無言で歩いていると、男がじっと視線を向けてきた。
「…なにか?」
澪は、素っ気なく答えた。
土埃だらけなうえ、小学生男児のような破れた半ズボン姿は、さすがに気恥ずかしかった。
キャップを深くかぶっているため、男の目元は陰になってよく見えなかったが。
「…すみません。問題なく歩けているようですが…。おそらくあなたは、崖下で葵と居合わせたわけではないでしょう。あの高さの崖から落ちて、全くの無傷というのは信じがたく…」
「…」
澪は表情を変えずに聞いた。
「緊張やショックで、気づかれていないだけかもしれません。まずは、病院で検査されることを、私も強くお勧めします」
もっともな意見だと、澪は思った。が、三瀬宗家当主の護身術に、穴などあるはずがない。そんなこと、説明のしようがなかった。
「いえ。本当にどこも痛くないので、大丈夫です。大人の私が無傷で、あんな小さな女の子が、骨を折っ…」
「あなたが」
澪の言葉を遮り、男は澪の正面で立ち止まると、
「あなたがご無事で、本当に良かったです」
と言った。誠実な物言いだった。
澪は、救われたような心地がして、
「…ありがとうございます」
と言って、小さく頭を下げた。
澪はこの時初めて、自分の無事を、少しだけ素直に受け入れられたような気がした。
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