第22話 無傷

「キャ…!」


 一瞬、金切り声を上げた少女を、澪は奥歯を噛み、力の限り胸に抱きしめた。


 崖下まで転がり落ちるまでの数秒、澪は全身を駆け巡るあまりの衝撃に、自分がどうなっているのか、全く分からなかった。


 ザザッ、ガッ、ドォッ、ガッガガッー!


 幸い、当主による護身の術が発動し、澪に痛みはなかったが、激しい衝撃が全身を襲う。

 小さな体を離すまいと体を丸め、強く強く抱きしめながら、心の底から激しく後悔した。


(能力さえ、能力さえ使えれば、くそっ! 能力さえ使えれば…!!!)


 土砂と共に崖下まで滑落し、動きがおさまったところで、澪は目を開けた。


 そぅっと土砂にまみれた腕を開いて、胸に抱きしめた少女の顔を見たが、意識はなかった。


 澪は耳を少女の口に近づけ、頸動脈に触れた。息はある。脈も正常。生きている。


「大丈夫? ねぇ、聞こえる?!」


 顔の砂を払いながら、澪は声をかけ続けた。


「……うぅ…」


 女の子は、顔を引きつらせながら小さく声をあげた。


「気がついた? 私が見える? どこか痛いところはない?」


 澪は矢継ぎ早に問いかけると、少女はうっすらと目を開けた。


「いぃ…っ。あ、…足が、痛いぃぃ、痛いよぉぉ…」

「足?」


 澪が見ると、少女の右足は斜め方向に曲がっていた。


「…他には?」


「足ぃぃ…。目ぇも、痛いのぉ…」


「分かった。目はこすらないで。涙は我慢しないで流しなさい。足はすぐ固定する。痛いだろうけど、動かないで。必ず助ける」


 澪は少女を抱えて移動し、崖の斜面から離れた木陰に優しく横たえた。


(悔しい…! なんなの。自分だけ無傷だなんて…!!)


 自分への怒りで震える奥歯をぐっと噛み締めながら、澪はリュックから使えそうなものを探した。


 リュックの前ポケットは破れて裂けていた。スマホは相変わらず圏外、ペットボトルの水、タオル、チョコのお菓子。残っていたのは、それだけだった。


(ダメだわ。能力も使えない、今のままでは…)


「誰かぁ~! 誰か、いませんかぁ!!」


 澪はあらん限りの声を出したが、ざわざわと風で揺れる木々が、川の水流が、澪の声を虚しくかき消した。


 見ると、落ちてきた側の地面だけが、他の土の色とは異なり、斜面がえぐれていた。土砂崩れにより、地盤が緩んでいたのだろう。


 澪は右耳にかかる、ヒビの入った翡翠のピアスを触りながら、自分の肉が裂けた死体を思い浮かべてゾッとした。


 周囲は、岩で囲まれた谷底。すぐ近くを澄んだ清流が流れており、その小川の奥は、うっそうと木々が生い茂っていた。


 澪は、ペットボトルの水で砂の入った少女の目を洗い、こすらないようタオルを巻いた。折れているであろう右足は、木の枝を拾って、少女の靴の上からかかとにあてて副木にし、自分のズボン袖をやぶって足に巻きつけ、厳重に固定した。


 非常に強い子だった。

 目からは絶えず涙がこぼれ、右足の激痛も感じているはずなのに、応急処置中も、気丈に耐えた。うめき声を少しあげただけで、泣き言は一言も言わなかった。


「誰かぁ~! 誰かいませんか〜っ!」


 澪は、手当てしつつ、周囲に呼びかけ続けたが、返事は返ってこなかった。頭を打っているかもしれないと思うと、女の子をうかつに動かすこともできない。


「お姉ちゃん…」

 少女は、心もとない声をかけてきた。


「大丈夫。きっと、あなたのご家族が探しているはずよ。信じて待っていれば、必ず助けが来るわ」

「…うん」


 澪は女の子に、自分の上着をかぶせると、

「お名前、教えてくれる?」

 と、優しく聞いた。


あおい

あおいちゃんね」


「きっと、お兄ちゃんが来てくれる」

「そうね。信じて待ちましょう。大丈夫よ」


 澪は言うと、そぅっと葵の小さな肩を撫でた。

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