第21話 滑落

 山頂の絶景には、ため息がもれた。


 空気は澄みわたり、鮮やかな色彩の連なる山々は、生命の喜びに溢れている。澪は小さくて大きな自分に、泣きそうになった。


 山を降り始めると、天気は曇りへと変わり、今にも降りそうなほど暗くなっていた。


 由紀乃が持たせてくれたおにぎりはすでに食べ終え、ペットボトルの水は、五百ミリがあと一本。

 新品のスマホを取り出すと、電波は圏外、時間は午後1時過ぎを示していた。


 またしばらく歩みを進め、右側に目を向けると、何か白いものが見えた。近づいてみると、


『この先崖 近寄るなキケン』


 と書かれた看板だった。看板は斜めに折れ曲がっており、登山道からは見えなくなっていた。


 親切心が顔を出し、草むらに分け入って、看板のねじれを直そうと試みたが、びくともしない。


(能力さえあれば、これぐらい楽勝なのに…!)


 しかめっ面で、裾にくっついた雑草をむしり取りながら登山道に戻り歩いていると、


「…うぅ、ひっ、ひっ…」


 どこかで、誰かが小さく泣く声がした。


 澪が見回すと、奥の草むらの陰に、麦わら帽子が浮いているのを見つけた。


「ひっ…、お兄ちゃ…うっ、どこぉ?」


 帽子の下に、うずくまって泣いている女の子がいたのだ。


「どうしたの? 迷った?」


 澪はそう言いながら、草をかき分けて女の子に近づいた。女の子はその声にビクッとして振り向き、ボロボロと涙をこぼしながら、澪の方を見た。


「ご家族と離れたの?」


「お兄ちゃんを、追いかけて…」


 問いかけに女の子がそう言いかけたとき、ざあっと強い風が吹いて、女の子のかぶっていた麦わら帽子が飛ばされた。


「あっ、ママが買ってくれた帽子!」


 女の子は、とっさに帽子が飛ばされた方向へひるがえって、走り出した。


「待って! 追いかけちゃダメ! その先は…!」


 澪も慌てて追いかけながら、二本指を立てた。


「あぁ!」


 そうだった、能力は使えなかったんだと思い直し、全速力で女の子を追った。


 長時間歩きとおした足がもたついたが、膝に力を入れて見上げると、麦わら帽子は高く飛び、開けた空に浮かんでいた。黄色のテープとフェンスは手前で途切れ、縁をカモフラージュするように、草が生い茂っていた。


「待って…!」


 澪は叫びつつ、ぐっとその女の子の右腕をつかんだが、その時にはもう、小さな登山靴の踏みしめる大地はなかった。


 草だけが足に触れ、女の子はそのまま体勢を崩し、真下へぐん、っと重力がかかった。


「…っ!!」


 澪は歯を食いしばって女の子の腕を引き寄せ、足で踏ん張り耐えた。

 力任せにぐいっと女の子を胸に抱き寄せたが、同時にグゴッという鈍い音とともに、澪の足元が、地面ごとえぐられ、大きく欠けた。


 血の気が引き、一瞬、空中へ投げ出されたと、錯覚した。


(――――――!!)


 次の瞬間、轟音とともに、足元の土砂ごとそのまま真下へと引っ張られるように、二人は勢いよく滑落した。

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