第17話 最高の薬師

「澪」

 橙華とうかの病室を出てしばらく歩くと、紅が声をかけた。


「なに?」

「惚れるわぁ~。男前がすぎんで。あんた、最高の薬師やわ」


 紅は、澪の腕をきゅっとつかんで、肩に擦り寄った。


「あのアプリは、小さい子どもが来院したときにラボで使ってたの。役に立ってよかったわ。紅に言われると自信ついちゃ…う?」


 澪は返事の途中で足を止め、たった今すれ違った、廊下を走り去る小柄な人物の後ろ姿を、目で追っていた。


「…ねぇ、今すれ違った、ものすっごい綺麗な男の子、誰?」


 澪は小声で聞いた。

 澪は普段他人にあまり興味を抱かないが、尋ねずにはいられないほど目を引いた。


「ん? しょうや。清玄せいげん家の獣使い」


 澪は、えっ、と声をあげて何度か瞬きした。


「彼が当代? 私、本人初めて見たわ。すごく、綺麗な子…人ね」


 清玄家の当代は、二十歳前後のはずだが、中高生と違わない幼い容姿に、澪の思い描いていたイメージが壊れていった。


「人嫌いやさかい、澪は会う機会、なかったかもしれへんな」


「へぇ…。さすがメディカルルーム。レアキャラ満載ね。眼福だわ」


 澪は、ゆるんだ頬を両手で押さえた。


「ん? 澪が一族の男に興味示すなんて、雹でも振りそうやな。あれぐらい年下がええん?」


「違うわよ。どっちかっていうと、年上が好み。知ってるでしょ? …甘えたいの」


 澪は照れながら、ちらりと紅を見た。

 紅はぷにゅ、っと澪の頬を指で押して、渋い目線で答えた。


「あほやなぁ、澪。男に幻想抱いたらしまいや。男は甘えられたい生き物ちゃう。ええ年いっとっても、結局は甘えたいねん。ごく一部を除いてな」


「その、ごく一部を狙ってるの。最難関課題よ」


「あははっ、全くやぁ」


 からりと笑う紅を覗き込むと、澪はにやりと口角を上げ、声をひそめた。


「紅、分かってるわよ。天野あまの家の結弦ゆづる、本気で狙ってるでしょ」


「えぇ? ど、やろなぁ…」


 紅は分かりやすくどもると、急に口ごもった。


 澪はくすっと笑って、柔らかな紅の頬をぷにゅ、っと指で軽く押した。


「最近、やけに聞いてくるじゃない?」


「かなんなぁ…。結弦には、なんも言わんといて。純文学の賞、とってからって決めてんねん」


 紅は困ったようにふにゃっと、顔をほころばせながら言った。


「今の紅も、これまで執筆した紅の小説も、最高に素敵よ?」


「相手はお医者や。ちょっとな…、自信、つけたいん…」


 真っ赤になって口ごもる紅の反応に、澪まで胸が高鳴った。


(紅でも、恋愛に臆病になることがあるのね…)


 紅は、自身の恋愛についてあまり話をしないが、澪の中では、恋愛の絶対的勝者だった。メディアで流れるスキャンダルを澪が耳にする頃には、すでに別れて別の男と付き合っていることも多く、さばけた関係ばかりだと思っていた。


「まぁ、結弦は誠実だし、モテるから。ふふっ、かの紅先生も、恋すると健気で可愛いのねぇ」


 澪はつい、からかった。


「澪も、仕事ばっかりやのうて、もっと恋愛したらええ。結構、澪を狙うてる男はいんで?」


「そうなの。例えば?」


上舞かみまい家の水樹みずきとか…」


「誰それ?」


「もう! ほんっま、一族の男に興味あらへんねんなぁ。うちの専属SP兼ドライバー。さっき京都駅からここまで、運転してくれとったやん?」


「あぁ、…あの方の運転、酔うのよ。無理だわ」


 澪は真顔になると、首を横に振った。


「…気の毒に。他にも、ドクターチームの正院せいいんとか…」


「正院先生? 辰巳たつみにこれ以上、医者はいらないわ」


 澪は、またしても首を振った。

 正院からは、何度か食事に誘われた記憶があった。薬学研究の意見交換の真意とは、そういうことだったのか。秒速で断ったが。


「なんやそれ。厳しなぁ!」


 紅はそう言って笑い、澪もそれに倣ったが、厳しいというのは的を得ていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る