第14話 ストイックな彼女
澪は辰巳家の長女ではあるが、当代でない彼女は、治癒の能力をほとんど持っていない。
一方、弟のナオは、十歳で一族の証である『印』が出た。
その時、澪は十二歳。
ナオが、辰巳家の次期当代であること、加えて、その能力があまりに弱いことを、十二歳の澪は全身で感じ取った。
―私が、ナオを護り抜く―
澪はその時、自身に誓った。
父の響が教え導き、澪は死に物狂いで厳しい修行に励み、結界は辰巳家として扱える最大値、上位の弐まで習得した。
澪は、ラボに勤務する薬剤師でもある。
母の影響による最先端の薬学、及び漢方・生薬に関する豊富な知識を駆使し、青月当主を補佐してきた。
辰巳家当代の弟を護りつつ、薬剤師として患者の健康管理を担う。
ストイックな彼女は、この二本柱を維持するために、障害となるものを容赦なく切り捨てた。
例えば、外注できる家事はもちろん、噂話に花を咲かせる友人との会話、買いもしないウインドウショッピング、余暇の旅行。これらは、澪にとっての障害に分類された。
加えて、「今から会えない?」等と、深夜に訳の分からないことを言う恋人という存在も。
『澪って、…真面目すぎ。息つまるんだよね』
いつぞか、ほんの少しの間付き合った男に言われた言葉が、かさぶたをとった傷のように、じくじくとぶり返す。
もう、こんな後悔はしない。私の多忙さに合わせてくれる人としか付き合わないと、澪は決めた。
修一は、確かに合わせてくれた。けれど、生涯の伴侶として、別の女性を選んだのだ。
本家からの帰り道、イチョウ並木が続く歩道で澪は立ち止まり、しばらく自分の両手を見つめた。
欲しかったはずの『普通』という、与えられた自由に戸惑う。
研ぎ澄まされた神経をすべて奪われ、鈍く重い感覚だけが残された。
もう、弟の気配どころか、行き交う人々も、空間的に近づかなければ、気配すら分からない。
十二歳の秋まで、至極当然に受け入れていた、『普通』の現実世界が広がっていた。
ザァッと、秋の風が黄色いイチョウと共に澪を通り過ぎ、薄暗い空に舞った。
通りがかったカフェで、澪はピザとビールを頼んだ。
考えが浮かんでは消える中、ビールを口にした瞬間、修一のことを思い出し、またも怒り心頭してきてしまった。
(ずるいわよ。浮気しておいて、何も言わずに別れて結婚だなんて…)
そして、次の瞬間には、冷静な自分がサッと目を覚ますのだ。
(あぁ、そうか。…そんなことも見抜けなかったのか、私は。三年も…)
そう思うと、ため息しか出なかった。
「はぁ、なさけな…」
『普通』でない自分が、まともな恋愛なんてできるのだろうか。
それでいて、先ほど目の前にいた、当主の凛とした佇まい1つとっても、澪の周囲は『普通』の域を超越しすぎている。
(青月当主。あの方はほんっとに、…人間離れしすぎでしょ)
考えてみれば、父も、弟も、天野家の結弦だってそうだ。
引力が強すぎる一族の男たちに囲まれて、何かが麻痺してしまっている。
「あぁ、目の保養過ぎて、クラクラする…」
そうつぶやいて椅子の背もたれにどっと身体をもたげたとき、小柄な男性店員がちょうどピザを持ってきたところだった。
澪と目が合い、一瞬固まった店員は、及び腰で無言でピザを置くと、逃げるように厨房へ戻っていった。
「…なによ。とって食いやしないわよ」
澪はぶすっとして、ピザにかぶりついた。…とたん、ピタリと思考が止まった。
ピザ生地はパリッと薄め、トマトの酸味と濃厚なチーズ。マルゲリータは、好みの味だった。
「…」
(ピザが美味い。当主は男前。しかも、自由。…なにこれ。最高じゃない)
澪は、夢中になってピザをたいらげ、ビールを飲み干した。
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