第13話 本家での願い出

 週末、澪は三瀬宗家本家へ出向いた。


 一族トップである、三瀬宗家当主の青月に、直接休暇を申し入れるためだ。


「お休み、ですか…」

 神妙な顔で、向かいに座る青月は考え込んだ。


 澪の職場であるラボは、辰巳家を含めた、一族が経営する病院だ。そのため、最終的な決断には、当主の意見が最重要視される。


 その隣には珍しく、当主の妹である伽奈も同席していた。穏やかに微笑んでいたが、顔色は悪かった。無理を押して来たのかもしれない。


「はい。失恋して、弟の世話にも疲れました。限界です。レスパイトのため、二週間お休みをいただきたく。あと、能力封印もお願い申し上げます」


 澪は早口に言うと、勢いよく頭を下げた。三十を手前に、子どもじみたことを言っているのは分かっていたが、他にこの憤りのもっていきようがなかった。


「急ですね…。で、いつから?」

「週明けから」


 澪は、当主の流麗な目をじっと見て訴えた。


 当主も分かっていた。澪が徹夜の勢いで仕事の目処を立てたことも、もはや擦り切れそうな精神状態であることも。


「伽奈、ナオさんは…?」

 当主はそっと、隣に座る伽奈に耳打ちして聞いた。追紋は付いているか、という意味合いだった。


「はい、大丈夫です」

 伽奈は気の毒そうに微笑むと、小声で答えた。


「…。ナオさんは篁でみさせましょう。お休みは構いませんが、能力を封印するのは非常に危険です。容認できかねます」

 当主は穏やかながらも、淡々とした口調で澪に告げた。


「馬鹿げた申し出とは、重々承知しておりますが、能力の無い『普通』の状態で、今後の生き方を見つめ直したいのです」


「…どうしても? 能力を弱めることで譲歩いただけませんか?」


 当主は、予想通りの言葉を返してきた。


「少しでも能力があれば、私はどうしたって弟を追うでしょう。能力が弱まった自分では、護れない。それならば一旦、完全に離れたいのです。宿泊は灰屋系列だけ、通信手段は常時携帯致します。どうかご承認賜りたく、お願い申し上げます」


「…意思は堅そうですね。分かりました。何か異変を察知したら、必ずご連絡を。お約束いただけますか?」

「はい」

 澪が返事をすると、当主はスッと立ち上がり、澪が正座する隣へ移った。


「失礼します」

 そう言うと、そっと澪の額に手を当て、左手で後頭部を支えた。


 ビッと、と電気が走ったかのような振動が走り、目の前がチカチカッと白くなったかと思うと、当主はそっと手を離した。


 一瞬だった。

 こんなにあっけないのかと、澪は拍子抜けしたが、身体はどっと重くなった。重い。腕が、頭が、空気すら重く、急に重力が何倍にもなったようだった。


「そのピアス、綺麗ですね。翡翠ですか?」


 当主は腰をかがめ、瞬きを繰り返す澪に、穏やかに尋ねてきた。

「あ、…はい」


「両方とも、ちょっと貸していただけます?」


 当主の言葉は、一族にとって絶対だ。

 澪は、両耳にかかるピアスを外すと、当主に手渡した。


「ありがとうございます」


 当主は微笑むと、受け取ったピアスを両手で包み、数秒目を閉じたあと、サッと手を開いて、澪にピアスを差し出した。


「一族の長として、この二週で、あなたの身に何かあってはたまらない。危険が迫った時、護身術が発動するよう仕掛けました。護身以外の効力はありませんので、自由は保証します。お守りがわりに、これだけは常に身につけてください」


 優しい口調の中に、ピリッとした緊張感が走った。


「当主…。恐れ入ります」

 澪は受け取ったピアスを耳にかけた。当主の手のぬくもりが残っていた。


「澪さん」

「はい、何でしょう」

「響さん、ナオさんに続き、優秀な薬師であるあなたにまで離れられたら、ラボは立ち行かない。辰巳家のご負担が大きいのは承知しております。されど、どうかお申し出通り、二週でお戻りを」

 当主は膝横に手をつき、スッと頭を下げた。


一族のトップであるこの人に頭を下げさせるなんてと、澪は胸にぐぐっとこみ上げる撤回の二文字を腹に収めた。


「心得ております。勝手な申し出にもかかわらず、お暇頂戴できますこと、感謝申し上げます」

 先程より、当主より、より深く頭を下げて感謝を表し、澪は我が儘を貫いた。



 伽奈は口をつぐんだまま、玄関まで澪を見送りにやってきた。


「伽奈ちゃん、ナオを宜しくね」

 澪は靴を履き、向き直ると、苦々しく笑いながら伽奈に言った。


 怒鳴った翌日から今日まで、ナオは家に帰ってこなかった。ナオにかけた護身術は発動していないので、無事でいることは確かだが、それも数分前までの話だ。


 今は物理的な方法でしか、安否を確認することができない。

 目の前の伽奈ならば、ナオの行方も把握しているだろうが。


 伽奈も、澪の心労は痛いほど分っていたが、何もできないことが、ただただもどかしかった。


 能力の無くなった澪があまりに心もとなく、伽奈はそっと術をかけようとして、すぐにその手を引っ込めた。


 今の伽奈では、ナオに追紋をかけ続けるだけで精一杯であったし、すべての元凶である自分が割って入るのは、筋違いと分かっていた。


 伽奈の大きく黒い瞳がうっすらと潤み、澪を見つめたあとで、

「私にできることは、何でも致します。どうか、ごゆっくり、なさってくださいね…」

 伽奈は、心を込めて、ゆっくりと言った。


(なんて健気で、可愛い人…)


 澪は微笑み、小さくうなずいた。


 私が男なら弟を諦めさせられたのかしらという考えが頭をよぎり、あまりのばかばかしさに、ため息を押し殺した。


 澪は伽奈に礼を言うと、振り返らずに本家を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る