第5話 あの清玄昴から××を受け取った…らしい。

みおさん、失礼しま~す。男性の方がお呼びです。お渡ししたいものがあるとかで…」


 医療事務員の麻美あさみが、「関係者以外立入禁止」と書かれたドアをそろりと開け、部屋の奥で作業する澪を呼んだ。


 この部屋は、調剤室の真横に位置する、調剤研究室。

 澪は白衣を腕まくりし、真剣な表情で薄茶色の粉を計っていた。


 室内は、漢方薬の独特な臭いが充満し、枝付きフラスコがコポコポと音を立て、専門機器とビーカー、試験管などが、整頓されて鎮座している。


 澪の他にも、白衣を着た数名が作業しており、真剣な表情で緑色の液体をスポイドで試験管に注入していた。


「処方箋なら受け取って、受付しておいて。お渡しまでは、15…20分はかかるって伝えて?」


 澪は、粉から1ミリも目線を動かさずに言った。


 処方箋の受付時間は、すでに終了している。

 窓口のカーテンは閉まっているはずだが、院内処方のため、お構いなしの患者は多い。


「いえ、処方箋じゃなくて、なにか、紙袋みたいでした」


「退院する患者さんかしら…。ごめん。今、手が離せない。代わりに受け取っておいてもらえる?」


 澪は手際よく薬を混ぜ合わせながら、麻美に依頼した。

 患者から、お菓子やお土産をいただくことも、よくあることだ。


「はぁ~い」

 麻美は、返事をして窓口に向かった。…が、すぐに戻ってきた。


「あのぅ、澪さんに直接手渡せないか、とのことですけど…」

 麻美は、おずおずと言った。


「無理よ。今はタイミングが悪すぎるわ。薬の処方でないなら、30分後に来るよう伝えて?」


 澪はビーカーを持ち上げ、底をかき混ぜながら言った。途中、麻美の真横にあった機器が、急にガシャン、ガシャンと音を立てながら動き始めたため、麻美は驚き一歩引いたが、


「あの人、澪さんがお昼に出られていた2時頃も、調剤室にいらっしゃいました。結弦ゆづる先生と一緒に」


 と、控えめに食い下がった。

 結弦には、昼休憩の後に会っているが、誰かの来訪予定など、口にしなかった。


「…」


 なかった。確かに言及はなかったのだが、まさか…という不安が、澪の中で一気に渦巻いた。


 澪は手を止め、おかっぱ頭の麻美の方を向いた。


「結弦先生からは、何も聞いてないわ。薬を火にかけちゃってるし、今はどうしても動けないの。麻美、申し訳ないけど、その紙袋、受け取ってもらっていい?」


 と、真剣な表情と声で訴えた。「どうしても」の部分に力をこめて。


「は~い。分かりました」


 麻美はうなずくと、また窓口へと急いだ。


(今日、昴が結弦とランチしたのは聞いたけど、その足で来院した…?)


 心臓がうるさく鳴った。

 顔を合わせなければ、見抜かれはしないだろうが、わずかな期待が入り混じった。


 ドアを2つ隔てた向こうに、昴がいる…。



「澪さん、預かってきました」

 麻美はすぐに、チェックの紙袋を抱えて戻ってきた。


「ありがとう」

 澪は、少しほっとして紙袋を受け取った。

 有名百貨店の紙袋が二重に重ねられており、ずしりと重かった。


(…あぁ、これ)

 ぱっと見て、澪はすぐに中身を把握した。

 見慣れたグリーンのスリーブケースと、菓子箱が一つ。


「なんでも、京都の水凪みずなぎみのり先生から預かったそうなので、すぐご確認された方が、…っ、宜しいのでは…」


 麻美の声が一瞬途切れたのは、枝付きフラスコが、急に大きな音を立てたからだ。すでに、白衣の女性が駆け寄って対処している。


 澪は紙袋の中から、1枚の手書きメモを取り出した。


『タブレット返す 助かった 水凪』


 水凪みのりは、京都の姉妹病院に勤務するベテラン女医。口は悪いが、情に厚く、澪が最も信頼を寄せる医者の一人だ。


 その文字は、多忙を極める母が、ごくまれに送ってくる贈り物に添えられた、カードの筆跡に似ていた。


「…何度も申し訳ないけど、その男性がまだいたら、これ渡してもらえる?」


 澪は近くにあったメモに走り書きすると、麻美に手渡した。


 薄いグリーンのメモ用紙に、

『ありがとうございます。受け取りました』

 と手書きされた右下に、『辰巳澪』の印を押しただけの紙。


「はぁ~い」

 麻美は面倒そうに返事すると、再度研究室を出て行き、すぐに戻って来た。


「澪さん、メモお渡しできました~。で、それ、何でした?」

「京都のメディカルチームに貸してた、私のタブレットよ。助かったわ。あと、お菓子みたい。あとでいただきましょ」


 澪がステンレスのテーブルに菓子箱を置くと、麻美は目を輝かせてうなずいた。


「そうだったんですか。でも、メディカルチームに、あんな人いたかなぁ…。帽子を深くかぶってて、顔がよく見えなかったんですよね。背が高くて、すっごくいい声してました」


 麻美は、考え込むように首をかしげた。


「たぶん、…清玄昴せいげんすばるだt…」


「えぇ~!! 昴さん?!」


 麻美の奇声に、白衣の研究員たちが一斉に麻美の方を見た。


「麻美、声が大きい」

「申し訳ありません。えっ、えっ、私、見てきていいですか?」


 麻美は興奮しながら、ドアの向こうを指さした。


「いいわよ。数分後には仕上がるから、発送作業手伝ってくれる?」

「はい! すぐ、すぐ戻ります! うそ~、昴さんに気づかないなんて、私のバカ~!」


 麻美はぼやくとドアを開け、超特急で出て行った。

 ひと息ついて澪が振り返ると、


「ねぇ、さっき、昴さんって言った? 清玄昴で間違いない?」

「今、ここに来てるの? 私、ファンなの。ちょっと抜けていい?」


 今度は、白衣の女性2人が迫って来た。澪はうなずいたあと、抜けた分の作業を、残った1人の白衣の男性に指示を出そうとしたが、


「…俺も、ちょっと行ってきていいっスか。オートレース、好きなんで…」


 と、もじもじしながらお願いされてしまった。


 バタバタと足音が去り、研究室のスライドドアがゆっくり閉まった。

 今、抜けていいわけがない。火を止め、最初からやり直しだが、全く腹は立たなかった。


 部屋に残された、昴の手を介したモノたちの存在が、ぐんと際立って見えた。


 構造上、外から研究室内の様子は見えない。

 それでも、空気や粒子が、その先にいる昴と繋がるように思えて、澪は息すらうまくできなかった。



「澪さん、ありがとうございます。まさに眼福でした。昴さん、めっちゃかっこいい~♡」


 麻美は、瞳をキラキラさせ、両手を胸の前で組むと、夢見心地で報告してきた。他の白衣の助手たちも、満足した様子だった。


「…そう、良かったわね。じゃあ、これに宛名書いて」


 澪は、伝票とペンを麻美に手渡すと、白いカゴから薬を取り出し、袋の数を数え始めた。


「これまで私、昴さんとお話したことなかったんです。帽子とってくれて、昴さんが、微笑みながら、『無理を言って、すみませんでした』ですって~! 録音しておけばよかったぁ~!」


「…そう。その発送先、宛名は同じだけど、宛先が違うから注意して」


 澪は事務的に伝えたが、麻美は一向にペンすら握ってくれない。


「遠くから見たことしかなかったのに…。本物オーラ、ハンパない…。もぉ~、昴さんに直接会って、キュンキュンしない女性なんかいますぅ?」


「麻美、分かったから。手を動かして」

 弾丸トークを繰り広げる麻美に、澪は再度、催促した。


「…ここにいた…」


 麻美は、珍獣でも見るかのような目で澪を見たが、構っていられる余裕はなかった。


「もうすぐ集荷の時間なの。明日届かないと、神楽様たちの薬が切れちゃう」


 澪にいさめられ、麻美はしゅんと肩を落とした。小さく、はぁい、と返事をして伝票を書き始めたが、


「…澪さん、これ、中身逆じゃないです?」


 と、2つのパックされた袋を交互に指さして言った。


「えっ?」

「こっちが3日分で、もう1つが11日分、ですよね?」


 見ると、明らかに表の表記と袋の太り具合が異なっていた。


「嘘。…本当だわ。ありがとう、気づいてくれて」

「いつも完璧な澪さんでも、こんなうっかりミスするんですね。なんか、親近感わいちゃいました〜」


 麻美は笑顔で言うと、手際よく袋の中身を取り出した。


 二重チェックはしたはずだった。こんなミス、自分でも信じられないが、思った以上に動揺していたようだ。


(…昴のせいよ)


 澪は眉を少し寄せて、紙袋をチラリと横目で見た。


――直接手渡せだなんて、みのり先生も、きわどいことしてくれるわ…。



【清玄昴とのエピソード5】

澪は、あの清玄昴からタブレットを受け取った。これは、明白な事実。


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