第4話 あの清玄昴が探している女性は××を処方された…らしい。
仕事に厳しいって、言われます。
愛想がないとか、冷たいとか、よく言われます。
ええ。厳しいのは、確かです。
私、薬剤師ですから――。
「ですから、少量といえど、クロラムフェニコール含有されています。変更を…はい。もちろん、担当MRの木戸さんにも確認しました」
澪は、淡々と電話口で伝えたつもりだが、口調は強くなっていた。
薬アレルギーのある患者に、アレルギー源となる成分の含まれた薬が処方されていた。
重大な人的ミス。
それにもかかわらず、処方した医師からは、そんなはずない、とごねられた。
「そうですね。…はい。承知しました。では、失礼します」
十五分以上説得し続け、今やっと変更の承諾を取り付け、電話を切ろうとすると、
「…おぉ、怖い怖い」
と、小声が聞こえて通話は切れた。
「~~~~~~!!」
はらわたが煮えくりかえり、大声で言い返したくなったが、澪はぐっとこらえて受話器をおろした。
自分が手渡した薬で患者が苦しむより、医者の小言を聞く方がよっぽどいい。
それも含めて自分の仕事だと、溜飲を下げた。
薬剤師は、薬を処方できない。勝手に変更もできない。
処方するのは、医師の仕事だ。
澪は一息つくと、気を取り直して、先ほど受け取った処方箋に目を通した。…その瞬間に、
(……ふざけんなっ)
心の中でぼやいた言葉が、思わずそのまま、口から出そうになった。
ある抗生物質が、14日分処方されていた。通常5日だ。この日数は、あり得ない。
処方したのは、
昔から見知った、2歳年下の研修医だ。
(
澪は、薬の在庫、薬歴簿、電子カルテを確認し、モヤモヤする勢いのまま、結弦の携帯に電話をかけた。
「はい」
「薬剤師の
澪は、早口で切り出した。
「…すみません。今、昼飯に出てて」
電話の奥の音声は、明らかに、病院のそれとは違う、ざわついた音声を拾っていた。
「あぁ…、ごめん。ちょっとだけいい?」
澪がトーンダウンして聞くと、
「はい。いいですよ」
と、結弦は穏やかに答えた。
澪の頭に上っていた熱が、スッと引いた。
結弦は、気楽に話せる数少ない医者だ。
「阿部さんの抗生物質、14日分出てますけど」
「えっ、そうですか?」
結弦からは、気が抜けるような、情けない声が漏れた。
「そうですか、じゃない。そうなってる。システムのバグかもしれないけど。5日分に変更でいい?」
「はい、もちろんです。助かります」
「受け取りは夕方らしいの。5日分で用意しておくから、昼休憩から戻ったら、処方箋作り直してもらえる?」
「承知しました。お願いします」
なんというスムーズさ。前例の強情ジジイとは大違いだ。
「ランチ中に悪かったわ。ありがとう」
澪が言いながら時計を見ると、とうに1時を過ぎていた。
「こちらこそ。…あっ、澪さん!」
結弦が急に呼び止めたため、下ろしかけた受話器を、澪はぐっと耳に押し当てた。
「2週間前、どなたかノルレボ処方した方って、いらっしゃいました?」
結弦の突然の言葉に、澪は目を見開いて凍りついた。
ノルレボ。しかも、2週間前の処方…。
「……その頃、休んでたから」
澪の口からは、動揺ではなく、ちゃんと返答の言葉が出てきてくれた。
不自然ではなかったはずだが、心臓の音が伝わりそうなほど、高鳴っていた。
「あぁ、そうでしたね。失礼しました」
結弦からは、申し訳なさそうな声が聞こえた。
ノルレボとは、緊急避妊薬として処方される薬。
通称「アフターピル」とも呼ばれる認可薬で、避妊に失敗した時などに、女性が産婦人科・婦人科を受診し、72時間以内に服用することで、妊娠を防ぐ効果がある。
「…休暇中の記録もチェックしてるけど、最近の処方って記憶にないわ。念のために、確認してみようか?」
澪が提案すると、
「はい。お願いします」
と、予想通りの言葉が返ってきた。
「分かった。すぐリストアップする」
「ありがとうございます。では、失礼します」
少しだけ浮ついた結弦の声と、海鮮丼お待たせいたしました、という店員の声が混ざって聞こえたあと、通話は切れた。
「…」
ツー、ツー、という無機質な音を聞きながら、澪はしばらく、立ちすくんでいた。
「結弦先生、失礼します」
澪が診察室のドアをノックすると、はい、と声が聞こえた。
「どうぞ…。あ、澪さん。お疲れ様です」
結弦は書類を書いていた手を止めると、澪を見て、爽やかな笑顔で挨拶した。
澪は診察室のドアを閉めると、
「結弦、さっき電話で言ってた、ノルレボ処方した患者の件。今いい?」
と、マスクをとって切り出した。
「誰か、いました?」
「ううん。2週間前と、その前後5日、ジェネリックも含めて、ラボでの処方は一人もいないわ。低用量ピルなら数人いたけど。リストいる?」
澪は、1枚の用紙を結弦に見せた。
「低用量は…。ん~、一応もらっておきます。ありがとうございます」
「…どうしたの、急に。何かあった?」
澪の問いに、結弦は渋い表情を返した。
「柄じゃないけど、人探し。さっき、清玄家の昴さんから、2週間前に処方した人いないかって聞かれて。力になりたいけど、あの昴さんでも見つけられない人を、どうやって探したもんかと…」
「…そう」
頭を抱える結弦から、澪は不自然にならないよう目をそらした。
昴が、探している。
今でも。結弦に聞いてまで…。
(でも、残念だけど、辿り着かせない。あの人は、他言したりしないもの)
「それは、医師としての守秘義務的に、どうかと思うわ」
澪は厳しい口調で言った。
「…ですよね。目つぶっといてください。あと、話変わりますけど、澪さんに、司の勉強見てくれたお礼がしたいって、昴さんがおっしゃってましたよ?」
結弦はにこやかに言った。
司とは、清玄昴の弟だ。
一時期、澪は司に勉強を教えていたことがある。
「結構よ。あれは、司が根性出した結果」
澪は突き放すように言った。
「司がダブルライセンスなんて、すさまじいと思ってましたけど、澪さんの力添えがあったとはね。納得です」
結弦の言葉に、澪はムッと顔をしかめた。
「それ以上は、口外しないで。もう、司には口止めしたのに…。他の誰かに言ったら、本気で怒るわよ?」
「しませんて。あの昴さんの申し出を断る女性なんて、澪さんぐらいですよ」
結弦は、苦笑して言い返した。
「いいの、私は」
澪はマスクをつけ、早足でドアに向かった。これ以上はボロが出そうで怖い。けれど、ぐっと胸がかき立てられた。
恐ろしいほどのニアミス。
あの、穏やかで、どこまでも優しいたたずまいの昴が、電話した向こうに…いた。
ドアの手すりに触れ、そこで澪は動きを止めた。
「…さっき、お昼一緒だった?」
うつむきながら、澪は聞いた。
「はい。電話もらった時、ちょうど昴さんと、
「あぁ…。そう…なの」
結弦の言葉で、澪は今更ながらに気がついた。
(そうか。だから…)
確かにあの夜、昴は肉を食べてはいなかった。
「…。次は、澪さんも誘いましょうか?」
結弦は、釈然としない澪を気にかけて聞いたが、
「いい。勘弁して。…それより結弦、阿部隼人さんの処方箋だけど…」
澪が振り返った時には、いつもの薬剤師としての顔に戻っていた。
――過去より今。仕事に集中。
【清玄昴とのエピソード4】
あの清玄昴が探している女性は、アフターピルを処方された…らしい。
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