第3話 あの清玄昴が探している女性の名前は××…らしい。
「お気持ちは、ありがたく思います。…ですが、ごめんなさい。お付き合いすることは、できないです」
昼休憩中、ラボの中庭で澪を呼び止め、付き合って欲しいと口にした相手は、耳まで真っ赤にしながらうつむき、手も震えていた。
相当な勇気を振り絞って告白してくれたのだろうと、澪は思って胸が痛んだ。
とはいえ、だからこそ、中途半端な返答はできない。
「そう…ですよね。お時間いただき、ありがとうございます」
髪の長いその女性は、軽く頭を下げると、クリームイエローのプリーツスカートをはためかせながら、小走りに去った。
先日、夜道で暴漢に襲われそうになっていた彼女を、澪が白馬の王子のごとく助けに入ったことで、ときめかせてしまったようだ。
澪はモテる。清楚系の女性からも。
女性の姿が見えなくなり、澪が、ふぅ、と小さく息を吐いた瞬間、
「うっわ。女性同士の告白シーン、ナマで見ちゃった」
ぬっと背後に現れた長身の男に、澪は一瞬固まったが、
「…
と、すぐにその声の主をにらみつけた。
「居合わせたのは、ホント偶然だよ。ね、今のGL告白ってやつ?」
なつっこい笑顔を向けながら、司は興味津々で聞いてきた。
澪は険しい表情のまま、司の紺の救急服をつかんで手前にぐっと引き、
「他言は許さない。彼女のことを、からかうのもね」
と、鋭い声でけん制した。
「…はい。ごめんなさい。…苦しいっス」
司が声を絞り出すと、澪はパッと手を離し、早足でラボの中庭を進み始めた。
(…危ない。誰かに見られでもしたら、たまったもんじゃない)
澪は、人の目のあるところで、異性と馴れ馴れしく話すのを嫌う。特に、職場では。
「澪さん。あとで、調剤室寄るね」
澪の性格を熟知している司は、そう言って一旦澪を見送った。
数歩歩いた後、澪が白衣の合間から後ろ手を小さく振るのが見え、相変わらずのツンデレぶりに、司は思わずにんまりした。
司は清玄家の次男。あの清玄昴の弟だ。
現在、京都にある姉妹病院の「メディカルチーム」に所属しており、今日は出張でやってきたのだ。
「お疲れさまでーす」
司は前言通り、少し時間をずらして、調剤室奥のスタッフルームにやってきた。
部屋には澪しかおらず、白衣を椅子にかけ、マスクもメガネも外していた。
澪は司を認めると、コーヒーの入ったマグカップに口をつけたまま、向かいの席を指さした。
「お昼は食べたの?」
澪が尋ねると、
「うん。新幹線で」
司は答え、どかっと椅子に腰掛けた。澪が用意したペットボトルの炭酸水を豪快に飲むと、
「澪さん、相変わらずモテんだね。…女子に」
と、悪気なく言った。司は、思ったことがそのまま、口から出てくるようなところがある。
「そう言われることは、多いわね。男運は、ないと思うけど」
「そうかな? 俺、澪さんなら全然アリ」
司は平然と言い、屈託なく笑った。
「お断りよ。司には本命いるじゃない」
澪は真顔で即答し、
「それより、司。先月の一次救命処置講習、再受講ってなんなの? 医療現場なめてるの?」
と、冷たく切り込んだ。
司はゆっくり目線をそらして、あいまいな笑顔を作った。
「………寝てて」
「救急救命士、免許はく奪されればいいのに」
澪は、凍てつくような真顔で言った。
高校をギリギリで卒業し、医療専門学校へと進学した司は、壊滅的に勉強ができなかった。
赤点を量産する司の、寮での学習をリモートで支えたのは、澪だ。
礼は一切受け取らないこと、澪が教えることを、周囲には漏らさないことを条件に、澪は司の家庭教師を引き受けた。
もちろん、類をみないスパルタ方式で。
司は社会人2年目。教え子の怠惰は耳に余る。
「いや…、寝てたのは悪かったけど、澪さん聞いてよ。講習の一週間前、大規模な土砂崩れあってさ。ずっと、徹夜の勢いでヘリ捜索に駆り出されてたんだって。ニュース見てない?」
司が苦し紛れに言い訳すると、澪は硬かった表情をふっとやわらげ、
「知ってる。頑張ってるじゃない。…はい」
と、机上のファイルを司に差し出した。
「なに、これ?」
「講習の理解度チェック、去年の解答。似たような問題出るから、見ておいたらいいわ」
司は受け取ると、パァッと目を輝かせた。
「澪さん、愛してる!」
「愛はいらない。再受講を再受講とか、許さないから」
澪は、またしても冷たく突き放した。…が、捨てられた子犬のようにしょげた司の表情に、思わず小さく吹き出してしまった。
小学生男子が、そのまま大きくなったような司だが、緊急時の機動力と集中力は、抜群に高い。
澪も、そこは一目置いている。
「患者さんからのいただきものだけど、食べる?」
澪は戸棚からクッキー缶を開けて出すと、司の前に置いた。
「わ、ありがと。次は寝ないし、このカンペもあるから、心配ご無用!」
司は調子よく返事すると、上機嫌でクッキーに手を伸ばした。
「…」
澪は座り直すと、頬杖をつき、向かいに座る司を見た。
長い指、しっかりとした肩の骨格、サラリとした黒い髪、整った鼻筋…。
弟なだけあって、確かに
(性格は、全然違うのに…)
「ん? なに、澪さん?」
司の急な問いかけに、澪は思わず目をそらした。
「なんでもない。…ちょっと、考え事」
「ふーん? これ、ココナッツの、めっちゃうまい。はい」
司は言うなり、澪の口の前に、左手で食べているものと同じクッキーをひょいと差し出してきた。
澪は一瞬面食らったが、唇に触れる前にサッと手で受け取ると、
「ありがと」
早口に言って、角をかじった。
司は、距離感がバグっていて、時々戸惑う。
ココナッツの風味が口いっぱいに広がり、噛めば噛むほど甘みが増した。
「…確かに。美味しいわ」
澪が言うと、司はうんうんうなずき、追加でさらに数枚頬張った。
「…そうだ。昴兄さんが、2週間前に偶然会った女性探しててさ。『たなかますみ』さんて名前の一般人。記憶力いい澪さんなら、誰か覚えない?」
司は口をもごもごさせながら、爆弾のような質問をぶっ込んできた。
「…ないわ」
澪は答えた。
嘘は言っていないが、声が裏返りそうだった。
『たなか ますみ』
その名の女性に、覚えはない。
…それが、一般人、であるならば。
「そっかー。残念。あの兄さんが、女性に興味持つなんて、超珍しいからさー。早く見つかればいいと思って」
「そう…」
澪は、次の言葉に詰まった。
(まずいわ。これ以上は、おそらく清玄の勘にひっかかる…)
打開策を探す目線が手元の腕時計を捉えると、澪は残りのクッキーを、コーヒーで素早く流し込んだ。
「司、全体会議始まる。行くわよ」
澪は言うと、立ち上がって白衣を羽織った。
「ふぁい」
司は、手に持ったクッキーを口に放ると秒で読み込み、指をペロっと舐めながら、ん~、と唸った。
「いっそ、澪さんが、その『たなか』さんならいいのに…」
司がつぶやく横で、澪はメガネをかけて、マスクをつけた。何も聞こえなかったふりをして。
――司…、昴の弟にも注意しなくちゃ。
【清玄昴とのエピソード3】
あの清玄昴が探している女性の名前は、『たなか ますみ』…らしい。
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