第5話 俺とお前のオムライス 19 ―正義くんは行かせない―
19
塾へと向かう勇気の足取りはとても軽く、そしてその帰り道も同様だった。勉強自体もとても良い気分で出来て、勇気の気持ちは弾んでいた。
だから、勇気は塾の帰りに山下商店に寄った。気分が良い時は食欲も湧く。学校も楽しくなってきたし、塾での勉強も良く出来た。『自分へのご褒美に駄菓子を買おう』と勇気は考えたんだ。
目的はウマウマ棒。勇気は山下に入る前から『チーズ味にしようかな?それとも明太子味かな?たこ焼きも良いな……あ、チョコも良いな』と頭の中で色々な味を想像して楽しんだ。
ウマウマ棒は山下の出入口を入って正面にある平台に置いてある。勇気は山下に入ると、出入口に背中を向けて腕を組んで考えた。
― 何にしようかなぁ?
店に入ってから1分くらい経った時だろうか、何やら店の外で話す男女の声が聞こえた。
男女と言っても大人じゃない。子供の声だ。それも聞き覚えのある気がする声だ。
「おい桃井、俺が言った事ちゃんと伝えろよ」
カラスの鳴き声の様なガラガラとした声。
「嫌だよ、私絶対言わないから」
優しそうな女の子の声。どうやら二人は口論をしているらしい。
― 何だ? ……喧嘩かな?
勇気は幸福感に溢れた気分を汚される気がして嫌だった。でも、聞こえてくる声に耳をそばだててしまう。何故なら、カラスの鳴き声に似た声を聞くと、勇気の頭にはある人物の顔が浮かんだからだ。
「ふざけんな! ヤマァの命令だぞ! 聞かないとどうなるか分かってんのかぁ~~」
『ヤマァ』この言葉を聞いた勇気は
― やっぱりそうか……
心の中で舌打ちをする。
『ヤマァ』は山田のあだ名だ。そして、そのあだ名を使う人物を勇気は一人しか知らない。それは、山田の後を金魚のフンの様に歩く篠原だ。
― 山田……また誰かを苛めようとしてるのか
勇気はそう思った。そして、もう一つ
― やっぱり俺の幸せを邪魔するのは山田なんだな……
勇気は折角楽しい気持ちでいたのに、台無しにされてしまった気分だった。だけど、山田の苛めを見過ごす事は出来ない。
だから勇気はウマウマ棒を選ぶのを止めて、お店を出る事にした。
「言わないよ! 私絶対言わないから!」
勇気が出入口を振り向くと、女の子の怒鳴り声が聞こえた。同時に走り去る足音も。
勇気は少し早歩きになって店を出た。
店を出ると、入り口の脇にはアイスクリーム用の横に細長い冷蔵庫がある。その冷蔵庫の前で篠原は立っていた。
「馬鹿!! 絶対言えよ!! 馬鹿!!」
走っていく女の子の背中に向かって篠原は叫ぶ。
「おい、何を言うんだ……?」
勇気は篠原を鋭い目付きで睨みながら話し掛けた。
―――――
次の日、勇気はいつもより早起きをした。それは少し早く学校に行きたかったからだ。
だから勇気の母親は大慌て、『まだ朝食を作り終えていないわよ』そう言う母親に勇気は、『今日はトーストだけで良いよ!』そう言ってトーストを一枚だけ食べて、急いで学校へと向かった。
何故勇気がいつもより早く学校へ行きたいのかというと、昨日篠原と話していた女の子と二人だけで話をしたかったからだ。それは他の誰にも聞かれたくない話。
篠原は昨日『桃井』と口にしていた。勇気はまだクラスメート全員の名前を覚えていない、特に女子となると顔と名前が一致するのは二人か三人くらいだった。だが、その内の一人が『桃井』だったんだ。
勇気は今の小学校に転校してきた日に彼女と話をしていた。と言っても、自己紹介と軽く一言二言話したくらいだったが、それでも不思議と勇気は彼女の名前をすんなりと覚えられた。
他の女子とも転校初日に同じくらいの会話をした筈なのに、何故か彼女だけはすぐに。
そして、何故彼女と二人で話す為にいつもより早く学校へ行かなければならないのかというと、それは彼女が他の皆よりも一足早く登校しているのを勇気は知っていたからだ。
『あの時間ならあの子と二人だけになれる』と勇気は考えた。
数日前、勇気は今日と同じ様に早起きをして、いつもより早く学校へ登校した日があった。その日は今日と違って、早起きをしようとして起きた訳じゃなく、たまたま起きてしまっただけだが、その日に勇気は見たんだ、皆よりも早くに登校して、教室の窓際に飾られた花の水を替えている彼女の姿を。
その時、勇気は聞いた『何故、そんな事をしているの?』と。
彼女は答えた『先生、あんまり花が好きじゃないみたいなんだ。だから、何日も水替えるの忘れて、枯らせちゃった事あるの。だから、今は私がやってるんだ』『先生に言われて?』『ううん、違うよ。私が勝手に。だって可哀想でしょ?こんなに可愛いのに、誰もお世話しないのって。ずっと元気でいてほしいなぁ』そう言って彼女は愛おしそうに花を見詰めて微笑んでいた。
人よりも早く登校している理由は『せっちゃんに見られると絶対にからかわれるから』という理由らしい。その時の勇気には『せっちゃん』が誰か分からなかったが。
『せっちゃん』が赤井正義のことを言っていると勇気が知ったのは、教室へ入ってすぐの事だった。
「青木くんが言う? ダメだよ、私、せっちゃんには行かせたくないもん」
「うん。君の気持ちは分かってる。俺も君と同じ気持ちだよ。だから、俺が話すんだ。『行かないで』って、正義くんにお願いするよ」
勇気は自分の席に座って机の上で手を組みながら、窓際に立つ桃井愛と話をしていた。
「正義くんが、篠原や山田に目を付けられたのは俺のせいだ。だから俺に全部任せて。正義くんには絶対に行かせないから」
「本当に?」
「うん。だから桃井さんは昨日篠原が言ってた事を誰にも話さないでね。正義くんにも、誰にも……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます