第4話 王に選ばれし民 16 ―黒い……黒い……雲―

 16


「終わりではない」





「え……?!」

 野太く低い声が聞こえた。

 それはピエロとは違う、また別の男の声。

 その声もまた、ピエロの声と同じ様にボッズーの耳元で鮮明に聞こえた。



「終わりではないぞ、ピエロ……」



 そして、その声が聞こえた瞬間、太陽が煌々と照らしていた高台に陰りが生まれた。


「なんだ………」

 異変を感じたボッズーは、後ろを振り返り空を見上げた。そして、

「あッ……!!!」


 その目に異様な光景が映る。


 これまでボッズーが見ていた輝ヶ丘の空は、早朝から続く雲一つ無い気持ちの良いくらいの青空だった。しかし、


「こ……これは」


 ボッズーが見上げた現在の空には、町を覆い隠す程に巨大で真っ黒な雲が存在していた。

 その雲が雨雲なんかじゃない事をボッズーはすぐに察する。太陽の光が遮られて"黒く見える"……そんなものではない事に。

 今、ボッズーの目に映る雲は、本当に黒いのだ。"目の錯覚で黒く見える"のではなく、本物の黒い雲なんだ。

 それともう一つ、この雲を見た瞬間にボッズーが察した事がある。それは、この雲が《王に選ばれし民》によって生み出されたものに違いないという事だ。


 そして、この黒い雲はピエロが映るスクリーンの上空で渦を巻き始めた。

 黒い雲と比較すると、打ち上げ花火と同等くらいの大きさはあるピエロのスクリーンもちっぽけに見えてしまう。


「ピエロよ……英雄を舐めるな。われは、英雄を無事に帰せと命じたであろう……」


 再び、謎の声が輝ヶ丘に響く。


 その声は、老人を思わせた。

 喉を鳴らし、言葉を発する度にゴロゴロと異音が混じる。ゆっくりと話す口調は、淡々としていて、穏やかとも朴訥とも取れる。


 しかし、その声を聞いた瞬間、ピエロの態度が変わった。


「お………おぉ……」


 謎の声が現れた時からのピエロは、


「お………お……」


 ボッズーや正義を煽っていた時とは明らかに違う。そしてその変化は"自分の意思"では無い。見ているだけでそれは分かる。


 それは本能だ。


 それは『恐怖』という名の本能……


 それまでのピエロはテーブルに両手を着く形で前のめりにボッズーの様子を観察していた。しかし、謎の声が聞こえると、その姿勢のままガタガタと震え出した。


「お……おぉ……」


 ピエロが何か言葉を発しようとしても、歯がガタガタと震えて言葉にならない。


「ピエロよ、我の名を呼ぶつもりか……」


 謎の声はピエロに問い掛ける。


「ならば、お前は我に忠誠を誓う事になる……それでも良いのか……お前は本当に、我に忠誠誓うつもりがあるのか……」


 問い掛けられたピエロはガタガタと震えたまま首を二度、三度と縦に振った。謎の声のピエロを試す様な言葉を聞いた今、ピエロはもう答えぬ訳にはいかないだろう。

 ピエロはなんとかして言葉を発しようとしているのか、歯を噛み締めている。その歯を噛み締めた表情は、端から見ればそれこそ道化師ピエロらしい笑顔に見える。

 だが実際は、目は恐怖に怯え、口角が上がっただけの引きつった顔、顔面の全ての筋肉がピクピクと震えている。


「お……王よ………も、勿論です。わ……私は、貴方の子供……貴方に選ばれた新時代の民……」


 歯の隙間から空気が漏れる様な声でピエロは言った。


「そうだな……お前は我の子供であり、選ばれし民だ。ならば、何故我のめいを破ろうとする……」


「い……いえ、私は……貴方の命令を破ろうとなど!!」


 ピエロは首を左右に振って、全力で否定する。


 しかし、声は、淡々と……ただ淡々と、問い掛ける。


「していないと言うのか……我は、子の嘘を分からぬ親ではないぞ。お前は怒りに任せ、泡よくば英雄のいのちを奪おうとした……そうだろう?」


「そ……そんな!! 違っ……」


 ピエロが焦った表情でその言葉を否定しようとしたその瞬間、


「ピエロよ……出すぎた真似をするな」


 その言葉を合図として、渦を巻く雲の一部がまるで巨大な腕の様に伸び、ピエロが映るスクリーンを殴る様に掠め取った。


「あ……あぁ…!! や、ヤメテェーーーー!!!」


 破砕機に放り込まれたゴミクズの様にスクリーンは雲の中へと消えていく。


「ギャーーーーーーッッッ!!!」


 ピエロの断末魔の様な叫び声を残して……


「………」

 その光景をボッズーはただ茫然とした表情で見ていた。

 その茫然の意味は、今の事態に対してでもあるが、声が言った『英雄を舐めるな』その言葉が不思議だったから。ボッズーはその言葉を聞いた時、まるで正義をよく知る人物の言葉に思えたんだ。

「お前は……お前は誰なんだ………」

 ボッズーは雲を見ながら呟いた。質問したつもりはない、ただボソリと呟いただけ。頭に浮かんだ疑問が大き過ぎて、思わず口からこぼれたんだ。



 しかし、その問いに答える様に、黒い雲は激しく渦を巻き、姿なき声の形を成していく。



 最初は体が作られた。全身ではない、胸から上だけの。

 そこから長い腕が伸びる。

 形作られた部分の雲は黒から白へと変わっていく、真っ白な濃い白へと。

 そして、伸びた腕の先、右の手首にはなにやら蜷局とぐろを巻く蛇の様な形をした腕輪が嵌められていた。

 最後に、顔が。その顔は口元を覆う程の長い髭に半分は隠されているが、肌が見える場所は深い皺が刻まれていて老齢の男なのが分かる。

 その顔の一部、瞳の色だけが、真っ白な雲で形作られた男の中で唯一黒い。

 髪は長く、中央で分けられ肩を撫でる。胸の近くで髭と合わさり、どちらも胸より下に伸びていて終わりが見えない………


「あ……あぁ……」

 ボッズーの茫然は唖然へと変わった。

 でも仕方がない。

 輝ヶ丘に突然現れた町を覆う程に巨大な黒い雲が、一瞬にして老齢の男の姿へと変貌したのだから。

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