第3話 森の中で

 レスリーとおきものは、夜の闇に包まれた森の中を歩いていた。

 二人の前に広がる光景は暗くてよく見えないが、どうやらどこかの森の中のようだった。レスリーは荷物を背負い直し、隣にいるおきものをちらと見る。その外見は全身甲冑を纏った鈑金鎧。

 その兜には猟犬面が付いており、その目元部分には穴が開いていて目らしきものが見えるのだが、今は閉じられているため表情はわからない。

 そもそも、本当に生きているのかも怪しい。もしかすると、レスリーの夢の中の産物なのではないかと思う程だ。ただ、レスリーはその夢の中でおきものに助けられている。そして今も、彼女の力になろうと動いている。

 レスリーはこの不思議な存在を、どう扱えばいいのかわからなかった。

 レスリーの視線に気づいたのか、おきものがこちらを見やる。レスリーは慌てて目を逸らすが、おきものはレスリーの方を見つめたまま動かない。そんなやり取りを繰り返しながらも、しばらく進むと広場に出た。

 そこで疲れもあり、レスリーは野営の準備を始めた。まずは焚き火用の薪を集め、それから適当な木陰を見つけて毛布を敷いて寝床を作る。そして夕食として、道中で手に入れた干し肉を食む。

 食事を終えると、レスリーはこれまた道中で中身を汲んでいた水袋を出す。レスリーはコップを手に取り水を飲もうとするが、ふとおきものの存在を思い出し、試しに渡してみた。

 受け取りはしたが、口を付けようとしない。仕方なくレスリーは自分で飲むことにした。喉を鳴らしながらゆっくりと飲んでいく。

 冷たい水が体に染み渡り、生き返るような心地よさを感じることが出来た。だが、それだけではない。何故かレスリーは、この水を飲んだ時から体がぽかぽかし始めていたのだ。

 それに、何となくおきものは食事をしなくとも問題がないような、そんな気がしたのだ。実際、今までレスリーと共に行動していた間、おきものは何も食べていなかった。

 しかし、レスリーはそのことを特に気にすることはなかった。それが何故なのか、今のレスリーには理解できなかったが……。

 一息ついた後、レスリーは荷物の中から本を取り出した。レスリーにとって楽しみの一つである戦利品の鑑定である。特に興味が湧いたのはおきものが渡してきた本だ。レスリーはそれを開き、読み始める。


(……えっと……、これは?)


 最初のページを見た瞬間、レスリーは首を傾げた。そこにはこう書かれていたからだ。


【かの者は自らの意思で言葉を紡ぐ術を捨てた。もしこの書を読む者がいたとして、かの者にとっての友であって欲しい】


 これはもしや、おきものについて記されているのではないだろうか? そう思ったレスリーは更に次のページを開く。そこには、レスリーの予想通りの事が記されていた。


【かの者の名は───我等と異なる世を生きながら儚み、我等と取引した愚かにして勇ある者なり】


 レスリーは所々掠れていて読めない事に苦心しながら、更に続きを読み進める。


【かの者は我等が権能をもってしても、その行いを御す事は不可能であった。故に、かの者と対話する時は慎重に行う必要があるだろう】


 これを読んだ時、レスリーは思い当たる節があった。おきものからはそこらの妖異が纏う禍々しさを感じないのだ。むしろ神々しさに似た何かを感じた。神々や高位の聖職者が発するそれとは似てはいたが、何かが違っていた。

 神の使いではないにしろ、書物を読み進めるにおきものは神様相手に大立ち回りをしでかしたようだ。

 先の守護者たちとの戦いを見るに、戦うこと自体に慣れている様子だった。レスリーの知らない戦い方を知っている可能性は高い。今度機会があれば教えてもらうことにしよう。そんなことを考えつつ、レスリーは次のページを捲る。


【かの者には幾つかの制約がある。その一つは、自ら命を絶つ行為が出来ないことだ。既にかの者は自らの命を粗末にしたとががある】

【本来は我々と異なる神々が治める、然るべき場所にて、裁かれるべきである筈の咎人だった。異なる世の神々が取りこぼしたのだ】

【我等の手によって裁いてもよかったが、我等とことわりが違う異なる世の存在を勝手に裁くのも異であろうと我等は考えた】

【故にかの者は自らの意思で言葉を紡ぐ術を捨てたのだ。断じて言うが、我等がかの者に迫った訳ではない】


 レスリーは本から目を離すと、おきものは焚き火に薪をくべていた。雨が降らなければ火は消える事は早々ないだろう。レスリーは本を閉じようか迷ったが、もう少し本を読み進める事にした。レスリーはまだ見ぬ世界に憧れを抱いている。

 この世には様々な神秘がありふれているらしいと聞くが、まだその目で見たことはないのだ。故に冒険者となり、世界を歩んでいるのだ。世界が広いと言う事は、おきもののような存在も許容されるだけの余地もあると言う事ではないだろうか?

 更に読み進めていくと、おきものについていくつかわかった事が増えていった。喉の渇きを覚えたため、本を閉じると、水をコップに注ぎ飲み干す。


「…………」


 レスリーは、自分の隣に座るおきものをじっと見つめる。


『何でしょうか?』


 とでも言うように、おきものはレスリーの方へと顔を向ける。喋れないだけで、耳は聞こえるようである。レスリーは言葉を紡いだ。


「あなたって、元々は男? 女?」


 おきものは天を仰ぐ仕草をした。答えに迷う様子であった。質問の意図は解してはいるが、言語化できないので難しいようだった。レスリーはそれを思い出し、その辺に落ちていた木の枝で図形を二つ地面に描いた。

 その図形はおきものも理解できたようで、木の枝で片方に×を書いた。どうやら、元々は男性であったようだ。レスリーは頷くと、地面の図形を消した。言葉でなければ彼は返事が出来る。

 レスリーは、先程から気になっていた事を尋ねることにした。それは何故おきものが自分に付き従ってくれるのかだ。

 レスリーがおきものにした行動は、彼にとっては意味不明の物だ。それなのに、どうしてここまでしてくれるのか。レスリーにはそれが不思議でならなかった。レスリーの問いに対し、おきものは少し悩み、そして地面に文字を書いて示した。

 図形での問いに対し、たどたどしいものではあったが……。


「……あなた、いがいの、ひとを、いままで、みたことが、ない?」


 レスリーが読み上げると、おきものは頷いた。レスリーは驚いた表情をする。そして、すぐに納得して見せた。確かに、今まで他の人間を見たことがない。

 彼が今までいた場所にどのくらい住んでいたのかは分からないが、あの城砦跡の様子からして、普通の人間を見たのはレスリーが初めてである事は明白だった。

 つまり、レスリーと出会うまでは孤独だったという事になる。レスリーは今まで自分がしてきた行動を恥じた。レスリーは、今まで出会ったことのない存在に対して、とても失礼な態度を取ってしまったのだ。

 自分の行動がどれだけ愚かしいものだったかを理解した。だからレスリーは謝った。

 だが、おきものは拙いながらも更に文字を綴った。


『あなたが、きにすることでは、ない。これは、わたしが、きめた、ことだ』

「そう言われてしまうと、私が言っても仕方がないわね……」


 神々相手にそんな事をしでかす相手だ、レスリーの理解をはるかに越えたものであったのだろう。彼女は敬虔けいけんな教徒ではないが、神々の存在自体は知っていた。実際に会ったことがあるわけではないが、この世界に生きる人間は大抵知っているだろう。

 だがその大半は、信仰の対象として崇められているのではない。むしろ、その逆だ。畏怖いふの象徴として存在しているのだ。

 レスリーはそれを思い出しつつ、おきものを見つめた。すると、おきものは再び何かを書く素振りを見せた。何かを伝えようとしているのだろうか。レスリーは暫く考え、そして思いついたことを口にした。

 それから暫くの間、レスリーはおきものとの会話を楽しんだ。レスリーが話しかけ、おきものが文字で応える。時々レスリーが何かを言い、それをおきものに伝える。そんなかたちで時間が流れ、眠気を覚えたレスリーが眠るまで会話が続いた。


「……んんっ」


 翌朝。レスリーが目を覚ますと、おきものが直立不動の姿勢で焚き火の前にいた。彼女が驚くと、おきものは軽くお辞儀をしてみせた。レスリーは慌てて起き上がり、寝癖のついた髪を整える。そして、身支度を整えておきものの元へ向かった。

 昨日は色々あって疲れていたせいか、いつの間にか眠りについてしまったようだ。

 レスリーが起きた時には既におきものは目覚めており、レスリーを待っていたようだった。レスリーは荷物の中からパンを取り出し、水と一緒に食べた。朝食を済ませると、早速出発する準備を始めた。

 森の中である為、雨かどうかは分からないが、出発しても問題はなさそうだ。

 レスリーは片付けを済ませると、足を動かし始めた。おきものもその後に続く。やがて森を抜け、整備された街道がある草原に二人は出た。道沿いに歩いていくと、遠くに街が見える。

 レスリーは安堵のため息をつくと、街の方──バークリーへと歩き始めた。

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