十四話

「……また戻って来るなんて、思いもしなかった」


 魔術でともした灯りの先に建つ、廃墟のような家を眺めてリズは呟いた。バンベルガーに助けられ、どうにか脱出した場所に、こうして瞬く間に舞い戻って来てしまった。自分の家からここまでは大分距離があり、徒歩で三日はかかってしまうところを、リズは父親の魔術書から足が速くなる魔術を覚えると、何度か失敗しつつもたった六時間で到着したのだった。


「夜の森は、やっぱり薄気味悪いな……」


 すでに日は暮れ、今は夕食時くらいか。だが暗闇の濃い森の中はすでに真夜中のような雰囲気が漂っている。魔術で駆け抜けていた時には感じなかったが、こうして立ち止まると大きな樹木の影が四方を囲み、その闇で呑み込んできそうな恐ろしさがある。しかしそんなものに怖がっていては、フレインの狂気になど抗えない。


「……よし」


 深呼吸をし、気持ちを落ち着かせると、リズは肩にかけたかばんをぎゅっと握って扉へと向かった。


 表面の剥げた大きな扉に手をかけてみると、それは何の抵抗もなく動き、開いてしまった。てっきり頑丈に閉ざされているものと思っていたリズはいろいろと中へ入る方法を考えていたのだが、思わぬ拍子抜けに呆気にとられた。だがすぐに警戒感が湧いた。リズを逃がして間もないというのに、玄関に鍵すらかけず、無防備のままというのは、どうも怪しさを感じる。まるで入って来いと誘われているようだ。罠の可能性もある。しかしそれでも行かねば。フレインの狂気を少しでも抑えるために――慎重に扉を押してリズは中へと入った。


「……これって」


 一歩入ったリズは周囲の様子に瞠目した。足下には真新しい絨毯が敷かれ、廊下には花瓶に活けられた綺麗な花や磨かれた骨董品が置かれている。石と木材が上手く組み合わされた壁にはガラスの照明が光り、美しい風景画を照らし出している。見上げた頭上には大きなシャンデリアがぶら下がり、玄関広間で煌々と存在を誇示している――薄暗い廃墟同然だった光景はどこにもなく、貴族の屋敷のような内装に変わっていることに、リズは自分の目を疑った。


「何なの……どうして……」


 リズは動揺しながら考える。ほんの数時間でこれだけ内装を変えることなど不可能だ。だとすると考えられるのは魔術による影響――これは幻だ。見せかけの内装なのだ。そうわかるとリズの動揺はすぐに消えた。しかしフレインはなぜわざわざこんなことを……。警戒感を持ったまま、リズは廊下をゆっくり進んだ。


「いらっしゃい」


 優雅な声にはっと足を止め、リズは振り向く。廊下の右側、そこにあるのは広い食堂だった。中央に長机と数脚の椅子が並び、その上には灯りのともった燭台とまっさらな銀食器が置かれている。そして部屋の奥、重なった薪が燃える暖炉の横に、淡い緑のドレスにケープを羽織った女性――フレインが微笑みを浮かべて立っていた。


「あなたから来てくれるなんて、嬉しいわ」


「フレイン……」


 リズは身構え、かばんを握る。


「あなたが来るってわかったから、大急ぎで部屋を綺麗にしたのよ。どう? 前よりはいいでしょう?」


 手を広げ、フレインは周囲に視線を巡らせる。


「私が来るって、わかってたの……?」


「ええ。魔術を使ってあんなに急いでいたら、誰だって目立つわ。本当ならこちらからあなたのお家へお伺いしようと思っていたのだけれど、それはあなたのお相手を終えてからにしましょう」


 やはりフレインは家まで襲いに来るつもりだったのだ。あの二人が襲われる前に先手を打って正解だった――リズは表情を引き締め、フレインを睨み据えた。


「お父さんの魂は、絶対に渡さない」


 覚悟の滲む強い口調に、フレインは小さく笑う。


「ふふっ、お父さんのことが大好きなのね。けれど私にはあの魂が必要なの。私の大事な人のためにね」


「六百年前に恋人は死んでる。あなただって本当は死んでる。よみがえらせて一体何の意味があるの」


 これにフレインの笑みがわずかに固まった。


「……なぜそのことを知っているの?」


「バンベルガーさんが教えてくれた。遠い昔に天才と呼ばれた魔術師がいたって……あなたのことなんでしょ? 国王に恋人を殺されて、その悲しい気持ちはわかるけど、他人の命を使って実験するなんて――」


「大人にもなっていないあなたに、私の気持ちなどわからないわ!」


 初めて見る感情的なフレインに、リズは驚き、見つめた。


「彼は……イグナスは、私の唯一の理解者であり、家族よりも大事な人だった」


「あなたにも家族がいたんなら、殺された他人の痛みだって――」


「大事な人はイグナスだけよ。私をお金のために売ろうとした家族など、誰が大事に思えるというの」


 思わぬ話にリズは息を呑んだ。


「あなたくらいの頃に、私は家族に裏切られ、逃げ出したの。それから先生となる魔術師に拾われて、私は魔術の道を志した。その能力はすぐに開花したわ。私は先生をも越えてしまったの。その成長ぶりは喜んでくれるものと思っていたけれど、逆だったわ。私に向けられたのは妬み、そねみ、ひがみばかり。周りにいた魔術師は皆私の邪魔をして喜んでいたわ。私にとって、大事な人などどこにも見当たりはしなかった……」


 暗く沈んだ表情は、ここでわずかに緩んだ。


「けれど、町で出会ったイグナスだけは、余計なものに惑わされず、素の私を見てくれたわ。彼といる時間が、私の心を癒してくれた。本当の愛というものを、そこで初めて知ることが出来たの。彼は貧乏だったけれど、真面目で、誠実で、常に前向きだったわ。誰よりも清らかな心を、私は愛していた。そして彼も愛してくれていた。なけなしのお金で指輪を買い、私達は婚約を交わしたの。これから幸せになろうとしていたのに……あの愚王がそれを引き裂いたのよ」


 語気に怒りを混ぜながらも、フレインはいつもの微笑みを浮かべながら続けた。


「天才なんて呼ばれるものではないわ。その言葉一つで人生はもてあそばれてしまう……民も愚かな王を持って不幸だったわ。天才なら死者をも生き返らせられると思い込む王だったのだから。不可能を果たせと言われ、私は私なりに努力したわ。けれど土台無理だった。それでも結果を求めてくる王に応えなければならず、私は古今東西の魔術に関する古文書を読みあさり、役に立ちそうな知識、魔術を探し続けたわ。それなのに……王は私から自由だけでなく、大事な人まで奪った」


 口の端を上げ、フレインは不気味な笑みを浮かべてリズを見やった。


「あなたはこんなこと、許せるかしら。不可能と知りながらも、私は子を亡くした王の悲しみに、わずかながら同情していた面もあったの。だから方法を探る努力も続けられたのに、ある日、イグナスが死んだと唐突に教えられたわ。強盗に遭い、刃物で刺された不幸な死だと言ったけれど、私はすぐに嘘だとわかった。お金も高級品も持たないイグナスが強盗に狙われるはずがないもの。王は彼の葬儀に行くことを簡単に許してくれた。そして私の部屋に頻繁に来ては慰めようとしてきたわ。その態度で犯人もわかった。酒宴が開かれた時に問い詰めてみたら、案の定だったわ。命令されたこととはいえ、私は王のために力を注いでいたというのに、それがこんな仕打ちを受けるなんて……」


 フレインは様々な感情をないまぜにした表情で、ゆっくりとリズのいるほうへ歩いて行く。


「私は裏切られる人生を歩むよう定められているのかしらね……避けるようになった私を、王は城の部屋から別の建物の地下室へ移し、監禁したわ。成果を聞きに来ることも極端に減った。私を放っておくことにしたのでしょうね。けれどそれは好都合だったわ。そちらが裏切るのなら、こちらも裏切ることにしたの。そこから私の目標は、王の子を生き返らせることではなく、イグナスをよみがえらせることに変わった」


 それはまさにバンベルガーが予想した通りの話で、リズは恐る恐る聞いた。


「あなたは六百年間、恋人を生き返らせるために、生きた人を使った実験を続けてきたの……?」


「ええ。目標がイグナスに変わり、意識が自発的になっただけで、毎日の時間が洗練されたものになったようで、それからの実験は見違えるほどはかどったわ」


 細い指先で長机を撫でながら、微笑むフレインはリズに近付いて行く。


「で、でも、人間は六百年なんか生きられない。何であなたは今も生きてるの?」


「ああ、これはね……」


 自分の体を見下ろして、フレインはリズを見る。


「古文書を読みあさっていた時に見つけたの。自分の時を止める魔術があることを。実験をしながら、ふと思ったのよ。イグナスを生き返らせるまでに一体何年の月日がかかるのかしらと。その時に私がお婆さん姿だったら、彼が気付かないのではないかって。だから私は古文書の時魔術をよみがえらせて自分に使ったの」


「それで、六百年も……」


 フレインはにやりと笑う。


「恐ろしいかしら? それとも、羨ましい?」


「どっちも違う。あなたは……あなたはもう、眠らなきゃいけない」


「イグナスをよみがえらせるまで、それは出来ないわ」


 気付けばフレインはリズの目の前に迫ろうとしていた。だがリズは動かず、妖しく光る青い目を見つめ続けた。


「六百年も実験を続けて、未だによみがえってないのは、そんなことやっぱり無理だっていう証拠だと思わないの?」


「前に言ったはずよ。六割まで完成していると。私だからここまでこれたとは思ってくれないのかしら」


 とうとうリズの手が届く距離にまで来たフレインはそこで立ち止まると、緊張を見せるリズを見下ろした。


「私は、あの時の、あの幸せな瞬間を取り戻すの。それを邪魔する者は誰であろうと排除させてもらうわ」


「血にまみれた恋人をよみがえらせて、何が幸せだって言うの? あなたは長く生き過ぎて狂っちゃったんだ。自分でそれがわからないの?」


「私が狂っていると言うのなら、そうさせたのは周りの者達よ。私はずっとそれに耐えてきたわ。だから彼らが消えて自由になれた今、私は幸せを取り戻すの。だって、その権利はあるでしょう?」


 フレインはにこりと笑い、おもむろに右手を動かす――その瞬間を見てリズはフレインの脇をすり抜け、食堂の奥へと駆け抜けた。


「どこへ行くの? そちらに逃げ道はないわよ」


 フレインはゆっくりと振り向く。そこへリズはかばんから取り出した小さな丸い玉を数個、一気に投げ付けた。そのいくつかはフレインの張った見えない障壁に当たり、そしてころころと床に散らばって行く。


「……どういうつもりかしら。こんなおもちゃを投げて、私と遊んでほしいの?」


 リズは何も言わず、身構える。それを見ながらフレインは不敵な笑みを浮かべて再び歩み寄って来る――リズは成す術がなく、ただ物を投げたわけではない。これは事前に考えた作戦であり、小さな玉も父親に黙って拝借してきたものだった。ファルカスは薬作りと並んで魔導器作りも行っており、小さな玉はその試作品の一つだ。


 魔導器とは、簡単に言えば魔術を物に閉じ込め、魔術師以外の者でもその魔術が使えるようになる道具のことだ。これは古くから作られており、大きな町などでは売っていたりもするが、まだまだ高価なものという印象が強い。そこでファルカスは安価で使えるものを考え、製作しているのだが、出来は趣味の範囲で、決して本格的なものではない。


 フレインと交えるとなると一人では困難が伴う。その原因が魔術の障壁だ。見習いのリズがそれを解呪するには呪文の詠唱が必須だが、それをすればフレインに当然ばれてこちらのやりたいことを先に封じられてしまうだろう。もう一人いれば――その問題を解決させるのに閃いたのが、この小さな玉の魔導器だった。安価で単純なものをということで、この玉は投げ付けた衝撃で閉じ込めた魔術が発動される仕組みになっている。しかしこれは試作品なので、まだ何も魔術が入っていない状態だった。そこでリズは解呪の魔術を自分で閉じ込め、それを量産したのだ。万が一不発だったとしても、いくつもある中の一つはフレインの障壁を消してくれるはず――それがリズの考えた作戦だった。


 まだ公にお披露目されていない小さな玉を、フレインは単なるおもちゃとして気にする素振りもない。リズはその顔をじっと見ながら、迫るフレインを自分に引き付ける。玉の中の魔術は衝撃を受けてから時間差で発動するようになっている。その時間はおよそ五秒。……三、四、五!


 パンッという無数の破裂音が部屋に響き、フレインの意識が初めて床に転がる玉へと向いた。


「何? これは……」


 怪訝な表情を浮かべた直後だった。隅々まで綺麗だった内装が、その色形を薄くしたかと思うと、辺りは一瞬で瓦礫の散乱する元の廃墟の姿へと戻った。魔術で作り出された景色が消えたということは、解呪の魔術が上手く発動したという証――


「……おもちゃでは、なかったのね」


 ようやく気付いたフレインは強張った笑みでリズに目を向けた。だがその時にはすでに懐から取り出したナイフを握ったリズが至近距離まで迫っていた。自分の魔力では大きな傷を負わせられないだろう。ならばリッツォが引っかいたように、物理的な攻撃を加えて力と体力を削ぐしかないとリズは考えた。一度に数個の魔術が発動したことで、その分、解呪時間も長引く。障壁が消えているその時間内に決める――両手で握り締めたナイフの切っ先を、リズはフレインの腹に目がけて突き出した。


「……はっ!」


 ナイフは身をひるがえしたフレインをとらえきれず、勢いの付いたまま行き過ぎて行く。慌てたリズはすぐさま方向を変え、ナイフを振ろうとしたが、その手はあっさりとフレインにつかまれ、持ち上げられてしまった。


「私のために、いろいろ考えてくれたようね」


「は、放してっ……」


 両手を持たれ、じたばたと暴れるリズを、フレインは冷めた目で見下ろす。


「頭のいい娘のようだけれど、こんな危険なことをしてはいけないわ。私の実験材料になりながら反省しなさい」


「いや! 絶対にやだ! 実験なんて、無意味なんだから!」


「無意味かどうかは私が決めること。他人の意見など頼んでいないわ。さあ、行きま――」


 突然フレインの声が途絶え、両手をつかむ手から力が抜けた。それを振りほどいたリズは急いで離れると、動きを止めたフレインを睨み据える。しかしそのフレインの表情はなぜか苦痛に歪んでいた。リズはもがいていただけで何もしていない。一体どうしたのかと警戒しながら注視する。


「……ううっ……うっかり、しすぎね……」


 腰の辺りを押さえると、フレインはがくっと膝を折り、かがんだ。そしてその背後に現れた姿にリズは目を丸くした。


「あなた……誰?」


 そこには外套に寝巻という変わった格好で、痩せた青白い顔の少年が今にも倒れそうな雰囲気で立っていた。


「……俺、だ……わかんねえ、のかよ……」


 弱々しい声でそう言うと、少年は全身をふらつかせ、その場に静かに倒れ込んでしまった。

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