十三話

「……ここって、私の家……?」


 フレインと対峙して、ぎりぎりながらも空間魔術で移動し、助けられたリズは、目の前にある見慣れた家に目を丸くした。


「すまない。ここしか行き場がなかったのだ。勝手に使わせてもらっている」


 寄り添っていたバンベルガーはそう言うと玄関の扉へ向かう。が、ぐらりとよろめき、倒れそうになった。それをリズはすぐに支える。


「大丈夫ですか!」


「この老体では、さすがに体力が持たないようだ……肩を貸してくれるか?」


「はい、もちろん」


 リズは父親の魂が入った箱をひとまずかばんにしまうと、自分の肩にバンベルガーの腕を回し、慎重に玄関へと向かった。するとバンベルガーは扉に手をかざし、何やら呪文を唱えた。一瞬光を放った扉は、カチャリと音を立てると自動的に開いた。自分の知らない仕掛けにリズは瞬きをする。


「……これは?」


「用心のためだ。他にも家の周りに結界を張っている。あの女がここへ容易に来られないようにな。好き勝手に手を加えて申し訳ないが」


「いえ、そういうことなら、心強いです」


 二人は中に入り、居間へ行く。と、雑巾を持った使い魔ゾルタンが出迎えた。


「ご主人様、バンベルガー様、お帰りなさいませ」


 バンベルガーの名も一緒に呼んだことに、リズはその本人に目で聞いた。


「この使い魔は物分かりがよくてな。事情を説明したら、快く承諾してこの家を使わせくれたのだ。感謝しているぞ」


「礼には及びません」


 ゾルタンは無表情で言った。もちろんこの対応は正解なのだが、物分かりがよすぎることは、リズに一抹の不安を覚えさせなくもなかった。


「ゾルタン、治療道具を持って来て。バンベルガーさんが怪我したの」


 言いながらリズはバンベルガーをソファーに座らせた。


「また怪我をしたのですか? わかりました。持ってきます」


 ゾルタンは踵を返し、部屋の隅にある戸棚へと向かう。


「また……? そう言えばバンベルガーさん、どうしてこんなに汚れて……」


 助けに来た時からバンベルガーの服や顔は黒く汚れ、ところどころに小さな傷も作っていた。酒場へ行くために別れた後、老魔術師にも何かがあったことだけはリズにもわかる。


「わしの家が、先ほどの女に襲われてな。すべて灰にされた……」


「フレインはバンベルガーさんのとこにも現れたんですか? だからそれで、ここに逃げて来たんですね」


「迷惑をかけるようで悪いが、ここでなら傷も癒せ、結界を張ればひとまず休めると思ったのだ」


「道具を持ってきました」


 ゾルタンは箱に入った治療道具をリズに差し出した。


「ありがとう。あとは私がやるから、ゾルタンは自分の仕事に戻って」


「わかりました」


 そう言い、持っていた雑巾を握り締めたゾルタンは居間の窓の拭き掃除に戻って行った。


「バンベルガーさん、背中を見せてください。攻撃を受けたのはここですよね」


「うむ……まだじんじんと痛む」


 上半身をはだけさせ、背中を見ると、その一面は赤紫色に腫れていた。皮膚の表面は軽い火傷を負ったかのように若干ただれている。


「軟膏を塗っておきますね。痛いかもしれませんけど……」


 箱から薬を取り、指先ですくった軟膏をリズは優しく塗る。バンベルガーはぴりぴりとした痛みをこらえつつ、背中越しに聞いた。


「……ところで、先ほどの女の名は、フレインというのか」


「はい。本人はそう名乗ってましたけど」


「そうか……」


「その名前がどうかしたんですか?」


「……それは後で話そう。その前にファルカスの魂を体に戻さなければ……取り返せたのだろう? 何もせずともその気配を感じる」


「はい……これでやっと、お父さんの意識が戻ります!」


「リズが命懸けで助けてくれたこと、ファルカスは喜び、感謝するだろう」


 リズは軟膏を塗り終えると、その上にガーゼを当て、包帯で固定した。


「……ありがとう。では、ファルカスの元へ行こう」


 服を着直したバンベルガーは、リズの案内でファルカスの部屋へ移動する。


「お父さん、ただいま……」


 部屋に入るなりベッドで眠る父親にリズは駆け寄った。その後ろからバンベルガーも近付いた。


「ファルカス、お前さんの娘のおかげで、ようやくその目を開けられるぞ」


「バンベルガーさん、これがお父さんの魂です」


 リズはかばんから箱を取り出し、手渡す。バンベルガーは小さな箱の蓋を開けて、そこに施された魔術を確認する。


「この魔法陣は、魂を縛り、自由を奪うもののようだ。それと同時に、外部からの接触を防ぐ効果も合わせ持っている。これが降霊術の邪魔をしていた原因だろう。少し厄介ではあるが……どうにか出来そうだ」


 するとバンベルガーは箱を持つ手に意識を集中させ、リズがまだ知らない呪文を唱え始めた。最初は何も変化のなかった箱に、徐々に黒い稲光のようなものが発生し、ファルカスの魂を取り囲んでいく。詠唱から数分後、バンベルガーが箱に手をかざした瞬間、黒い稲光は破裂するように弾け、箱共々、粉々に砕け散った。リズは一瞬ひやっとしたが、バンベルガーの手の上には無傷のまま父親の魂が残っていた。


「これで魂は戻せる……始めるぞ」


 ゆらゆらと揺らめく青白い魂を、バンベルガーはファルカスの胸の上にかざした。


「ケシュ、ドータ、ジスカルノーディ……シュヨロム!」


 力強い声が響くと、魂は吸い寄せられるようにファルカスの胸の中へ入り込んだ。


「……ちゃんと、戻ったんですか?」


「そのはずだ」


 静寂の中、リズは固唾を呑んで父親の様子を見つめた。しかしその目は一向に開かない。


「お父さん……」


 次第にざわめき始める気持ちを抑えながら見つめ続けた、その時、ファルカスの瞼が小さく震えたかと思うと、ゆっくり、ゆっくりと、自分の動作を確認するように開かれた。


「あ……お父さん!」


 たまらず呼んだリズに、ファルカスは緩慢な動きで顔を向けた。


「……リズ……か」


 まだ焦点の合っていない目だったが、それでもファルカスは娘の声に柔らかい笑みを見せた。


「お父さん! よかった!」


 リズは両手を広げると、父親の胸に飛び込み、その体を思い切り抱き締めた。ファルカスも動かせるようになった腕で娘の背中を抱いた。


「ファルカスよ。リズはお前さんの命の恩人だ。よおく褒めてやることだ」


 そう言われ、ファルカスは娘を優しく見つめると、その頭を一撫でした。


「リズが私を? ……そうか。ありがとう。心配させて悪かった。……バンベルガー、あなたも助けてくれたのか」


「わしは大したことは出来ていない。むしろ危険に引き込んでしまった……言い訳をするつもりはないが、こんなことになるとは思いもしていなかったのだ。すまない」


「あの女のことか……そう言うなら、気を許して魂を抜かれた私もうかつだった。まさか狙われてたとは知らず……」


「あの女……フレインは、そこらの魔術師とは違う。わしは戦ってみてそう感じた」


「普通じゃない、ということか?」


 これにリズは父親から離れると聞いた。


「さっきバンベルガーさん、フレインっていう名前に引っ掛かってましたけど、それと関係あるんですか?」


「うむ……ファルカスよ、この名に聞き覚えはないか」


 鈍い動きで上体を起こしたファルカスは考える素振りを見せた。


「フレインにか? ……いや、今回のことで初めて聞く名だと思うが」


「そうか。まあ、遠い昔の話だ。年寄りでも知っている者は限られるだろう」


「話とは何のことだ」


 バンベルガーは腕を組む。


「権力に翻弄され、消えた、ある魔術師の話だ。その者の名が、フレインという」


「でも、遠い昔なんですよね。何の関係があるんですか?」


「ふむ……その魔術師フレインは、二十代という若さにして天才と称されるほど、魔術に優れた者だったと言われていてな。それを説明するには、彼女に起きたことを話さなければならないが……」


 視線で問うバンベルガーに、ファルカスは軽く頷いた。


「聞かせてくれ」


 腕を組み直し、バンベルガーは改めて口を開く。


「……天才と称されたのは、ただ魔術の扱いが優れていただけではなく、膨大な数の魔術を覚えていたことも理由の一つだったようだ。高等魔術はもちろん、半ば失われかけていた魔術も自らの手でよみがえらせ、自在に操っていたという。彼女は魔術で人々の助けになりながら、一方で魔術研究にも熱心だったらしくてな。自分達の知らない魔術を操る天才の話は、当時の魔術師達の注目の的になったことだろう」


「今も昔も、すごい人っているんですね」


 バンベルガーをじっと見つめながら、リズはしみじみ呟いた。


「買い被るな。わしにはそこまでの技量はない」


「謙遜するな。少なくとも、私が知る魔術師の中では、バンベルガーは最高の魔術師だ」


 親子共々に褒められ、バンベルガーは小さく咳払いをした。


「ありがたい言葉だが、今はわしのことはどうでもいい。……そんな天才の噂は、巡り巡って時の国王の耳にまで届いた。その頃の国王は立て続けに世継ぎを亡くし、深い悲しみに暮れて精神を病んでいたとも言われている。それを裏付けるように、おかしな言動が日に日に増していったというのは、歴史文献にも記されている事実だ。その一つが彼女への命令だ」


「何て言ったんですか?」


「死んだ我が子を、よみがえらせろという無理難題だった」


 リズもファルカスも、思わず眉をひそめた。


「国王が、そんな命令を?」


「魂は呼べても、よみがえらせるなんて……」


「うむ。出来るはずもない。おそらく彼女も説明を重ね、不可能なことを伝えたはずだ。だがこれは勅命だと、彼女は強制的に王城へ連れて行かれ、与えられた部屋で目的を果たすまで、軟禁生活を強いられることになったのだ」


 これにファルカスは小さな溜息を漏らす。


「精神を病んでいたとはいえ、権力というのはいつも横暴なものだ」


「一魔術師が国王に逆らうこともまた不可能だったろう。彼女は大人しく従い、あらゆる手立てを講じたに違いない。魔術の歴史は、命の探求とも言える部分もある。過去の魔術師達は国王と同じように、愛する者をよみがえらせる夢を抱き、幾度も挑戦はしてきたが、誰一人成功することはなかった。それは彼女も例外ではない。その高すぎる壁は、いくら天才と呼ばれる魔術師でも、越えることは叶わなかったようだ」


「それだと、国王を怒らせちゃうんじゃ……」


 心配そうに聞いたリズに、バンベルガーは緩く首を横に振った。


「いや、国王は怒るどころか、彼女に夢中になっていたという」


「結果も出してないのにか? 魅了の魔術でも使ったのか」


「そんな小細工も必要ないほど、彼女は容姿端麗で、誰もが振り返る美貌の持ち主だったらしい。天は二物を与えずと言うが、彼女は魔術の素質と合わせ、女性として最強の武器を与えられていたようだ」


「美貌……フレインも、すごく美人だった……」


 独り言のように呟いたリズをいちべつし、バンベルガーは続ける。


「国王は彼女を寵姫にしようと言い寄っていたようだ」


「寵姫って……?」


「妻以外の女性……妾のことだ。まあ王侯貴族じゃ普通のことなんだろう」


「時代が古ければなおさらだ。国王の寵姫になれれば、不自由のない贅沢な暮らしが約束される。そんな夢のような話を断る女性など、いたとしてもごく少数だろうが、彼女はそのごく少数の選択をした」


「権力と金を蹴るとは……なぜだ?」


「愛を裏切れなかったからだ。彼女には恋人がいたのだ」


「恋人……」


 リズの頭には、フレインの部屋で見つけた若い男性の絵がふと浮かんだ。


「国王の申し出を断るくらいだ。深く愛していたのだろう。頑なな彼女の態度に、国王も恋人の存在にはすぐに気付いたのかもしれない。彼女を手に入れるため、国王は非道な手を打った」


「まさか……」


 表情をしかめたファルカスに、バンベルガーは小さく頷く。


「恋人を、殺してしまったのだ」


「殺された……? 恋人が……」


 身勝手すぎる話に、リズは呆然とする。


「恋人が消えれば、彼女は自分を見ると思ったのだろうが、それは逆効果だったらしい。それ以後も彼女は国王を拒み続け、寵姫になることはなかった。振り向かない彼女にとうとう怒りを見せた国王は、彼女の部屋を暗い地下室に変え、監禁する形で我が子をよみがえらせる命令を続けた。それから城下や近隣の町などでは失踪や行方不明事件が頻発するようになったという」


「それが、彼女と関係あるのか?」


「後にわかったことだ。彼女は国王の命令を果たすため、最初は死体を使った実験をしていた。だが死体が手に入らなくなると、町を歩く民をその代わりに使ったのだ」


「生きた人を使った、実験……!」


 リズの脳裏には、金属の箱に入ったおどろおどろしいあの光景がよぎった。


「しかし、監禁された身でどうやって民を連れて来るんだ」


「もちろん本人が出向くのではなく、彼女に助力出来る立場にある者が行ったのだろう」


「……国王だと、言うのか?」


 バンベルガーは肩をすくめた。


「文献にははっきりと記されていない。だが命令をしているのは国王だ。そのために彼女が必要としているものを揃える責任は国王にある。おそらく臣下を使い、実験体を提供していたのだろう。行方不明者は一年間だけでも、軽く百人は超えていたという」


「そんなに犠牲者が……彼女はいつまで実験を続けさせられたんだ」


「詳しくはわからない。その後の国王の言動はますますおかしくなり、国政にも悪影響が出始めると、民をさらわせたことが表沙汰になり、その立場は一気に崩れ始めた。そしてついに玉座を追われ、新たな国王が誕生した」


「でも、国王の子供はよみがえってないんですよね」


「うむ。王位に就いたのは弟の皇太子だった。だがフレインについてはその辺りからまったく記述がなくてな。監禁された身も、実験もどうなったのか、知ることは出来ない」


「彼女自身も、行方不明というわけか?」


「いや、新国王が立ってからおよそ十年後、急に思い出されたかのように彼女に関する記述があった。内容は、かつての大量行方不明事件に係わる者として、地下に監禁されていたフレインが発見されたというものだ」


 これにファルカスは首をかしげた。


「十年もの長い時間、発見されてなかったというのか? そんなことあり得るのか」


「わしも同感だ。前国王の悪行が露見した時に彼女の存在も明らかになるはずだと思うが、そうはならなかったらしい。彼女に魅了され、守るために言わなかったのか、あるいは我が子をよみがえらせる計画を隠しておきたかったのか……その理由はもう誰にもわからない」


「それで、見つかったフレインはどうなったんですか?」


「事情を聞かれた上で責任を問われ、裁判にかけられることになったのだが、法廷の場に立つ前に、彼女は姿を消してしまったらしい」


「逃げたのか」


「そういうことだ。それ以後、彼女の行方も姿も記述されていない。歴史のどこかへ、文字通り消えてしまったのだ」


「百人以上もの犠牲者を出してはいるが、それは国王の命令であり、簡単には逆らえないものだった。そう考えると少しは同情の余地もあるが……バンベルガーは、消えたフレインと私を襲ったフレインにどんな関係があると考えてるんだ?」


 聞かれたバンベルガーはより真剣な眼差しを二人へ向けた。


「実は、彼女が発見された記述にはこんなことも書かれていてな……その美しさには誰もが目を見張ったと」


「当たり前じゃないですか。国王を魅了するほどの美しさだったってさっきも――」


「よく考えてみるのだ。天才と称された時は二十代の若さで、その美しさは特に際立ったことだろう。それから国王に命令され、実験の日々を送ることになる。正しくはわからないが、年表から察するに期間は五年から十年の間だろう。そして新国王が立ち、彼女が発見されるまで十年……少なくとも十五年から二十年の歳月が経過していることになる。となると彼女の年齢は三十代か四十代となる。その年齢で誰もが目を見張るという記述は少々違和感があるように思えるのだ」


 ファルカスはしばし考えると聞いた。


「他にも容姿に関する記述はあるのか」


「昔に彼女を見たという兵士の言葉として、まったく変わらない美しさに驚いたと言っている」


「それをバンベルガーはどう解釈したんだ」


「誰もが認める美しさ、そして昔と変わらぬ美しさ……すなわちそれは、歳を取っていないのではないだろうかと思っている」


「歳を? 魔術で容姿を若返らせてると?」


「ある意味そうだが、私が言うのは単なる変化魔術ではない。身体そのものから若返らせる魔術だ」


「不老魔術、とでも言うのか? そんなものが存在するなんて聞いたことないが」


「わしも知らないが、古代魔術にそのようなものが存在したという文献は残っているのだ。彼女は失われかけた魔術をよみがえらせることが出来る天才だ。そして我々を襲ったフレインは、魂消滅術という現在では誰も扱えない魔術を難なく放ってみせたのだ。わしの目の前でな」


 これにファルカスは口を開け、驚きを見せた。


「本当か? だとしたら、消えたフレインとあの女は……」


「そうだ。わしは、同一人物ではないかと見ている」


 ファルカスはさらに驚き、発すべき言葉に迷う。


「いや……しかし……バンベルガーの考えをけなす気はないが……」


「いいのだ。お前さんが言いたいことはわかる。今話した話は六百年も昔の出来事だ。そのような時間を人間が生きられるわけがないとわしだって思う」


「六百年……じゃあ、あの女は不老不死なのか?」


「不死かはわからないが、あの容姿は不老と言えるだろう。とにかく、わしはそういう答えに行き付いたと言っておこう」


 難しい表情を浮かべ、ファルカスは考え込んだ。


「にわかには信じがたい話だが……」


「私はバンベルガーさんの言う通りだと思う」


 ベッドに座るリズははっきりと言った。それにファルカスは怪訝に聞く。


「なぜそう思うんだ」


「だって、私見たし、聞いたから……フレインは今も同じことやってる。人をさらって、体を切り刻んで……それが、家の地下室にあったの」


 二人は目を丸くしてリズを見た。


「何と! そんなものを見つけながら、よく無事に逃げられたものだ」


「フレインは私も実験に使おうとしてたから、すぐに殺そうとはしてこなかったんです」


「リズ、聞いたというのは何を聞いたんだ」


「フレインの部屋で私、彼女の恋人の絵を見つけたの。それで、フレインが人間の体を一から作ってるって言って、それは恋人をよみがえらせるためかって聞いたら、フレインは認めた……悲しみを癒すんだって」


「恋人を、一から作るだと?」


「うん。でも魂は作れないから、人柄が似てたお父さんの魂を奪ったって」


「私を、そんなことのために使おうとしてたのか……狂ってるとしか言いようがない」


「国王の子供が恋人に変わっただけで、二人のフレインがやってることはほぼ同じことなの。名前に容姿に目的……ここまで同じなんて、同一人物としか思えないよ」


 バンベルガーは長い口ひげを撫でながら小さく頷いた。


「なるほどな。もしかしたらフレインは、六百年前からその恋人をよみがえらせることだけを考えていたのかもしれない」


「……どういうことですか?」


「最初は国王の命令でやるしかなかったことが、かけがえのない恋人を殺され、目的がそちらへ変わったのかもしれない。対象が違うだけで実験内容は変わらないだろうから、表向きは何ら異変はなかっただろう。新国王に変わって十年もの間見つかることがなかったというのは、フレイン自らが身を隠していた可能性もある。恋人をよみがえらせる実験を続けるために」


「そんな長い時間をかけてまで、恋人をよみがえらせたいなんて……フレインの気持ちはものすごいですね」


「愛は時に狂気をはらむものだ。この執着心……フレインは恋人のためならば、ファルカスの魂も諦めはしないだろう」


 リズは心配な眼差しを父親へ向けた。


「またお父さんの魂が奪われるなんて、絶対にいや!」


 ファルカスは娘の手に優しく触れる。


「私も、二度も同じことはさせないつもりだ。しかし、自分の寿命を操れるような魔術師に、一体どう立ち向かえばいいのか見当もつかない」


「確かにフレインは天才と称されるだけの魔術を扱う。だが彼女は神ではないのだ。完全無欠ではないし、まったく隙がないわけでもない。それをリッツォは証明してくれた」


 突然の名前にリズは首をかしげた。


「リッツォって、あのリッツォですか?」


「うむ。わしがフレインに襲われていた時、リッツォは果敢にも彼女に飛びかかり、腕に傷を負わせたのだ。だが所詮猫の爪だ。大した傷ではないと思っていたが、フレインの腕の皮膚は大きくめくれ、ひどい状態になっていた――」


「ちょ、ちょっと待ってくれ。リッツォというのは、人ではなく猫なのか?」


 眠っていたせいでその間の状況を何も知らないファルカスは、バンベルガーの説明に付いて行けず、慌てて聞いた。


「おお、そうか。お前さんはまだ知らなかったか」


「リッツォっていうのは、ベーラの中に入ってる十六歳の男の子のことで、私が降霊術に失敗した時にそうなっちゃって……一緒に行動してたの」


「ほお、そうなのか……話の腰を折って悪い。続けてくれ」


「……わしが違和感を覚えたのは、まさにその時だった。彼女の皮膚はあまりにもろく、古い布切れ同然だった。それは間違いなく弱点であり、こちらが突くべきところだ。ただし、彼女が張る魔術の障壁さえ越えられればだがな」


「それは可能なのか?」


「可能だ。だが困難が伴うだろう。彼女の気を上手くそらさなければならない。わしもリッツォがいたから障壁の解呪が出来たのだ。そして傷を負わせることにつながった」


「なるほど……バンベルガーをてこずらせるほどの相手だってことは理解出来たよ。そして、万全でなければ勝ち目がなさそうだということも」


 そう言うとファルカスはベッドから両足を下ろし、立ち上がろうとする。


「大丈夫? お父さん」


 リズは手を貸し、父親が歩くのを手伝う。まるで初めて歩くかのように、一歩一歩を確かめながら進むが、その足取りはどこか頼りない。


「……やはり、体の感覚が鈍い。魂が体から長く離れ過ぎたせいか」


「だろうな。だがじきによくなるはずだ。焦らず休め」


「それはバンベルガーもだ。見た目もそうだが、かなり消耗してるんじゃないか?」


 指摘され、バンベルガーは苦笑する。


「ふっ、近年で一番魔力を使っている。それを取り戻すのに何週間の休息が必要か、自分でもわからない」


「また危険が迫ろうとしてるのに……」


 ファルカスはベッドに戻り、腰を下ろすと、小さな溜息を吐いた。


「気が急いたところで我々の状況は変わらない。準備が整うまで大人しく身を隠し、策を練るのがいいだろう」


「魔術師仲間に助けを求めてみるのはどうだろうか」


「わしは他の者を出来るだけ巻き込みたくはないが、いざという時はそうする他ないかもしれないな」


 大人二人の会話を聞きながら、リズは気になっていたことを聞いた。


「あの、バンベルガーさん、さっき出たリッツォのことなんですけど……」


「うむ、リッツォがどうしたのだ」


「その後、どうなったんでしょうか? フレインに捕まってませんよね」


 心配そうに聞くリズにバンベルガーは笑みを見せた。


「大丈夫だ。彼はわしの魔術でシュラム村付近へ移動させておいた。何事もなければ村でリズを待っていることだろう。こちらの問題が収まったら、すぐに行ってやらないとな」


 無事と知り、リズはひとまず安堵した。


「そうだったんですか。よかった……お父さん、目覚めたばっかでお腹空いてない? 私何か作ってこようか」


「腹というより、喉のほうが乾いた。いつものお茶を頼めるか」


「うん、わかった。バンベルガーさんの分も持ってきますね」


「おお、すまないな」


 リズは一人部屋を出ると、居間の片隅にある台所へ向かった。


「あ、ゾルタン」


 そこでは掃除を終えたゾルタンが昼食の材料を切り、黙々と準備をしていた。


「……ご主人様、あと三十分ほどで食事が出来ますから、しばらくお待ちください」


 ちらと顔を向け、無感情に言う。


「うん。でもその前にお茶作りたいんだけど」


「お茶ですね。では私が――」


「いい、いい。ゾルタンは料理して。お茶はこっちで作るから」


「そうですか。では湯を沸かす用意だけ……」


 そう言うとゾルタンはポットに水を入れ、それをかまどの上に置いた。


「……ではどうぞ」


 場所を半分譲ったゾルタンの横で、リズは茶葉を取り出し、二人分のコップを手に取る。火にかけられたポットを見つめながら、頭の中で先ほどまでのバンベルガーの話を反すうする。フレインは強い。老練のバンベルガーを苦しめるほどの魔術師だ。今思えば本当によく殺されなかったと思える。それは彼女の恋人への執着のおかげだろう。その実験を続けるためにリズは殺されなかったのだ。しかしフレインの基準が恋人にある限り、それに有用な者は狙われ続ける。それが、父ファルカスの魂だ。バンベルガーはこの家の周りに結界を張ったと言っていたが、リズはフレインの未知の力を思うと、いつ居場所を見つけられるか不安でたまらなかった。また父が意識を失い、眠りに落ちてしまうのでは……再び魂を奪われたら、フレインは当然警戒を強めるだろう。今回のようにまた運よく奪い返せるとは限らない。そんな結果になることが、リズにとっては何よりも悪夢となる。しかも今二人は万全の状態ではない。もしフレインがここを見つけ、襲いに来たら――そんな想像をしてリズはますます危機感を覚えた。どこかへ逃げても、フレインは必ず追って来るだろう。恋人のためなら地の果てでも……ならば打って出るしかない。悪夢が現実となる前に、六百年も続けた狂気の望みを絶ち切らなければ。もちろん準備は怠らない。見習い魔術師一人で勝てるような相手ではないともわかっている。だから強力な魔術に頼るのではなく、弱点を突く準備をするのだ。別に死に急ぐつもりはない。フレインの力を少しでも削ぎ、二人の状態がよくなるまでの時間を稼げればそれでいい。子供で、見習いでも、その程度の役には立てるはずだ――ポットの注ぎ口から吹き上がる湯気を眺めながら、リズは密かに決断をしたのだった。

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