五話

 二時間ほど歩いて森を抜けると、目的の町サクロツには難なく到着した。夕食時もとっくに過ぎ、町中は暗く静寂に包まれていたが、ある一画に入ると、そこには煌々と灯りがともった建物があり、その周囲には酔った男達の姿がちらほら見かけられた。


「……あれが酒場らしいな」


「うん……何かちょっと、怖いね……」


 まだ十四歳のリズは当然酒場など訪れたことはなく、酔った男達がたむろする独特の雰囲気を目の当たりにし、心は二の足を踏んだ。


「確かに、絡まれそうで怖えけど、行かなきゃ始まんねえんだ。さっさと行って来い」


「そ、そうだね。行って……え?」


 リズは一瞬遅れてリッツォを見下ろした。


「行って来いって、私だけ行かせる気?」


「当たり前だろ。俺は猫なんだ。動物を入れてくれる店なんかあると思うか?」


「そうだけど、一人だけなんて心細いよ。リッツォも付いて来て!」


「一緒に行ったって蹴り出されるのが落ちだ。勇気振り絞って行って来い!」


「そんなあ……」


 リズはもじもじと落ち着かない様子を見せる。


「平気だよ。ここは単なる町の酒場だ。子供相手に喧嘩吹っかけてくるやつなんていねえよ」


「もし私が酔っ払いに絡まれても、一人だけ逃げたりしないでよ?」


「そんなことするか。ちゃんと窓の外から見ててやるよ」


 不安な表情を浮かべていたリズだったが、引き締めた顔になると小さく頷いて見せた。


「……わかった。じゃあ、行って来る」


 肩にかけたかばんを強く握り締め、リズは灯りの漏れる酒場へと向かって行った。リッツォはその姿を道の端から見守る。


 酒場の前にたむろする酔客を避け、そのままリズは店内にゆっくりと入って行く。姿が見えなくなり、リッツォが酒場近くまで移動しようと思った時、なぜか再びリズの姿が現れた。


「……何だ?」


 様子を見ていると、エプロンを着けた女性とリズが何やら話している。その女性は迷惑そうな顔でしきりに右手を振り、来るなという動きを見せている。それでもリズは食い下がろうとしていたが、威圧的に詰め寄る女性に成す術もないのか、リズは諦め、踵を返して戻って来てしまった。


「……何で追い出されたんだよ」


 落ち込んだ目がリッツォを見る。


「子供は入店禁止だって」


 これにリッツォは呆気にとられた。


「はあ? 少し考えりゃわかることじゃねえか。だったらじいさんを連れて来るべきだったろ。何で断ったんだよ」


「話を聞くくらい、私だけで出来ると思ったから……」


「ったく、どうすんだよ。中の客が全員出て来るまで、ここで待ち続けろって――」


 これにリズは右手を突き出し、リッツォの言葉を制した。


「大丈夫。中に入る方法はあるから」


「あのなあ、中に入れたって見つかりゃ――」


「だから大丈夫。私には魔術があるんだよ?」


 そう言うとリズは周囲を確認し、道から外れた茂みの中へ入った。


「おい、どこ行くんだよ」


「リッツォは誰も来ないか、そこで見てて」


 リズは茂みのさらに奥の暗がりへと消えて行った。一体どうする気なのかと待っていると、その暗がりがうっすらと光を放った。ほんの一瞬の出来事で、酒場の客にはまったく気付かれていない。魔術で何をしているのか、暗がりを注視し続けるリッツォだったが、がさがさと茂みをかき分ける音と共にリズは戻って来た。


「おい、奥で何して――」


 そう言いながら見上げた相手と目が合うと、リッツォは思わず言葉を途切れさせた。現れたのは当然リズだと思っていたが、目の前に立っていたのは明らかに別人の女性だった。それに驚き、後ずさりをしようとするリッツォを見て、その女性はすぐに呼び止めた。


「待って待って。逃げなくていいから。私はリズだよ」


「……リズ?」


「そう。使い魔のゾルタンみたいに魔術で姿を変えたの。どう?」


 道に戻ったリズは長いスカートをつまむと、ひらひらと揺らして自身の体を確認する。その姿は元のリズとは何もかもが違っていた。まず服装は町の住民が着るようなブラウスにロングスカートとなり、背丈は成人女性並みに高くなっていた。そして顔は幼さの残る作りから、しっかり成長を遂げた大人の作りに変わっている。リズとはまた違う容姿で、新たに作られた女性のようだが、これが魔術だと言われなければ、リッツォには永遠に見知らぬ女性としか思えない姿だった。


「そんなに驚いてるってことは、なかなかいい出来?」


 リッツォの反応に、リズは面白がるように笑顔を見せた。


「ああ。どこからどう見ても大人の女だ。でも、もうちょっと美人に出来なかったのか? どことなく野暮ったい感じがあんな」


「美人かどうかなんて関係ないでしょ。目的は酒場に入ることなんだから。それにあんまり美人すぎて、男の人に言い寄られても面倒くさいし。このくらいの顔でちょうどいいの」


「とか言って、まだ美人に変われるだけの腕がねえんじゃねえのか?」


「そっ、そんなことないから! もっと集中すれば、すんごい美女にだって変われるんだから! 今はそんな必要ないけど。じゃ、じゃあ、行って来るから待ってて」


 リズはそそくさと酒場へと向かって行く。


「……図星だな」


 小さく笑いながらリッツォは道の端で再び様子を眺めた。最初は恐る恐る酒場に近付くリズだったが、入り口にたどり着くと何食わぬ顔で中へと入った。しばらく待つが追い出されて来ることはなく、客として迎えられたようだ。リッツォはさらに様子を見るため、小走りで酒場へと近付く。


「どうしたもんかな……」


 リズの様子を見るにはどこからかのぞくしかない。入り口の扉は閉まっているので、残るは灯りの漏れる窓だけだ。リッツォは酒場の周囲を歩き、のぞけそうな窓を探すが、ここの酒場の窓には猫が上れるほどの張り出しがなく、小さい体でのぞくのは無理そうだった。


「……お、あれはいいかも」


 酒場の裏側へ回ると、窓のすぐ下に樽や木箱が多く積まれているのを見つけた。その一番上に上れば窓からちょうど中がのぞけそうだった。リッツォはさっそく近付くと、猫の跳躍力で一気に上った。


「こういう時は猫ってのもいいもんだな」


 積まれた一番上の樽に乗ると、上半身が窓と同じ高さになり、悠々と中をのぞけた。汚れのせいか少し曇っていて見えづらくはあったが、それでも中で動く人影はしっかりと見えた。


「さてと、リズはどこにいんだ?」


 窓に顔を近付け、リッツォは姿を変えたリズを捜す。店内は手前にカウンターがあり、表側にいくつもの机が並んでいて、その席の半分ほど、十人くらいが酒を飲んでいる。その間を先ほどリズを追い出したエプロンの女性がせわしなく歩いていた。彼女はどうやら給仕のようだ。酒を運んでは客と笑顔で言葉を交わしている。


「……お、いたいた」


 給仕からさらに奥へ視線をやると、入り口近くでリズの姿を見つけた。机で飲む二人組に話しかけているようだ。だが二人組は首を振ったり傾げたりしている。魔術師ではなかったのだろう。リズは切り上げ、別の席へと向かう。


「話が聞けるかどうかはともかく、まあ、問題なさそうだな」


 順調そうな様子にリッツォはひとまず安心し、リズを待つ間、酒場の景色を横目に少し休もうと思ったが、ふとバンベルガーの話を思い出し、再び窓に目をやった。


「そういや、綺麗な女の知り合いがいるって言ってたな……」


 かなり乏しい情報ではあるが、それでも女性ということははっきりわかっている。とりあえず客の中にいる女性に話しかけていけば、まず見逃すことはないだろう。リッツォは窓越しに店内を見回し、女性客がいるかどうかを確認する。


 顔の見えない客もいるが、背格好からほとんどの客は男性のようだった。ここにいる女性は給仕とリズくらいだろうか。


「……ん?」


 リッツォは視線を動かしながら、ふとその人影に気付いた。あまりに近すぎて逆にその存在に気付かなかったが、手前にあるカウンター席の右端に、一人で飲むローブ姿の客がいた。うつむいていて顔はよく見えないものの、金の長い髪にコップを持つ細い指からは女性の雰囲気を強く感じさせる。


「むう、怪しいな……リズは何してんだ」


 その姿を捜すと、リズはその金髪の客のすぐ後ろの席で話を聞いていた。だが表情から知りたい話は聞けていないようだった。


「そいつはもういい。その隣の、カウンターの客に話を――」


 そう言いながらカウンターに目を戻した時、リッツォはこちらを見る金髪の客と目が合い、思わず身を固まらせた。一瞬逃げることもよぎるが、自分は今猫の姿なのを思い出し、その場に踏みとどまった。向こうにしてみれば、窓の外に偶然猫を見つけたに過ぎないのだ。目が合おうとも猫らしく、平然としていればいい。


 だが目が合ったおかげで、その顔をはっきりと見ることができた。ほっそりとした輪郭に白い肌、長いまつげに大きく青い瞳、真っすぐに伸びた鼻筋に小さくふっくらした赤い唇――まるで人形のように整った顔は、誰が見ても美しいという一言に尽きるだろう。世間をあまり見ていないリッツォでも、彼女が並ではない美貌の持ち主であることはすぐにわかった。それと同時にバンベルガーの話の女性は、間違いなくこの女性であるとも確信した。これ以上に美しい顔など、そうあるものではないだろう。ファルカスが一緒に飲んだというのは、この女性に違いなかった。


 金髪の女性はリッツォから興味を失ったのか、再びうつむき、手元のコップに目を落とした。その後ろではリズがまだ客から話を聞いていた。


「違う! いつまで聞いてんだよ! こっちだ、すぐそこの女だ!」


 少し苛立ちながら言うも、リズに窓越しの声は届かない。それどころか、ようやく話を終えたと思うと、リズはカウンターとは逆の席へ向かおうとする。


「っだあ! 気付けよ! そこにいんだろが!」


 遠ざかろうとする姿を見て、リッツォは苛立つ感情をぶつけるように窓のガラスに両足で爪を立てた。その途端、ギギギギィと酒場の内外に不快音が響き渡った。


「何だあ?」


「気持ち悪いな。誰だよ」


 この音に客達が一斉にカウンターのほうへ振り向く。その中にはもちろんリズもいた。


 体の奥がかゆくなりそうな嫌な音に思わず振り向いたリズは、その出所を探す。と、カウンターの背後にある窓の外に黒っぽい影を見つけた。少し近付くと、それがリッツォだとすぐに気付き、溜息を漏らす。


「もう、変ないたずらはやめてよ。こっちは真剣に聞いて回ってんのに……」


 呆れた眼差しで迷惑を伝えるが、リッツォは前足でしきりにガラスをこすっていた。そのたびに爪も当たるのか、カツカツと小さな音が鳴る。


「……何? 何か言ってるの?」


 その必死な様子にリズはようやく気付くが、その時、カウンターの中にいる酒場の主人もリッツォの存在に気付いてしまった。


「……お前か、野良猫め。こんなところにいたって食いもんはやらねえぞ」


 窓の外のリッツォを睨むと、主人は拳でガラスをガンガンと叩き、脅す。これにはリッツォも怖くなったのか、その場からすぐに消えてしまった。原因を排除し、酒場内には元の空気が戻るが、リズはリッツォの伝えたかったことを探し、カウンターの周囲を見回す。


 席は五つあるが、今は一つしか埋まっていない。とりあえず話を聞いてみようと、端に座る客にリズは声をかけた。


「あの、ちょっといいですか?」


 すると客はゆっくりと顔を向けた。それを見てリズは驚き、息を呑んだ。ローブを着た後ろ姿からはまったく想像もしていなかっただけに、その美しさは一瞬言葉を失うほどの衝撃だった。


「……何か?」


 透き通るような高く澄んだ声まで美しく、リズは気後れしそうになりながらも聞いた。


「えっと……あの、もしかして、ファルカスという人を、知ってたりしませんか……?」


 これに女性は、かすかな笑みを浮かべた。


「ファルカス? ええ。知り合いにいるけれど」


 瞬間、リズの胸は大きく高鳴った。


「じ、じゃあ、ここで一緒に飲んだことがあるっていうのは……あなた?」


「ええ。三回か、四回ほど、ここで会った時に飲んだことがあるわ」


 彼女こそがバンベルガーの話していた女性で間違いない――リズは小躍りしそうな気持ちを抑え、続けた。


「あの、あの、その時のお話なんかを聞かせてほしいんですけど――」


「それはいいけれど、その前によければお名前を教えて」


 落ち着いた笑顔で言われ、リズは前のめりの姿勢を正した。


「そうでした。私は、リズ・ティルディです。……あなたは?」


「フレインと呼んで」


 名乗ったフレインは右手を差し出す。白く折れてしまいそうな細い手とリズは握手を交わす。


「ティルディという姓は、確かファルカスと同じね。何かご関係が?」


「ファルカスは私のお父さんです」


 これを聞いたフレインはわずかに青い目を見開いた。


「まあ、お子さんがいらしたのね」


「そういうお話はしなかったんですか?」


「個人的なことはあまり……だから、そういうお姿をしているんですね」


「え……?」


 リズは意味がわからず、首をかしげた。


「ファルカスは確か三十六歳、でも今のあなたは二十代の大人に見えるわ。この酒場は大人の社交場。十代の子供ではまだ入れないものね」


 最初は何を言っているのかと怪訝な表情を浮かべるリズだったが、微笑むフレインに見つめられ、はっとした。


「……わ、私のこの姿のこと、わかって……?」


 これにフレインはにこりと頷く。


「それじゃあなたも、魔術師なんですか?」


「そういうことになるわ」


 フレインは三十六歳のファルカスに二十代の子供がいる不自然さを指摘した上で、リズの姿が魔術で作られたものだとすぐに見抜いたのだ。その素早さと能力は、リッツォを見抜いたバンベルガーに近いようにも思えた。


「すごいです。一瞬でわかっちゃうなんて」


「大したことではないわ。あなたも魔術師なら、いずれ同じ力を持てるようになるでしょう。……それで、ファルカスについて、何を聞きたいのかしら」


「その、実は、今お父さんの意識がなくて……」


 フレインの青い目に険しさが混じった。


「意識が? どういうことなの?」


「私もわからないんです。ある日起きたら、そうなってて……。お父さんに直接聞こうと、降霊術を試したんですけど、なぜか上手くいかなくて」


「それは心配な状態ね……降霊術は何度も試してみたの?」


「はい。お父さんの友達にもやってもらったんですけど、何かが邪魔してるとかで、魂を降ろせなかったんです」


「邪魔……つまり、ファルカスの意識がないのは、人為的だということかしら」


「そこまではまだわかりません。でも、そういう可能性もなくはないと」


 フレインは椅子に座り直すと、改めてリズを見つめた。


「あなたがここに来たのはなぜなの?」


「お父さんの様子や、知り合いとの関係を知るためです。もし誰かがお父さんの意識をなくしたとすれば、そこに恨みとか妬みとか、悪いものがあるかもしれません。だから知り合いを探して、ちょっとでも手掛かりがあればと思って。……ちなみに、フレインさんはお父さんとどんなお話をしてたんですか?」


「世間話の範囲よ。雪が降る前に冬支度しないととか、北のほうに薬の材料がたくさんあるとか、あの魔術書はわかりやすくてお薦めだとか……ファルカスとはそういうおしゃべりが常だったわ」


「お父さんに、何か困ってることはありませんでしたか?」


 これにフレインは首を横に振る。


「いいえ。少なくとも、私にはそういった話も素振りもなかったわ。お酒はいつも酔わない程度に飲んで、愚痴を言ったり苛立ちを見せたことは一度もないわ」


「それじゃ、お父さんについて、誰かからお話を聞いたことは?」


「私は友人が少ないから。ファルカスのことはここで会って初めて知ったの。それ以前も以後も、彼の話を耳にしたことはないわ」


「そうですか……」


 父ファルカスは、この酒場で至って普通に飲み、会話を楽しんでいたようだ。そこに現在の状態につながる不穏なものは何も感じられない。今のところ、誰かの恨みを買っていたわけではなさそうで、リズはそこにだけは安堵していたが、しかし原因にたどり着かなければ、その安堵の気持ちもさほど意味はないと理解していた。


「お役に立てなくて、ごめんなさいね」


 申し訳なさそうに表情を暗くするフレインに、リズは作り笑いを返した。


「いえ、お話をしてくれて、ありがとうございました。とってもありがたかったです」


「ファルカスとは数度話しただけだけれど、意識が無事戻ることを祈っているわ」


「はい。私も、頑張ります。それじゃ……」


 そう言い、リズはカウンターから離れた。唯一見つけた父の知り合いだったが、有力な情報は何一つ得られず、リズは内心肩を落としたが、酒場を見回すと気持ちを切り替え、再び客に話を聞いて回った。


 その二十分後――


「……お、出て来たか」


 酒場の正面が見える道の端で待っていたリッツォは、入り口から出て来たリズを見つけるや否や、小走りに駆け寄った。


「どうだった? 何か聞けたか?」


 リズは足下に来たリッツォをいちべつし、道を進む。


「駄目。なあんにも聞けなかった」


 そう答えた声には疲れを感じる。


「一個も? あのカウンターの女にも、ちゃんと話聞いたんだろうな」


「聞いたよ。でも普通の話しかしてなかったって。他の魔術師のお客さんにも聞いたけど、お父さんのことは知ってても、親しくはないみたいで、関係なさそうだった」


「手掛かりなしか……まあ、しょうがねえな」


「うん。また明日にでも来てみるよ」


 これにリッツォは顔を跳ね上げた。


「は? 明日も酒場で聞き回る気か?」


「当然でしょ。今日話を聞けた魔術師は四人だけだったんだから。明日になればまた別の魔術師の人が来てるかもしれないんだし」


「知り合いの女に話は聞けたんだ。それでいいんじゃねえか? あとはじいさんのほうに任せて、早く俺を家まで送れって」


 リズは足下のリッツォをじろりと見下ろした。


「協力してくれると思ったのに、やっぱ自分のことしか考えてないんだ」


「当たり前だろ。命が懸かってんだ!」


「お父さんだってそうだよ! そうわかっててじっと待ってなんかいらんない。ちょっとでも可能性があるんなら、いろんな人に聞いて回りたいの。リッツォも、私の立場ならそうするでしょ?」


 聞かれ、リッツォは目を伏せる。


「言ってんことはわかるけど、ただ、俺のことも少しは考えてくれってだけだ。父親のことで、俺の状況なんて頭からすっかり抜けちまいそうだからよ」


 リッツォにしては控え目な言い方に、リズも気持ちを落ち着けて言った。


「……そうだね。ごめん。慣れない場所に行ったせいで疲れてるのかも。バンベルガーさんの家に戻って、休んで、それからまた決めよう」


「おう……それとその姿、もういいんじゃねえか?」


 言われてリズは姿を戻していないことに気付いた。


「あ、そうだった。……この姿のままだと、落ち着かない?」


「そうじゃねえけど、なんつーか、元の子供のほうが、もう見慣れたっていうか……」


「安心? それとも愛着が湧いちゃった?」


「うぬぼれんな! あ、愛着なんか湧くか!」


 怒鳴るリッツォを笑いながら、リズは短い呪文を唱えると、元の十四歳の姿に戻った。


「それじゃ、また暗い森を通って、帰ろうか」


 行きと同じように魔術で光の球体を生み出すと、その灯りを頼りに森の中の道を二人は歩いて行った。


 だが十歩も進まないところで、リズはおもむろに立ち止まった。


「……あん? どうしたんだよ」


 リッツォは怪訝な目でリズを見上げる。


「あれ、何か来る……」


 そう言ってリズは前方の暗闇の先を指差した。


「何かって何だよ」


 リッツォは目を凝らして見つめるが、特に異変は見当たらない。もう一度リズに聞こうかとした時、ばさばさとこちらに近付いて来る物音と共に、暗闇の宙に浮く小さな影を見つけた。


「な、何だあれ……鳥か?」


「そうみたいだけど……」


 形や動きから、それは確かに鳥のようだった。群青色の翼ではばたき、どんどん二人に近付いて来る。


「何か、俺達のほうに来るぞ」


 鳥は二人を避ける進路ではなく、体当たりでもするように真正面から向かって来る。このままでは明らかに鳥とぶつかってしまうだろう。


「あの鳥、様子が変だ。逃げたほうがいいんじゃねえか」


「う、うん。そうだね……」


 不気味な鳥の動きを警戒し、二人が道の脇へ逃げようとした時だった。


「お待ちください。私は危害は加えません」


 どこからか男性の声が聞こえ、二人は思わず振り向いた。


「だっ、誰なの?」


 リズは怖がりながら呼びかけるが、周囲に人影はない。


「おい! 鳥が来る!」


 二人が振り向いた隙に、鳥はもう目前にまで迫っていた。目標はやはり二人のようだ。


「ひゃああ! 何なの、来ないで!」


 襲われる恐怖にリズは両腕をぶんぶんと振り回し、牽制する。


「落ち着いてください。何もしません」


 再びの声に、リズは両手で顔をかばいながら周りに視線をやる。


「……誰?」


「目の前にいる私です」


 そう言うと、リズの至近距離に鳥がすっと近付いてきた。はばたきながら、小さく丸い目でじっとリズを見つめてくる。


「まさか、この鳥がしゃべってんのか……?」


 唖然としながらリッツォは見上げる。


「私は、我が主バンベルガー様の使い魔です」


「つ、使い魔……」


 これにリズは大きく息を吐いた。


「もう、だったら早く言ってよ。無駄に怖がっちゃったでしょ」


「何だよ。ただのいかれた鳥じゃなかったのか」


「申し訳ありません。すみやかに名乗るべきでした」


 鳥の無表情とは反対に、話す声には言葉通りの感情が表れていた。


「それで、一体どうしたの? こんなとこまで」


「我が主バンベルガー様からの言伝です。『邪魔をしているものの正体が判明しそうだ。上手くいけばファルカスの魂の居場所も見つけられるかもしれない。聞き込みは切り上げ、こちらの手伝いをしてほしい』とのことです」


 聞き終え、リズの胸は高鳴った。


「ほ、本当に? 全部わかりそうなの?」


「詳しくは我が主にお聞きください」


「そうだね。……リッツォ、急いで帰ろう!」


「おう。やっぱあのじいさんはすげえな」


 思わぬ朗報に、二人の顔と気持ちはすっかり明るく変わっていた。


「では、私はこれで」


 最後まで丁寧に対応し、使い魔の鳥は二人の前から飛び去ろうとした。がその瞬間、横から伸びてきた白い手がその体をわしづかむと、そのまま力任せに握り締めた。


「ギュエッ……」


 鳥は喉に詰まったような悲鳴を上げると、抵抗する間もなく、その命を失ってしまった。


 あまりに一瞬の出来事で、リズもリッツォも何が起こったのかすぐに理解が出来ず、呆然としていた。だが思考が戻り始めると、この異様な光景に、リズの視線は白い手をゆっくりとたどり始めた。そしてそこにあった姿に瞠目する。


「こんばんは」


 目が合うと、美しく整った顔は柔らかく微笑む――それは、酒場で話を聞いたばかりのフレインだった。

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