第3話 一ノ瀬 涼香の機転

 二人だけの片付けの後に残ったのは暇だけだった。

 でもやや好感度が上がったお陰で会話のきっかけになっていた。

 なんとか場を繋いでいると晩御飯の支度をする時間になっていた。

 猪俣 智司も一ノ瀬 涼香もそのことに気付いた。ある一定の時間になると自動で点灯するようになっているからだ。

「お腹……空いたね。支度……しようか?」

 支度ということは手料理が出るのかと猪俣 智司は思った。僅かな衝動に駆られ固唾を呑んだ。だがこの時に冷蔵庫に材料がないことに気付いてしまった。

「あ! 材料……ないや」

 後頭部をかきながら言った、しかもどこか他人事のように目線を逸らしながら。無責任な対応だがいきなり来る方も悪いと開き直っていた。

「近くにスーパーあるかな?」

 一件だけなら心当たりがあった。だが気付いた。一ノ瀬 涼香はこの辺に詳しくないと。ということは――。

「案内してくれないかな?」

 この時の猪俣 智司の脳内はこれはもしや初デートなのでは? と思い始めていた。許嫁として振る舞ってくれる一ノ瀬 涼香に感謝しなければならなかった。

「そうだよな! んじゃ一緒に行くか!」

 一緒に行くとなると徒歩十分と中途半端な環境だがないよりはあった方が良かった。なによりもまさか一ノ瀬 涼香の手料理が食べられるなんて夢の中の出来事のようだった。そこに豪華さは求めていないと味気なくても振る舞ってくれたことに感謝しないといけなかった。

「うん! 行こう! 猪俣くん! あ!? でも」

 家でいる時の服装でいることに一ノ瀬 涼香は気付いた。確かにTシャツに短パンは外出用の時の服装としてはダサ過ぎた。

「わ、私……外で待ってるから!」

 さすがの一ノ瀬 涼香も見辛いと判断したようだった。急に立ち上がり外に出ようとした。

「あ! すぐに行くから!」

 一ノ瀬 涼香の返事がないところ見ると相当なようだった。さすがに下を変えて上は羽織れば問題ないだろうと猪俣 智司は思った。ここで片付けた服を取り出そうとクローゼットへと急いだ。

 待たせる訳にはいかないとクローゼットをさっさと開けた。しかもいい加減な気前でジーパンを取り出すと床に置き短パンを脱ぎジーパンへと穿きなおした。まだいい加減なまま今度は上着を取り出し羽織り始めた。

 万全という訳ではないが待たせるのもどうかと思った。いい加減な初デートになりそうだったがそんなに気に留めなかった。なによりも許嫁なのだからと軽い気持ちでいた。最後に四角いミニテーブル上にある鍵と財布とスマホを手にしポケットの中に入れた。

 準備は終えたと玄関まで急ぐと靴が整頓されていた。いつもなら乱雑に脱がれた跡しかなかった。これは一ノ瀬 涼香の仕業だと気付くのに時間は掛からなかった。なんて優しいんだと猪俣 智司は心の底から思った。とそれよりも――。

「悪い! 待たせた!」

 靴を器用に履き玄関ドアを開けながら言った。完全に開かれた先の一ノ瀬 涼香は微笑ましかった。この時に猪俣 智司は俺の前に天使が舞い降りたと感じるようになった。思わず首を左右に振り再確認したがやはり天使だった。

「大丈夫だよ! 亀だもん! 待ってないよ」

 なんて優しいんだと感銘を受けそうになったが本来の目的を思い出し猪俣 智司は天使であることを一時的に忘れることにした。

「行こう! 一ノ瀬さん!」

 夕暮れは近いけれど照らされたように猪俣 智司は明るくなった。

「うん! 猪俣くん!」

 明るくなったことに嬉しさが込み上げてきた一ノ瀬 涼香は元気良く返答した。気紛れな二人に不変な平和が訪れてほしいと願うのは贅沢なのだろうか。これからも笑顔が絶えない二人でいてほしい。亀夫婦になるその日まで二人は邁進し続ける。

 だって二人はお似合いのカップルなのだから。

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