第6話 日照りの神
致命傷であったろう傷が一瞬で消えた。
私より小さな男の子は何事も無かったかのような表情をして、口元についた血を懐紙で拭っている。
術を使うには、仙力、相性、才能など様々な要素が必要だけれど、効果が大きな術ほどそれぞれの要素の高さが求められるから……この子、天才?
しかし、瞳には翳りが見える……それはそうだよ。
「ありがとう。あと……間に合わなくてごめん……大丈夫?」
自分の危機は凌いだけれど、目の前で人が殺されたのだ。
恐らく彼にとって親しい人が2人も。
きっと大丈夫な訳はない。
どう慰めれば良いのか迷いながら声をかけると、少年はそっぽを向いたまま小さく息を吐いた。
「お姉さん、馬鹿でしょ。色々と……。よほど甘やかされて育ったんだね」
胸を貸す準備すらしていたというのに、少年から返ってきたのは辛辣な言葉だった。
何をどう反応して良いか分からず、私が固まっていると彼は冷たい笑みを浮かべ、こちらを向いて腕を組んだ。
「『秘密』と言ったのは脅しだよ。僕がそれに触れてほしく無いこと分かんない? それに死んだのは僕の護衛。彼らは任務を全うしただけ。悪いのは鍛錬が足りなかった彼ら自身と、この地へ導いた僕だ。貴女の謝罪は何なの? この上なく傲慢だよね」
「……ごめんなさい」
「そもそも、なんで助けに入ってきたの?」
「君が危ないと思ったから……」
「それだけ? ほんと馬鹿。頼んで無いのにさ。後先考えない愚かな主人は臣を殺すよ」
「臣……?」
「このオジさん、お姉さんの臣下なんでしょう。『飛電』の使い手って、つまりそういうことかと思ったんだけれど」
この子はどういう勘違いをしているんだろう。護衛が付く身分のおぼっちゃまの思考は読めない。
それに『飛電』って何?
少年の意味不明な発言に戸惑いしかない。
すると、水燕先生がゆっくりと起き上がり、両膝立ちで深い一礼をした。
「発言をお許し頂けますか」
「ああ。構わない」
「救って頂き感謝申し上げます。そして、先程の言葉は私の失言でした。どうかお忘れくださいますよう」
先生が自分を「私」って。
急に畏まっちゃってどうしたの?
「そう……伝えていないんだね。馬鹿は臣下も一緒……大事に護るだけが忠義とは言えないよ」
「忠心ではなく、友情ですので」
「ふぅん。しかし、お前達の甘すぎる思考は罪だ。無責任に僕を救わずに見捨てるべきだった」
少年は冷ややかな表情でこちらを睨む。
人を助けて見下されるってなんだろう。釈然としない。
「でも、目の前にいる人が危険にさらされていたなら、助けるのは当然のことでしょう」
私が言うと少年は鼻で笑った。
「決断には責任が伴う。時と場合によっては一人を救うことで千人が死ぬことだってあるんだよ」
「そんな極端な、え…………‼︎」
私は反論を試みたが、言葉を続ける事が出来なかった。
背筋がゾクリとした。
水燕先生も少年もハッとした顔で空を見上げた。
「……っ! 馬鹿な……ここまでするとは」
少年は顔を歪ませる。
暗雲が立ち込め、ゴウゴウと音をたて雲が渦を巻いている。
その中心から、ぬうっと一本足が、次に毛むくじゃらの体が、一本の腕が、そして燃えるような赤い瞳の猿の頭が現れた。
猿の妖魔は狂ったように笑い声を響かせた後、甲高い雄叫びをあげた。
熱く重い波動。
思わず目を閉じ、耳を塞いだ。
「……何これ?」
再び目を開くと、大地は白く乾き、見渡す限りの草が木が枯れていた。
「手足が一本ずつの猿の妖……日照りの大妖、
「全て終わりだ。奴らはどんなことをしても今日僕を消すつもりなんだ。ほら、見捨ててくれれば、あんなものは出て来なかったのに……」
少年は膝から崩れ落ちた。
「魃って金翅鳥より悪いものなの?」
「比べものにならない……魃は乾きの力で全ての命を枯らしてしまう。もうひと叫びしたら、僕らを含めたこの辺り生き物、全てがカラカラに干上がって……死ぬよ」
そう答えた少年の瞳には悲痛の色が浮かんでいる。
対して、水燕先生は落ち着いた顔をしていた。
「先生、これって最悪の事態?」
「まあな。とんでもなく悪い……が、あいつなら」
先生が言いかけた時、上から声が聞こえた。
見上げると鸓が数羽……斗空を掴んでやってきていた。
「翠花ーっ。遅れてすみません! 非常事態なので一瞬だけ返してください」
斗空はそう声をあげて、降ってきた。
「えっ⁈ んんっ」
そして、降り立つや否や私に抱きつくと口を塞いだ。
クラクラする。慣れ親しんだ何かがフゥゥゥと私を離れていく感覚があった。
斗空が龍珠を吸い込んだんだ。
「すぐに済ませてきます」
にっこり笑った斗空は、今後は自力で空へ飛んだ。
上空では斗空と魃が相対した。
魃は一瞬戸惑ったような動きを見せたが、目の前に現れた人と認識したのか、ニタリと笑みの後、身を震わし大きな口を開けた。
また叫ぶ⁉︎
その時、斗空は左手を掲げて掌を閉じた。
すると魃は縛られたように動かなくなった。
続けて斗空の右掌が魃に向けて突き出された。
「光芒一閃」
声が響く。
カッと光が弾けた。
斗空の右手から白金の光の筋がまっすぐ伸びて魃を包む。
猿の体はどんどん膨れあがって……やがてパアンっと弾けた。
倒した?
あれ、魃がいた場所に何かいる!
それは、もう猿じゃなくて——緋色の髪の美しい女性だった。
彼女は艶やかな笑みを浮かべると、両手を左腰に当てると優雅に一礼ををして天に昇っていった。
「さすがは斗空。真竜の名は飾りじゃないな。女魃昇天とは、天界は祭り騒ぎになるんじゃないか」
水燕先生が興奮を滲ませた声で眩しそうに空を見ている。
「先生、今のは斗空が猿を天女に変えたの?」
「少し違う。魃は元々美しい女神だったが、その昔神々の争いの最中呪を受けて堕天し、災厄の妖魔として長いこと下界を彷徨っていた。強力な穢れで、黄帝ですらこれまでなす術がなかったと伝えられている。斗空はその穢れを祓ったんだ。何だか神話の一幕に立ち会った心地だよ」
「成る程、斗空ってば凄い事をやってのけたのね」
ふむふむと感心していると、隣でへたり込んでいた少年がやおら立ち上がった。
「おい、あれは……凄いなんてもんじゃない。お前たち一体何者なんだ? もしや平伏すべきは僕の方だったりするのか……」
相変わらず、ちょっと偉そうな物言いで少年は尋ねる。
「何者もなにも、私たちはこの村の住人。ひれ伏されているような存在じゃないよ」
「しかし、あれは異常だろう」
「彼は龍、真竜です」
「真竜⁉︎ ……存在したのか。それで、お前達は真竜とどんな関係が?」
「私と斗空の関係?」
ええと、一応将来を誓った仲?
「夫です」
ふわりと地上に降りた斗空はそう言って私を抱き寄せた。
「まだ違うでしょ」
「いえ、もう夫婦も同然です。だから、貴方が入り込む隙はありませんよ」
斗空はピタリ私にくっ付いたまま離れない。
どころか、少年を笑顔で睨んでいる気さえする……もう、子ども相手に何をやってるんだろう。
恥ずかしいから、どうにか引き剥がそうとしているのに、斗空は牽制の手を緩めない。
「そうだ翠花、私の珠を戻しておきますね」
これ見よがしに私の頬を撫でると、唇を塞いできた。
そして唇は、必要以上に長い時間重ねられたままだった。
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