第2章 驪龍顎下之珠

第4話 銀木犀の木の下で

 私は15歳になった。

 斗空と出会ってから3年が経ったことになる。


 あの日以来、斗空は村で私塾を開いている水燕先生の家で弟子として暮らしている。

 水燕先生は、とても博識で村中の子ども達に様々な勉強を教えてくれる人なんだけれど、母とは昔からの知り合いで、龍を弟子にするなんていう無茶振りにも応えてくれた。

 小さい頃は、母と先生があまりにも仲が良いから、「水燕先生って私のお父さんなのかも」と思って勝手に父親像を重ねていた。

 ある時、勇気を出して尋ねたら、母は盛大にずっこけたので、それは思い違いだったのだろう。

 けれど、2人でいる時の独特な空気感は只の友達には思えない。


 さて、そんな水燕先生と斗空の組み合わせは、想像以上に上手くいっている。

 たまにどっちが師匠でどっちが弟子か分からなくなるけれど、とにかく2人とも勉強が好きで、気が合う。

 しばしば様々な分野で議論を交わしていて、それがとても楽しそうなのだ。

 

 しかし、斗空が先生の弟子になった弊害がひとつ……何故か私に対する授業の難易度が格段に上がってしまった。

 私も小さい頃から、先生の教えを受けている。それまでは一般教養中心だったのに、斗空の弟子入り以降は何故か官僚試験に出るような古典まで学ぶ羽目に……。


「古典は経営哲学の基本になる。将来『深竹月酒家』を盛り立てていくためにも、しっかり学ぼう。さて今日のお題は『創業か守成か』だが、難しいのかどちらの方思う?」


「それは『守成』かな」


「ほう、どうして?」


「物事を始めるって勢いがあって、そういう時ってやる気に満ちているけれど、それを保つのって難しいんじゃないかなって。 特に儲かっている時とかそれで満足しちゃうと気づいた時にはお客さんが離れるってこともあると思う。お母さんもああ見えて、新しい献立を考えたり、今ある料理の改善を常にやってるもの」


「そうだね。事業を興すのは大変だけれど、出来上がったものを継承したり発展させるのは至難の業と言われている。人間ってどうしようもなく調子に乗りやすいんだ。上手くいっている時ほど、耳を澄まし、目を凝らさないといけないよ。兆しに気づく力は経営には必須だよ」


 とまあこんな感じ。

 斗空の妻(龍のお嫁さん)として相応しいように鍛えてくれているのは分かるけれど、時々やり過ぎ感が否めない。

 

 そして、私は斗空の妻になっていない。

 この年月、彼は相変わらず真っ直ぐな瞳で「結婚して」と何度も告げてくれた。

 それに対して、私は「はい」と言えていないんだ。

 

 斗空の事は好き。

 でも、私の「好き」がみんなが言う「恋」とか「愛」に当たるのかというと、正直良く分からない。

 それに彼は龍だし……共に生きるというのとはまた違う関係になるだろう。

 こんな中途半端な気持ちで結婚という一大事を決めて良いか迷い続けて今に至る。


 とは言え、私達の婚約は村中に知れ渡っている。

 斗空は外堀もしっかり埋める性格だった。

 初めは、ちゃんと村に馴染んでいけるか気掛かりだった。

 しかしそんな心配をよそに、斗空はあっという間に溶け込んだだけでなく、周囲に恋愛相談まで始めたのだ。


「翠花に気に入ってもらえるにはどうすれば良いでしょう?」

「贈り物をするには何が喜ばれますか?」

「もう一歩関係を深めるにはどうしたら?」


 こんな風に、村のあちこちで人生の先輩たちの知恵を借りて回った。

 大抵の人は恋バナが嫌いではない……むしろ結構好物だったりする。

 

 不幸な身の上の男の子が、自分を助けてくれた女の子に一目惚れして……結婚に至る恋。これは、村のおばちゃん達にウケた。

 派手な見た目の割に初心な青年の慣れない恋。これは、村のおじちゃん達の心をくすぐった。

 おじいちゃんおばあちゃんは、孫の奮闘を微笑ましく見守るように、小さな子どもたちは兄を励ますような気持ちで斗空を見ている。

 同世代の若者からは、ちょっと引かれている気もするけれど……なんだかもう村全体で斗空の結婚を後押しする雰囲気が出来上がっている。


「斗空にいちゃん可哀想だから早く結婚してあげなよ」


 今朝も8歳の女の子に言われてしまった。

 恋だ結婚だなんて、以前は無縁だったのにね。


 この3年ちょっとで変わったことと言ったら、もう一つ。

 私はなんと仙術が使えるようになった。

 斗空の龍珠の影響で、仙力タオの量が増えたみたいで、相性の良かった木属性の術を発動できるようになった。

 

 これが食堂の娘にぴったりで私は感動してしている。

 だって、植物をちょっと元気にする能力なんだもの。

 へなっとしてきた青菜もシャキッとできる!

 

「お前それ、能力の無駄遣いじゃないのかい?」


 母がそう言うものだから、野菜の鮮度を保つ以外の使い方について斗空に時々教えてもらっている。


 お陰で葉っぱや草を動かす事や花を咲かせる事はできるようになった。


 今日も山で練習中。

 クコの実の熟成を早める訓練だ。

 まだ薄緑色の楕円形の実に向けて力を注ぎ、成長を促す。

 植物によっては直ぐに反応してくれるものもあれば、無視してくるようなものもある。

 術者との相性らしいんだけれど、物言わぬ植物達にもそういった性格みたいなものがあるのが面白い。


 クコの実は結構頑固。生薬としても優秀なので仲良くなりたいのだけれど、中々受け入れてくれない。

 集中力が途切れ、力が霧散した。

 

 すると、ほのかに甘い花の香りがしてきた。


「おや、これは……」


 斗空が視線を少し上に向けて顔を綻ばせる。

 見ると、銀木犀が真っ白の小さい花を一斉に開かせていた。

 

「ごめん、気を抜いて。ズレちゃったな……」


「ですね。でも美しい」


 穏やかに微笑む斗空。

 あなたこそ、綺麗。そう思ったのは秘密だ。

 そんな彼を見ていたら。


—— 結婚しよう。


 ふと、そう思った。

 

 彼とは時間の流れ方が異なり、一般的な添い遂げるというのとは違うものになるだろう。

 でも、それでも良いのではないか。

 この村で平穏な日々を彼を過ごし、笑い合って過ごす一生は、きっと悪くない。

 

 意を決して、私から告白をと思ったら……突然斗空が顔を顰めた。

 

「変です……」


 と呟き、顎に手を当てている。

 いや、私、まだ何も言っていないよ。


「気の流れが人為的……」


 斗空はハッとした表情で開けた場所に移動した。私も慌てて彼に続く。

 そして、村を見下ろした次の瞬間


 ドゥゥゥゥン


 轟音とともに火柱が上がった。

 そして……村が燃えている。

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