第3話 玉、失くしました?

「一体何があったのさ……」


 夜の開店に向けて下ごしらえをしていた母は、ネギを持ったままポカンとこちらを見ている。

 それはそうだろう、娘が見ず知らずの男に抱えられて帰って来たのだから。

 しかも、男は絶世の美男子ときた。


「申し訳ありません、俺が翠花を大人にしてしまいました」


「はぁ⁈」


 母から殺気めいたものが立ち上る。


「違う違う、変な事言わないで! お母さん、私ね遂に月のものが来たみたい。山で困っていた所をこの人が送ってくれただけだよ」


 斗空の説明不足を慌てて訂正する。


「本当に何もされてない?」


「されてないって」


「なら、いいけど」


 危なかった、ネギを包丁に持ち替えそうな勢いだったよ。

 普段は、コロコロした外見の気のいい食堂のおばちゃんなんだけれど、怒ると怖いんだよ。

 私の小さい頃に村に盗賊が来たらしいんだけれど、村の男性陣と一緒に立ち向かってなんと盗賊の頭をやっつけたんだって。


「あの時の青華せいかさん、最高にかっこよかったぜ、隙をついて中華鍋で一撃! 頭目が泡吹いて倒れたから相手は総崩れでさ、俺らで盗賊どもを制圧したんだもんな」


「子どもを守んなきゃって、アタシも必死だったんだよ。火事場の馬鹿力ってのは凄いもんだねガハハハ」


 村の集まりなどがあると、こんなふうに母の英雄譚を良く聞かされる。

 うちの母は只者ではないのだ。

 

 

「じゃあ体を清めて、着替えをしないとね、もし痛みがあるようなら芍薬も用意するけど」


「大丈夫、ちょっとお腹が痛いけれど薬を使うほどじゃないよ」


「無理しちゃダメだよ。お兄さんもありがとうね。ちょっとそこにかけて待っていておくれ。お礼に葱油餅でもご馳走するからさ」


「あ、はい」


 私を下ろした斗空は母の従って、店の椅子に腰掛けた。

 


 店の奥の居住スペースに移動した私は、体を清拭し生理の時の手当の仕方を教わって身支度を整えた。


「それで、あの男は何者だい? 山で会ったって……見たところ貴族の坊ちゃんって感じなんだけれど、どうにもそれだけではない気配がするんだよねぇ」


 腕を組み首を傾げる母、やはり只者ではない。


「うーん、ええとね、お母さん。信じられないかもしれないけれど……彼は龍なの」


「龍……」


 母はいつになく真顔になった。


「いつもの泉に行く途中で偶然出会ったの。それでね、私と結婚したいって言っているんだ」


「結婚⁈ な、何がどうなったんだい?」


「彼が勘違いしているの。龍の女の子は『いいな』と思う異性に出会って初めて生理が来るんだって。だから一緒にいる時に私がこんな風になったじゃない、それに何やら責任を感じたみたいなんだよね。人間は違うって言っても聞いてくれなくて」


「龍ねぇ……」


 母は両手で頭を抱えると長いため息を吐いた。


「翠花は彼をどう思ってる? 嫌かい?」


「嫌じゃないからどうしたら良いか困ってる。そもそも龍姿の彼をを見た時に『飼いたい』なんて言っちゃって、なんやかんやしているうちにこんな事になって……かえって斗空に迷惑をかけている気がする」


「初対面の龍に向かって『飼いたい』だなんて、大胆不敵だねぇ。一体誰に似たんだか」


「多分、お母さんでしょ。お母さんってなんか怖いもの無さそうだし」


「そんなことないさ、怖いものだらけだよ。それで、話が戻るけど、斗空って子に罪悪感はあるけれど嫌悪感は無いって事で良いんだね。結婚についても」


「あんなに格好良い生き物、嫌う理由なんて無い。でも、結婚ってなると戸惑いしかないかな。これまで考えた事無いし」


「まあ、そうだよね。翠花はまだ12歳だもの。今いなくなったらアタシも寂しい」


「お母さん……。あ、でも斗空は婿入りする気満々だったよ。店もやるって。火加減も任せろって」


「プハッ! ホントかい。面白い龍だね。『龍が炒めたチャーハン』とかヒットするかもね。アハハハ」



 身支度を整え食堂に戻ると、斗空は店のメニュー板を興味深そうに眺めているところだった。


「お待たせ、斗空」


 声をかけると、彼は軽く微笑んで立ち上がり、母に向き合うと一礼をした。


「どうも。改めましてご挨拶を。俺は白雲嶺の斗空です」


「アタシは青華、翠花の母親だ。娘が世話になったね。それで、聞いたんだけれど、うちの子を嫁に欲しいんだって?」


 わ、直球で確認してる。


「ええ、是非」


「それじゃあんた、翠花を最後まで守れるかい?」


「はい」


 迷う素振りも無く、斗空は答えた。


「……そうか」


 それを聞いた母はいつになく深刻な表情で眉間に皺を寄せている。


「青華さんは俺では嫌ですか?」


「嫌、と言えば諦めてくれるのかい?」


 母は射るような鋭い眼光を斗空に向けた。

 それこそ普通の人だったら縮み上がってしまうような……ほんとに、時々妙に迫力があるんだよね。


「いいえ」


 斗空は怯む事なく穏やかに答えた。

 けれど、2人の間には見えない火花のようなものがバチバチしている気がする。

 見ているこっちがハラハラして、息苦しくなってきた。

 苦しい……え、あれ? これって……違う、まずい……。

 堪らず胸を抑えると、母がこちらに目を移した。


「ちょっと、翠花、大丈夫かい?」


「う、ダメ。いつもの発作キタかな」


 斗空が隣に来て私の体を支えた。


「早く、泉の水を……まだ少し残っていたはず」


 私がいうと母は貯蔵庫へ向かおうとしたが、斗空も反応した。

 

「なるほど、あの泉の水が効いたならば、多分」


 斗空は私の顎を軽く持ち上げ、顔を近づけてきて……


 ちゅっ


 唇が触れた。


「ややややや、やっ何するの⁈」


 初めてのキス、だったのに!

 見てよお母さんも再び殺気だってる!


「どう?」


「どうって⁈ とにかくびっくりした。一瞬過ぎて柔らかかった事しか分からないよっ」


「えっと、その、発作は……?」


「そっち⁈ ……あ、楽になってる」


 先程までの苦しさが消えている。


「良かった。やはりそうか……翠花、君、玉失くしました?」


「玉? 何の事?」

 

 意味不明の問いだったが、母は小さく息を吸った。

 あれ? 表情が少し強張ってる?


「青華さんは、心当たりあるんですね」


「ああ……この子は持っていない。随分前に失くしたんだ」


 母は苦々しく呟いた。

 それを聞いた斗空は片手を口元に添えて目を閉じ、ゆっくり開いた。


「分かりました。では、俺の玉をお貸しましょう」


 言うや否や、斗空は私の体に腕を回し、腰と頭を固定した。

 そして、さっきよりしっかり唇を合わせた。

 

「ん⁈ んん〜」


 舌が入ってきそうなことに驚いて抵抗すると彼は一旦唇から離れ、クスリと艶っぽく笑った。

 

「ダメですよ。口を開けて、ちゃんと受け取って」


 耳元で囁かれ、くすぐったさでぞくっとしてしまった。

 経験のない感覚に混乱していると、斗空はもう一度口付けをしてきた。

 素早く侵入してきた彼の舌は私の舌に優しく触れた。

 強烈に恥ずかしいと同時に全身がむずむずする感覚に襲われる。

 混乱が極まった時、じんわり温かい、舌とは違う何かがすうっと口伝いにやってきて、私の体の奥に吸い込まれる感覚があった。


 斗空が名残惜しそうに唇を離す。


「これで大丈夫」


 な、何が大丈夫なの? 色々大丈夫じゃないよ。私は涙目になりなから母に助けを求めた。

 てっきり怒り心頭かと思った母は、右手でこめかみを押さえて大きなため息を吐いていた。


「はぁぁぁぁ。斗空、婚約を許そう。そこまでされちゃ仕方ない」


「お、お母さん⁈」


「取り敢えずの婚約だ。翠花はまだ子どもだから結婚には早すぎる。あと3、4年は待ってもらわないとね。その間お互いに相性を確認してくれ」


「ちょっと待って、何が起こっているの?」


「斗空はお前に龍珠を渡した。その珠があれば恐らく発作はもう起きない。そして龍珠とは……龍の魂とも言えるものなんだ」


「お許し頂けて良かったです。そういう訳で翠花、改めてよろしくお願いします」


 斗空は眩しい笑顔を向けてきた。


「こ、こちらこそ?」


 自分の事なのに急展開過ぎてついていけない。

 母は花茶を淹れながら、婚約にあたっての注意事項や今後の生活について斗空に滔々といって聞かせている。


 取り敢えずの婚約とはいうものの、これからどうなっちゃうんだろう。


 私は鳩尾の辺りを抑えた。

 そこにはもう一つの心臓があるような不思議な感覚がある。

 そして、これまで常に感じていた怠さは綺麗さっぱり消え去り、全身の細胞に酸素が行き届いているかのような充実した心地良さに包まれている。


 魂とも言えるものを……か。

 ってなんか、すっごく重いんだけど。

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