第6話 ネギトロ巻き

 その日私は、7年間の魔法……いや、呪いから解放された。そうして1つ咳をして「楽になりたい」とだけ、物憂げな天井に向かって呟いたのだ。


 絶賛体調不良中の私は明日どうやって仕事を休めるか考えながらエッセイを書いている。風邪をひいたのなんで本当に小学生以来なので、こんなにもしんどいものだったのかと頭を悩ませる。

 先月から働き始めた店舗が移転するとの事で、最近は体力仕事ばかりである。本来は「いらっしゃいませー」と声を出すだけの仕事ではあるのだが、仕方ない。ただ、そんな体力仕事の日々で疲れている最中、作業中の良くない埃を吸ってしまい喉がやられてしまったのだ。1週間もしないうちに熱が出ないだけのしんどすぎる身体が完成した。

 そこで今悩まされているのが休める方法だけではない。"休んでもいいのか"という事である。

 休めば「休んだら周りに迷惑がかかる」と言われ、休まなければ「周りにうつすことになるだろう」と言われる。生きるのが難しすぎる世の中だ。どの選択をしても注意されるのだ。仮に休めたとしても回復して復帰した時には「ご迷惑をおかけしました」と言わなければいけない雰囲気。この状況が少しばかり納得できないことがある。何でもかんでも"謝る"という風習。建前上それがいいというのは理解しているが納得は出来ない。

 言葉にする事が難しい事で例えすら浮かばないが、直球に言ってしまえば風邪をひかない完璧人間が存在するのか、という事で。「お休みを頂きありがとうございます!」「大丈夫だよ! 体調を崩してしまうほど頑張ってくれたんだね!」という環境を求めてしまう。

 なんとなくではあるが、上記にあげた会話を「普通じゃね?」と感じる方は人間運が強いと思う。

 この世には間違いなく「体調を崩してしまい、申し訳ございません」「何迷惑かけてんだよー」みたいな関係性が成り立っている人が多くいると考えているからだ。

 現状私が"休んでもいいのだろうか"という不安を感じているという事は、その相手からは優しい言葉が出てこないと思っているからであろう。つまり印象。この人にだったら言える、という確信や信頼度がないのだ。

 私は人の上に立ちたいと願わない。役職的な話ではあるが、人から信頼される自信なんてないから。だからこそ、上の人には『人の上に立つのだから人に寄り添いなさい』と強く感じる時もある。『地位が全てなのなら辞めてしまえ』とも感じる。人から愛されて地位を獲得できる人なんて数少ない。ただ成績を重ねて勝ち取った地位で横暴に振る舞って従わせる人間。それに従うしかない下位の人間は奴隷でしかない。

 生きづらい世の中だ。

 ちなみに私はこの7年間、1度も風邪をひいたことはなかった。中学1年生の頃、皆勤賞を狙っていた私は『私は風邪をひかない!』と言い聞かせるようになった。まさに洗脳だがあっさりその洗脳は私を皆勤賞へと導いてくれた。風邪もインフルエンザもコロナにもかからず、中学も高校も皆勤賞。中学1年生の頃の私の目標は達成してしまったので、社会人になったら風邪をひくのかな、と考えていたが1年目は問題なく元気だった。がしかしこのタイミングで風邪をひいたのだ。洗脳が解かれた瞬間だ。

 社会の上下関係も洗脳と同じだろう。「上司には逆らえない、逆らわせない」という関係。自分が幸せかそうじゃないかの洗脳。純情に従えば問題なくお金が貰えるじゃないか、というような考え。

 それと似たような物ってやはり宗教なのだろうか。幸せになれるという考えの植え込み。

 先日、初めて我が家に宗教勧誘が来た。都会にしか存在しない行事かと思っていたので、正直凄くワクワクしてしまった。第一声から「あなたは神を信じますか?」と聞かれると思っていたので「最近幸せは感じていますか?」と聞かれた時にはガッカリしたが、何かを強く信じている者が目の前にいるという状況は少しばかり自分のなかでの知識の蓄えにはなったと感じているが。彼の話を聞きながら、私はどうしても聞きたいと感じてしまったことがあった。

『それが本当に幸せなのか』

 生活にある程度の制限が掛けられ、周りと一緒のことが出来ない生活。私の家に来た宗教に関しては、以前漫画で読んだことがあった。好奇な目で周りから見られ、私たちが知っている"普通"がその家庭にはなかった。

 幸せの価値観は人それぞれだが、大多数とかけ離れてしまう生活。

 文章に表していると、概念的には同じものに気がついた。同性愛。大多数とは違うが自身が望んでいるもの。私個人としては同性愛は否定しない。否定するものでもないが。いつ死んでしまうか分からない人生、自分が幸せになれる方法で精一杯生きればいいじゃん? 他人が否定しても他人は私の人生のモブキャラでしかないんだから気にする必要なんてない。というのが私の生きる目標だからこそ、同性愛を否定しないし少ないものの中で出会えた奇跡があるんだから幸せになってね、と強く思うのだ。

 だとすると同性愛=幸せならいいじゃん? という事になるので、宗教に対しても幸せならいいじゃ? という事になる。

 このエッセイを書きながら、私はまた1つ心の器が広くなった気がする。

 最後に思い出した事があるので、ここまで読んでくださった方に問いたことがある。

 人から謝られるのは得意ですか?

 得意か不得意かというのも変な話だが、私は謝られるのが好きではない。正直返答に困るから。だからこそ、周りの友人には「どんなに謝る状況でもごめんじゃなくて、ありがとうって言ってほしい」と伝えている。「ありがとう」に対しては「いいよ」で返すことが出来るから。「ごめん」に対しては何をどんな気持ちで返しても不機嫌に捉えられる事が多いから。特に私は声が低いので尚更だ。「ありがとう」と言われた方が幸せを感じる。


 ネギトロ巻きの断面にわさびをつけながら、『体調悪いのに生物っていけるのか?』なんて考えながら醤油をぴっぴっとかける。

 ネギの風味とシャキシャキ感。トロの濃厚な甘さが口いっぱいに広がる。

 この世の食べ物では、貝類を省いた海鮮が1番好きだ。特にお寿司なんかは堪らない。いずれは1人回転寿司に挑戦して、誰のペースにも惑わされない完璧なコンディションでお寿司を楽しみたいと計画している。だが、お寿司を食べると30分後にはお腹を壊すので、きっと身体自体は拒否しているのだろう。

 まぁそんな事は気にしない。"今"の私が幸せなのだから。"後"の私には幸せになった分だけ苦しんで頂こう。幸せだけでは生きられない、生きづらい世の中なのだから。

「薬飲みなよ」

「うわ、まじか……」

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