第44話 丘頭桃子警部の捜査(その13)

 「四人の目撃者と運転手が揃って氷見さん、あなたから事故の話を持ち掛けられと認めたわよ」

署に呼んだ氷見を問い詰める。

「私の知らない話だ」

氷見は一貫して認めようとはしない。

 

 そこで丘頭警部は氷見の弱点を探し、そこを突いて自供させようと考え、捜査員に出生から今日までの暮らしぶりなどを至急洗うように指示した。

 1週間かかったが、氷見誠一の生い立ちが分かった。

千葉県の房総半島の漁業の町千倉町の出身だった。両親は漁師を生業としていたが誠一は都会に憧れて高校を出ると都内で仕事を探したようだった。

 就職したのは都内の小さな自動車整備工場で、関係する資格を取るようそこの社長の勧められ、22歳になった頃には危険物や車両、ガス関係など10種類の資格を取っていた。資格を取ると少しずつ給与が上がる仕組みになっていたのだ。そして漁獲量が年々減少しているため、両親の収入減を補うため少額だが生活費を仕送りしていた。

 ある日、社長のお供で取引先を接待して飲み屋街を歩いていた時、酔っ払いに絡まれている舛上海陽と女性を見つけて、間に入り酔っ払いを窘めたことがあった。氷見の180センチを超える巨体と鋭い目付き、どすの利いた声に相手が圧倒されたようだ。それで、海陽が気に入って名刺を渡し会社に来るように言ったらしい。

そう言う風に海陽が良く行った店のママさんが本人から聞いた話として教えてくれた。

 氷見自身が言うには、翌日、何かお礼でもされるのかと、不純な動機を秘めて名刺に書いてある会社に行ってみると、自分が務めている会社とは比べ物にならないくらい大きなビル。受付で名前を言って名刺を見せると、程無く綺麗な女性が社長室へと案内してくれた。

そこで舛上社長のプライベートの秘書として働かないかと誘われたのだった。今務めている会社へは、自社の車両の修理や車検の一部を任せ、氷見が感じているだろう恩義を返してやるとも言ったそうだ。

給料も今の倍は出すという。

氷見は転職すれば両親への仕送りも充分に送れると思い快諾した、との事だ。

 

 その話を聞いていた丘頭警部は、心の中でほくそ笑んだ。

「両親だ、氷見の弱点は両親だ。両親をダシに使おう」

「でも、警部! どう使うんです?」

「それは、これから考えるのよ」丘頭警部は田川刑事に訊かれてケタケタと明るく笑った。

 

 次の日、取調室に氷見を向かえ早速氷見の弱点を付こうと夕べ考えた話を始める。

「氷見さん、舛上コーポレーションで働く前は自動車整備工場で働いていたんですね」

氷見は丘頭警部を一瞥する。

「それがどうしました?」

「実家のある千倉を出て憧れの東京へ出てきたものの、高層ビルで仕事をすることなく、油と汗にまみれて働いていたんですね」

また氷見は私を一瞥して、「で?」と訊き返す。

「ところで、ご両親は元気なんですか?」

丘頭警部は氷見の答えを待たずに「今回の事ご両親はご存じなんですか?」そう質問を重ねた。

氷見は丘頭警部に向かってぎろりと目に角を立てる。

「警部さん、事件に関係ないでしょう、私の両親は。そんな話を持ち出してもしてないものは『してない』としか言いようがありません」

「いや、あなたは舛上海陽社長に雇ってもらい、都会に出てきたことを両親や親類、近所の住人にも自慢できるし、両親も鼻が高いと思ってくれるだろうし、出てきた甲斐があったと思ったのよ。なにより、両親に充分な生活費を送れる事が嬉しかったのよ、違う? だから汚い仕事でも海陽社長に言われれば積極的に熟したんでしょう」

氷見は黙って首を振る。

「あなたの部下が二人も殺人に手を汚している。そしてあなたに指示されたと白状したわよ。追ってその話もするから楽しみに待っててね」そう言って丘頭警部がにたりとし氷見を見る、

氷見は眉間に皺を寄せて唇を噛んでいる。

「海陽が実の息子を手に入れるため、高屋敷夫妻に事実を話して返してくれと頼んだはずよ、あなたは何回も海陽が高屋敷宅から出て来た時がっくり肩を落としていたとか言ってたわよね。つまりあなたは事情を知っていたってことよ。私の目は節穴じゃない! 今の状況と目撃者4名と当事者の証言があれば、それだけでもあなたを殺人教唆で告発できる。否認したまま判決を受けたらご両親は悲しむでしょうねぇ、あなたを嘘つきで非情でお金の為には人殺しまでやる悪人だと思うでしょうねぇ。可愛そうに。

 あなたには実刑が待ってるのよ、何年かしら? 6年、7年、自供したら何年早く出れるのかしらねぇ……その長い間ご両親はどう生活なさるんでしょうねぇ」

丘頭警部は精一杯の嫌味な視線を氷見に送る。

「警部さん、俺を脅してもダメだよ。俺は無罪だ」

氷見は普段通りの喋りをした積りだろうけど、自分の事を話の始めは「私」と言い、今は「俺」と言った。心の動揺がそういう変化を生ませたのだと感じ、さらに氷見を問い詰める。

「あなたは、もう覚悟しているのね。でも、何があってもあなたの口から真実を話して貰うわよ!」

そう言って田川刑事に合図し、氷見を会議室へ連れて行かせる。怪訝な目で私を見る氷見を無視して私は、会議室の隣の部屋で待たせていた客を連れて氷見のいる会議室に入った。

「なんでこんなところにいるんだ!」氷見はその客を見て驚いて叫んだ。

「氷見さん、お父さんとお母さんと少しお話させて上げようかと思ってね、案内してきたのよ」

「誠一! 警部さんから色々聞いたがどうなんだ本当なのか? お前が故意に事故を起して相手のご夫婦を殺してしまったのか?」

お父さんはじっと氷見を見詰めている。お母さんはハンカチで目を覆っている。

そのお母さんも氷見に話しかける。

「お母さんは誠一を信じてるわよ。刑事さんが間違ってるのよね。そうなのよね。ねぇ誠一」

「誠一! 黙ってるってことは、認めるんだな。お前が刑事さんの言う通り事故を計画したんだな!」

「お父さん! 何言ってんのよ! 誠一は違うって言ってるんだから、違うんだよね! 誠一!」

「ばかっ! 警察がそんないい加減なことをするわけがない。誠一が嘘ついてるんだ! 違うならちゃんと説明できるはずだろっ!」

「バカはあんたよっ! どうして自分の息子を信じられないのよ! 誠一は嘘なんてついてないわよっ!」

丘頭警部は夫婦のバトルをじっと見ていた。子供を思う気持ちは一緒のようだが、零れ出る言葉は真逆だ。言い方が違うだけで二人とも息子を信じようとしているんだわ。そう思うと可愛そうで、悲しい、辛い、苦しい……涙が溢れる。

氷見は身じろぎもせず眉を吊り上げ厳しい表情でそのバトルを聞いている。が、目に溢れんばかりの涙が煌めいている。

 そのバトルは止まるところを知らずに続く。

30分が過ぎ、そして限界が来たのだろう。氷見がスッと立ち上がった。

「分かったから止めろっ! もう言い争いは止めてくれっ!」

氷見がそう叫んだ時、会議室に刑事が飛び込んできて丘頭警部に耳打ちする。驚いて「ちょっと失礼」とだけ言って席を外した。

捜査課に戻ると舛上椋が神妙な面持ちで佇んでいる。

「こんにちは、どうしました?」声をかけ椅子に座らせる。

「氷見に自白させました。これが証拠です」椋はバッグからメモリを取り出した。

急いでそれを聴く。

「わかりました。ありがとうございます」礼を言ってメモリを持って会議室に戻った。

会議室では、また夫婦が言い争いを始めていた。それを宥める。

「これを聞いて」

警官にメモリを再生するように指示した。

氷見と舛上椋の話す声が流てくる。氷見が高屋敷夫妻の事故を仕組んだと告白していた。

流石に氷見は驚いたようだ。まさか副社長が自分を告発するなどとは思ってもみなかったように。

「俺が指示したんだ。事故は俺がやらせたんだ。だからもういい、父さん! 母さん! ごめん」

氷見が両親を見上げて呟いたその目には溢れる涙が光っていた。

 

 次の日、懲戒処分された48名の社員全員のアリバイ等の確認が終わったと報告が入った。

行方が分からなかった遠野辺聡一の新住所が判明し、捜査員が自宅を訪問して事情を訊くと新しい勤務先の上司の家に数人の社員と一緒に呼ばれてご馳走になった帰りだったようで、裏も確り取れた。

 

 事件のあとの社員は明るく元気で快活にみえたと捜査員全員が話す。加えて、紅羽が社長に就任し椋は副社長となって、椋が直接社員に指示命令する機会を失ったことで、抑圧され苦しかった時代が終わって新しい時代が来ると多くの社員が思っているようだ。

 故社長の事件を口にするものは、日々減って1か月後には過去の思い出話の中での出来事として語られる程度になったようだ。

個別の事情聴取では「殺してやりたいと何度思ったかしれない」と告白する社員が10名近くいたが、皆口を揃えて「思っただけで、具体的に考えたことは無い」と言い切った。

彼らには不審な金の動きも無いし、不審な行動を取る者もいなかったが、アリバイは証明されなかった。

 

 いよいよ、捜査は行き詰まりを見せてきた。灰色の容疑者は多数に上るが、その色はさっぱり濃くもならなければ、かといって薄くもならない。過去の3件の事件事故は解決したものの、海陽殺人事件との結びつきは明らかにはなっておらず、業を煮やした上層部から何度怒鳴られた事か、一応申し訳なさそうな顔をし頭を下げておいたが、心の中では「じゃぁ、お前捜査してみろ!」と叫んでいた。

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