第25話 岡引一心佐音綱紀の過去を知る

 コーヒーを飲み切ってもなお沈黙が流れるが、一心も丘頭警部も只管待ち続ける。やがて腕組みをした綱紀が大きくため息をついてから口を開いた。

「俺の事が何の事件とどんな関りが有るのか知りませんが、あまり人には言いたくないことなんだけど、言わないとダメですか?」

眉間に皺を寄せ口を尖らせて本当に困った顔をし一心と丘頭警部を見比べている。

「警察は無暗に個人情報を漏らすことは絶対にありませんし、ここにいる岡引探偵はこれまでにも数多くの事件で我々警察に協力をし犯人逮捕に尽力してくれています。そんな中でも個人情報を他に漏らすようなことは一度たりとも有りませんでした。ですから我々二人を信用してください」

丘頭警部が強く言い切ったので綱紀も決心がついたのだろう頭を縦に振って「わかった」と一心と丘頭警部を正視する。

 

「俺は、物心がついたとき、舛上椋でした」

綱紀が落ち着いた声でゆっくりと話始めた。

「はっ、どういうことですか?」彼の言葉を聞いた途端に丘頭警部が反応した。

「言ったそのままです。俺は浅草の舛上宅に住んでいて、母親は舛上紅羽で父親は海陽でした」

恐らく一心と丘頭警部は驚きを顔に貼り付けたまま話に引き込まれている。

「小学生時代、俺は悪ガキでした。毎日のように友達を泣かせては母親に手を引かれて友達の家を謝って回ってました。父親は嫌いでした。俺が友達を泣かせる事よりも学校の成績が悪いことが許せなかったようでした。たまあにしか一緒に食事しないのに、体力なんか要らない要は頭脳だ頭の悪い奴は舛上家には要らない、というような事を必ず言うんです。我が家はそんなでした。

 俺が変わったのは、小学生のある時母が倒れたんです。インフルエンザだったんですが子供だった俺はそんな事知らずに、家政婦が『坊ちゃんがお母さんの困ることばかりするから、お母さんが大変な病気になってしまったのよ』って言うんです。俺は驚いて行くなと言われていた母の所へ家政婦の目を盗んで行って、おでこに手を当てたら物凄く熱くて、死んじゃうんじゃないかって思って、『もう悪い事しないから死なないで』そう母に誓ったんです。今から思えば笑い話なんだけどその時は真剣だった。そして毎日勉強もする様になったんですよ。だから、中学生になったころは余程の事が無い限りは喧嘩をしないようにしたし、成績も中の下くらいまでになったんじゃないかなぁ、少なくてもテストで0点は取らなくなった。

 それで高校に何とか入学できたんですが、入学した翌月、俺の人生をひっくり返す出来事が起きたんです」

ここまで喋って綱紀は一呼吸おいてコーヒーを啜ってから続ける。

「両親に書斎へ来るように言われ、行ってみると『血液検査の結果』というペーパーが応接テーブルに置いてあって、父が『お前は舛上家の子じゃない』といきなり言うんです。俺には何の事なのか理解できませんでした。それで『家を出て行け』って言うんです。信じられますか?」

一心も丘頭警部も出す言葉が見つからずただ頭を横に振った。

「母は、何でも父のいう通りにしてきて反対意見を言う姿をそれまで見たことは無かったんですが、この時ばかりは眉を逆立てて大声で『椋は私の子、誰がなんて言おうと私の子。絶対に離さない。15年も必死に育ててきたのに、あなたはこの子に何をしてきたのっ! 育児をすべて私と家政婦さんに任せきりで、そんな偉そうな口を聞くんじゃない!』と怒鳴ったんだ。そんなやり取りをしているうちに父が顔を真っ赤にして『黙れっ! 俺の言う事が聞けんのかっ! 』って怒鳴って母を殴ったんだ。それを見た俺は体中の血が一気に逆流して頭の中でほとばしり応接テーブルをひっくり返して父親の胸倉を掴んで『お母さんに何するんだ! 』叫んで顔を殴った。逃げる親父を書棚に押し付けて殴った。部屋中追いかけて殴った。親父は鼻血を沢山流して……それでも止められずに殴っていたら、母に後ろから抱きつかれソファに押し倒されて正気に戻ったんだが、それまで何発殴ったか覚えてないんだ。『お母さんに何するんだ! 』って何回も絶叫した記憶はあった。母に『椋、もういい、止めてっ! 止めてっ! もう人を殴ったりしないで、お母さん悲しい! 』と悲鳴を上げられ、手を止めて母をみたら着ていた服だけじゃなくソファまでも濡らすほど涙をぼろぼろ流していて、俺の顔を見てきつく抱きしめてくれてたんだ。親父に目をやると顔や服が血だらけなのに、母は親父の手当もしないで俺を抱きしめたまま、『もう人を殴らないで』呟き続けていたんだ……。暫くして秘書の氷見さん達が駆け付けて父の手当をしたんだ。その間も母はずっと俺を抱きしめていた。その姿を見て、母は俺を本当に大切に思ってくれていると実感したんだ、だから母を困らせないように、それだけを考えて俺はその場から荷物を取りに部屋へ戻って、そのまま家を出たんだ」

「行く当てはあったの?」丘頭警部の話し方が子供を心配する母親のように変わっていた。

「いいや、行く当てもなく、自分が誰なのか、自分の名前すら分からないまま、絶望し泣きながら歩いていたら、家政婦さんが母に言われたと追いかけてきて、その家政婦さんの家に落ち着くまで居ることになったんだ。

 ところが、1か月位してその家政婦さんが実は自分が本当の産みの親だと言い出して、そこで初めて自分の本当の名前が佐音綱紀だと知ったんだ。……酷い話だろう」

「酷過ぎる。15歳の子供にそんな……じゃあ、あなたが生まれた産婦人科で看護師さんがあなたと椋さんとを取り違えたってことなのかしら?」丘頭警部は涙を一杯浮かべた眼差しを一心に向ける。

一心にはピンと来るものがあった。

「違うなぁ、警部、鳥井唯が二人の写真とカルテを隠し持っていた。そして退院の時に赤ん坊の取り違えが起きていた。この二つの事実を一つに纏めると、佐音綱紀の母親が赤ん坊をすり替えた所を鳥井唯が目撃し写真に撮った。そして後日恐喝のネタになるかも知れないと思ってカルテもコピーして隠し持っていたってことになるんじゃないか」

「じゃぁ、俺は実の母親に捨てられ、次に育ての親にまで捨てられたってことか?」

力ない笑みを浮かべ綱紀が呟く。

「違うなぁ。それ違うわよ綱紀さん」丘頭警部が綱紀を見詰めて諭すように語りかける。

「あなたの産みの親、つまり佐音姫香さんはその頃自分の生活もままならない程苦しいものだった。そこに赤ちゃんが生まれた。生活が成り立たないと思ったのよ。その時病室の隣のベッドにいた舛上紅羽さんは大企業の社長舛上家の嫁、お金には絶対に困らないと思ったはず。それで綱紀さんを舛上椋さんとすり替えたらあなたが幸せになれると思い込んだのよ。で、実行した。だから、佐音姫香さんが連れ帰った赤ちゃんは直ぐに誰かの養子となったか捨てたかしたので、別の名前が付けられて大きくなったのよ。そうよねぇ、一心、これで今まで分からなかったことの辻褄が全部合うわよね。綱紀さん、あなたの実のお母さんもやり方は間違ってるけど、あなたの幸せを願っていたのよ。ねぇ、一心」

「そうなんだろうが、そのせいで鳥井唯が殺され、佐音姫香も殺されたんだ、もっと別の方法を考えるべきだったんだ。相談相手がいなかったのかなぁ」一心も丘頭警部と同じ気持だ、切ない話だ。

「それに、紅羽さんはあなたを見捨てなかったんでしょう。二人のお母さんはあなたを愛していたんだと思うわよ。悪いのは男!」丘頭警部は何故か一心を睨んでそう言った。

「で、話を元に戻すけど、高校生になって退学した理由までは分かった。その先は?」

丘頭警部がそう言った時一心が時計を見るともう4時半を回っていたので、慌てて「佐音さん、もう4時半だ! すぐ仕事にいかないと」続きはまた明日にでもと思ったのだが。

「いや、俺の話は長くなるので端から今日は休むと副店長に言ってあるので大丈夫です」

なんと、悪ガキだった綱紀がここまで気を使えるように成長するとは、不幸をばねにしたのか、誰かの支援を受けたのかわからないが充分立派な大人だ。

「それで家政婦の家を飛び出して、本当に行く当てが無くなって夜の街を徘徊していたら、酔っ払いに絡まれて喧嘩になり殴ろうとしたら、母の言葉が頭を過って手を止めたんだ。そしたら、がっつりと殴られた。そこを居酒屋みちこのママに助けられたのさ。店に連れていかれて手当されてから、色々話をしてママの店に住み込みで働かせて貰う事になったんだ」

「そうしたら、そのママが翌年高校へ行くように言ってくれたのかい?」

一心は話の流からそうなんだろうなと思い口にした。

綱紀は「ふふふっ」と軽く笑いながら「それが違うんだ。働くようになって1か月位して母が店に来たんです」

「母って舛上紅羽さん?」

「そう、初めはママも俺の知り合いなのかなと思って少し話をしたらしいんだけど、母親だと知るといきなり怒りだしたんだ。俺は裏方の仕事をしていたんだけど声にびっくりして覗いたら母がいて、俺に会いに来てくれたんだけど、ママは15の俺を家から放り出したとんでもなく酷い親だと思い込んでいたので、会わせないと言い、母を追い返そうとしたんだ。しばらくの間あーだこーだ言い合いしてたんだけど、結局、ほかの客の手前母が引き下がった。また来るといってね」

「綱紀さんが顔を見せたら良かったんじゃないの?」

「ママがそんな雰囲気ではなかったので顔を出せなかった。次の日、また母が来たんだ。ママが即座に追い返そうとすると、今日は客としてきたと言ってあれこれ注文を始めたんだ。ママは仕方なく注文を受けお酒も出したんだ。二人は会話することもなく1時間くらい母はいたかな。そしてその次の日も同じ時間に母は店にきて、前の日と同じ注文をし1時間くらい居て帰って行った。俺は何時顔を出そうか考えていたんだけど、ママの顔をみるとできなかった。それが毎日、毎日、2週間ほど続いたある日、ママが注文された品を出した時、母がぽつりと『私は佐音綱紀を命を掛けて育ててきた母親です』と言ってママをきつく睨んだその目には涙が今にも溢れそうなくらい満ちていたそうだ。ママはかなりの衝撃を受けたようでその日の閉店後ママがそう教えてくれたんだ。本当なの? って訊くから、『母は本当に俺を大事に思ってくれていて、父が家を出ていけと行ったときに、見せたこともない形相で父に食ってかかったんだ。それで興奮した父が母を殴ったんで、俺が父を何回も殴った。そしたら母は涙を流しながら、俺にもう二度と暴力は使わないでと頼むんだ。それで、ママと出会ったあの日も殴られっぱなしだったのさ』そう説明したんだ。その次の日、母がまた来て同じ注文をしたとき、ママが閉店後お話を聞きますと言ってくれたようだった。その夜、店仕舞いしてから長い時間二階にいた私の所までぼそぼそと話声が聞こえていたよ。それから二人は打ち解けてすっかり仲良くなって、それで母が高校へ行くお金を俺に内緒で出すことにしたらしい。俺は全部聞いていて知ってんだけど知らないふりをしてママにお礼を何回も言ったんだ。もちろん、心の中では母に手を合わせてさ」

ここまで聞いて居酒屋みちこのママのあのぎこちない感じはそういう事だったんだと腑に落ちた。

 

「そしてママの、実際は母親の勧めで大学にも行かせてもらって経営学を学んだのさ。卒業後に初めてママと母と三人で話をするなか、母の父親が経営する銀行の社長秘書として最低3年は勉強してきてと言われその通りにしてきた。もちろん、父には内緒だった。夜は今まで通りママの店で働いたよ。

 その母の父親の五条公仁は仕事に厳しい人だった。仕事は一人でやるもんじゃないチームでやるもんだという信念を持っていて、一人で悩むな相談しろ、余力で遊ぶな人を助けろ、都合の悪い事こそ伝えろと言うのが口癖で、会社の歯車である社員に不要なものは一つとしてない、欠けたら困るから大事に使うんだと仰る方でした。俺には、人事、総務、経理の各部門を、つまり人、物、金を学んで行けと仰ってくれました。うちの父親とは天地の差があると思いました。

 それで、三年間の修業を終えてママの店に戻って間も無く舛上椋さんと知会ったんです。そこで初めて会ったんですが、一緒に来た女性が『舛上くん』と相手を呼ぶのを聞いて、驚いて自分の名を伝えると相手も驚いていました。それから色々話すようになって、今の店が入っているビルを舛上の会社が建てた時に、私にやらないかと声を掛けてくれたんです」

「じゃ、聞いた話だと、舛上海陽さんには結構恨みはあるようですね」

「結構どころじゃありません。この上なく、これ以上ないくらい憎んでます。殺したいくらい……」綱紀は一心らの反応を確かめるように視線を走らせた。受け取り方に依ったら警察への挑戦とも受け取れる。

「今年の6月9日金曜日の夜8時ころから翌10日朝の4時ころまではお仕事ですか?」丘頭警部は事務的な口調でアリバイを訊き手帳とペンを用意する。

「週末ですから仕事です」

「途中、抜けたりしてませんか?」

「たばこ買いに出たかも知れませんがせいぜい2、30分でしょう」

「その2、30分のアリバイを証明できませんか?」

「え~、それは無理ですねぇ、タバコだけじゃなくって、俺はホールに居たり裏に居たり他店にお客様を迎えに行ったり、送ったり仕事が多いのでアリバイを証明できる人となるといないかなぁ」

「ところで、ガスボンベの取り扱いはできますか?」

「こう言っちゃなんですが、ここもプロパンガスを使ってるんですが多少の不具合は自分で直します。夜中に緊急にガス屋を呼ぶと金かかるんで……」聞いていると答えを用意していたかのようにすらすらと語る。

「じゃぁ、ボンベのガスをホースで何処かに出したりはできますね」

「そのくらい誰でもできるんじゃないですか?」

「なるほど……」

一心は丘頭警部と顔を見合わせて首を捻る。

これで佐音綱紀の生い立ちは分かったが、逆に舛上椋の方が生後どこへいったのか分からなくなった。

 

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