第8話 丘頭桃子警部の捜査(その2)

 事件から8日目になって解剖が終わったと報告がきた。死因は二酸化炭素を多量に吸い込んだことによる窒息死と断定された。

 肺に溜まっていた水は、肺水腫という酸素と二酸化炭素を交換する肺胞を取り巻く毛細血管から、血液の液体成分が染み出す病気によるものと判明。が、その割合は肺全体の数%程度で本人に自覚症状は無かったと考えられる、ということだ。

そして血液に溶け込んでいる二酸化炭素が異常値を示していて、その時の二酸化炭素濃度は60%を超えていたと推定され、被害者がトイレに入って数呼吸で意識を失って倒れ、その後死亡したと結論付けられている。

 従って、病死や事故とは考えずらく、他殺と断じることが相当と記載されている。

 丘頭警部は、速やかに全員にその写しを配布し、現在取り組んでいる捜査に一層気を引き締めて当たるよう命じた。

 

 その後、初夏の眩しい太陽とアスファルトの照り返しで、風通しの良いスカラップネックの半袖のシャツにひざ丈のラップキュロットでも流れる汗が止まらず、それを拭きながら浅草署から500メートルほど歩いてひさご通りにある岡引探偵事務所を訪れた。

「一心いるかぁ」二階の事務所には誰の姿も見えないので少々大きな声で叫んだ。

奥の自宅の方から返事をする一心の声が聞こえ、ドタバタと足音がして自宅のドアが開く。

「おー丘頭警部、どうした?」

タンクトップに半ズボン姿の一心がパタパタと団扇で扇ぎながら現れ、一度奥へ引っ込んで氷を浮かせた麦茶を二つ持って再び現れる。

「やっと、解剖の結果がでたわよ。想像通り他殺よ」

一口飲むと喉の奥まで冷たさが染み入る。

「やはりな、俺の睨んだ通りだ。で、捜査は進んでんのか?」

一心が解剖所見に目を落としたまま所々で頷いている。

「なんせ、人物が人物だけに対象者がやたら多くて、今、全員で手分けして当たってる」

「外部犯か内部犯か不明だがボンベをどうやって持ち込んで、チューブを換気口に差し込んで且つ守衛に見つからないようにできたのか? だな」

「鑑識にもう一度建物の傷や地面の痕跡を調べ直させてるし、ボンベの購入者も洗わせてる」

「現場の真上が息子の部屋だろう。一番やりやすい場所だな」

冗談なのか? 一心はにやにやしながら警察の捜査に手抜かりが無い事を知ってるくせに問いかけてくる。

「息子は白よ! あの日、午後8時前に外出したのは家族も守衛も確認している。監視カメラに写ってる姿を私も確認した。で、帰宅したのは翌朝4時。飲み屋街で友人にも会ってて、その友人も間違いないと証言したし、飲み屋のママも常連客なので良く覚えてますってさ」

「ほー、アリバイありか……死亡推定時刻は何時だ?」

一心が腕組みをし資料を見ては天井を睨みつける動作を繰返している、頭をフル回転させているときのいつもの仕草だ。

「そこに書いてあるでしょう? 午前2時の前後30分よ」

「あっ、そ。30キロのボンベの6割をトイレに注入するのに何時間かかる?」

「100%入れるのに6時間ってきいてるから、6割だと216分……3時間半ちょいかな」

「トイレに満たされたCO2が6割程度にまで下がる時間は?」

「それを明日実証実験することになってる。ドライアイスを使ってね。予想だと、一旦充満させたとしても1時間経過すると30%程度濃度が低下してしまうというのが鑑識の見解みたい」

「そっかぁ、3時間超えたら守衛の問題があるし……じゃぁボンベ2本使ったら時間半分になるよな?」

「そう単純にはいかないみたいよ。換気口って室内にも蓋があって羽もあるから、外と内の蓋の間にCO2が充満して、中へ入らず外へ逃げてしまうことも考えられるのよ。それを防ぐには外側をしっかりと密閉しないとダメなんだけど、そういう痕跡はなかった。だから、2本で4時間ほどかかるという鑑識の見解なの」

「そうなると、守衛の目に一度は触れたけど気付かなかった、と考える方がいいな」

「そういうことよ」

「二階の息子の部屋は調べたのか?」

「もち、床に穴は無かったわよ。当然、現場の天井や壁に床まで調べたけど、換気口以外からガスを入れるのは無理ね」

一心の冗談ともとれる質問に思わず笑みが零れてしまう。息子にはアリバイがあるから捜査の対象外にしたと再度一心に告げた。

 

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