第4話 岡引一心現場を確認
浅草の住宅街の片隅に一か所だけ塀をぐるりと回している豪邸のあることを昔から知っていた。そこが舛上宅だったのだ。
正面の門から入ると30メートルはあるだろうアスファルトの道があって玄関前にはロータリーもある。一心と丘頭警部を車寄せで降ろした田川刑事はそのまま駐車場へ入る。そこには大型車でも5台は停められるだろうスペースがある。
ドアチャイムを鳴らすとそれ程間を空けず、秘書長の氷見が事務所へ来た時と同じ黒のスーツ姿で顔を見せた。監視カメラを見て警察が来たことを知ったのだろう、以外に待たされなかった。
「警部さんに探偵さん、今日はどういう用件でしょうか?」氷見の言葉使いは丁寧だが、ガッチリとした身体と鋭く睨みつけるような眼差しから威圧感を覚え、一心は一歩引いてしまった。
「あの現場見せてちょうだい」丘頭警部は何度も来て慣れているようだ。
「はい、どうぞこちらへ」
氷見が先導しホテルのロビーのような空間を通って自宅の方へ歩いてゆく。足元は大理石なのだろう、綺麗に磨きこまれ、吹き抜けの天井からは大きなシャンデリアが虹色に煌めきながら一心らを迎えてくれている。調度品なんかも歴史ある高級ホテルにあるような雰囲気だ。
「奥様は葬儀社と応接室で打ち合わせをしておりますので、顔を出せないのですがよろしいですか?」
氷見は視線を自宅の方へ向けたまま玄関脇にある応接室を示して言う。一応質問しているようだが返事は求めず、こっちがどう返そうが無視すると言いたげに歩みのスピードを緩めない。
そして、一心の背丈の倍はありそうな大きなドアを抜けて自宅へ向かう廊下を進むと中ほどに玄関がある。
「探偵さんは次回から裏門から入ってこの玄関のインターホンを鳴らしてください。家政婦がご案内します」
一心は黙って頷く。そしてもう一枚のやはり大きなドアを抜けると自宅のようだ。
綺麗に磨かれたフローリングの広間を右に折れて突き当りを右へ、その突き当りが書斎だと図面通りの説明だ。
二階へ行くには自宅に入って直ぐ右に幅広の階段があるし、その隣にエレベーターまである。
各階には図面通りリビング、ダイニング、キッチンと風呂まで用意され、トイレは風呂場の隣と各部屋にもある。流石に贅沢な感じがする。
家政婦は毎日それらを掃除するらしい、それで三人いて朝から夕方まで二名が常駐している。
食事はコックが来客用と自宅用、それに守衛や秘書達の三食と夜食までを用意すると言う。
だから自宅のキッチンは家政婦がお茶やコーヒーを淹れる時か自分たちで何かを作りたいときのために用意したものだと言う。
書斎のドアを開いて一歩中へ踏み入ると、壁面には天井まで届く大きな書棚がびっしりと並べられていて、図書類がまるで図書館の書架ように綺麗に整理されている。問題のトイレは書斎入口の真正面突き当りにある。
そのドアを開けてその中を覗くと貰った図面の通り、凡そ幅1M×奥行2M×高さ2.5Mで5立方メートルほどだ。右上部に窓があり、奥の上部に換気口がある。
30キロの液体炭酸ガスボンベを使うと気体の二酸化炭素の体積は6000リットルになるからトイレの中の濃度は充分100%にできる。
そこまで使わなくても7キロの液体炭酸ガスボンベを使うと気体の二酸化炭素の体積は1500リットルだから2本使えば3000リットルになり、全体として濃度は60%だが、空気より重い二酸化炭素は天井付近より床付近が濃度は高くなるし、丘頭警部が言うように天井付近から二酸化炭素を入れたと仮定すれば。身長170センチの被害者でも結構高濃度の二酸化炭素を頭から吹掛けられる事になるだろうから、数呼吸しただけで意識を失ったとしても矛盾はないだろう。
それに30キロのボンベの液充填重量が60キロ弱なのに対し、7キロのボンベでは凡そ15キロだから、男なら一人で持てる重さだ。
「なぁ警部、俺の調べたCO2の情報からだとこのトイレでの殺害は十分に可能だな」
「そう、あんたも調べたの、うちらも調べたら同じ結論に行きついたわ。ただ、検視官が言うには肺に若干水が溜まっていたみたいなの、病的にね……だから、健常者よりCO2の濃度が低くても十分に酸欠になるらしいのよ。それで、慎重に分析してるから時間がかかってるの」
その説明でやっと鑑識の判断の遅い理由が飲み込めた。
「でさ、警部、事件だとしてどうやってトイレをCO2で満たしたんだ?」
「そこの上の方にある換気口に外から管入れてボンベを地面に置いて栓を開ける。ただ、6000リットルのだと6時間弱かかるって話なのよ。3時間ごとに守衛が巡回してるからシューシュー音たててたら気付くんじゃない。守衛に訊いたけど、建物に沿って歩くからボンベなんか置いてたら気付くはず、と言ってたのよ」
「何処か隠す場所はないのか?」
「外へ出てみようか? もう中は良いでしょ?」
一心は頷いて廊下に設けられている玄関から外へ。
桜の木が何本か植えてある。ちょうどトイレの前4、5メートルのところにもある。
「この木の陰にでも隠したんじゃないのか?」
「いや、そこは鑑識が念入りに調べたけど、ボンベを置いた跡もホースを引きずった跡も無かったし、枝にも何かを縛ったような傷は無かった」
「ほう、結構真面目にやってんだなぁ」
「当たり前でしょ! 殺人と決まってからじゃ、初動捜査で何やってたんだって、署長から大目玉を食らうのが目に見えるようだわ」丘頭警部は大げさに身振り手振りを加え笑って見せる。
「じゃ、換気口とかも調べたのか?」
「勿論、調べたら換気口の羽に擦り傷や引きづった跡があったわ」
「そうしたら、殺人事件じゃないか!」俺は思わず声を大きくしてしまい慌てて口を押えた。
「違うの、それでさっきの話よ。先に病死って線」
「そっか、病死なら警察は手を引く?」
「そこが問題なのよ。病死なのに警察が動くってことは、遺体損壊とかなら分かるけど、二酸化炭素をトイレに注入しただけじゃ損壊にならないでしょう。設備に傷を付けたから器物損壊? になるけどあの程度じゃちょっと動けないわねぇ。難しいのよ。殺人未遂って言えるかどうかね」
二人が室内に戻ると氷見に声を掛けられた。
「奥様の用事が済みましたので会いますか?」
勿論、と一心と丘頭警部は声を揃えた。
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