54 守深架エピローグ①・訪れる事がない夜明の先を目指して

「む……」


 カーテンの隙間から覗く光で、僕・伏世ふくせゆうは目が覚めた。


 ここは、自分の部屋だ。

 あの懐かしい、我が家だ……何故だろうか、見慣れた光景のはずなのに、ひどく懐かしい。


「……いい天気だ……はふぅ……」


 カーテンを開けると、清々しいまでの日光が部屋に満ちる。

 こんなにも穏やかだと、欠伸も出ようと言うものだ。


「さ、着替えて学園に行くか」


 学園に行く事さえ楽しく思えてくる。

 まあ、元々学園に行くのは楽しいけどね(勉強以外)。

 準備を終えた僕は、兄さんが作った適当な朝食を食べて、家を出る。


「――行って来い、憂」


 居間でテレビ画面を眺めたまま、小さく手を振る兄さん。

 いつもどおりの、そんな風景がなんだか直視していられなくなって、僕はどうにか「行ってきます」とだけ告げて家を飛び出した。


 そうして進む通学路の途中で、待ち合わせていた彼女と合流した。


「おはよう、羽代」

「おはよ、伏世くん」


 小さく手を振って、彼女――羽代はねしろ守深架すみかが笑いかけてくる。

 その屈託のない笑顔を見ているとたまらなく嬉しくて……。


「え? ど、どうかしたの、伏世くん」

「――あ、ごめんなんかちょっと目にゴミが入ったみたいで」


 何故だか、涙が零れて来た。

 でも、素直にそう伝えるのは照れ臭くて、僕は咄嗟の言い訳を口にして誤魔化した。


 そんな僕を純粋に心配してくれる羽代の気持ちが嬉しくて、またちょっと泣きそうになったり。

 

 無限ループしそうな心地を隠しつつ、その後は二人並んで学園に向かう。


「おはようございます、伏世くん」

「あ、鈴歌すずか部長、おはようございます」

「おはようございます、鈴歌先輩」


 校門の所で鈴歌すずか迂月うつき部長に会ったので、僕達は揃って頭を下げた。

 すると部長は、珍しく少し不機嫌そうにこう告げた。


「伏世くん、今日はちゃんと部活に参加するように。

 これは部長命令ですよ。

 デートだったからってさぼるのは、もっての他です」

「あ、う。その。以後気をつけます」

「す、すみませんっ、鈴歌先輩!」

「羽代さんは悪くありませんよ。

 ちゃんとスケジュールその他考えない伏世くんの責任です」

「うぅ、ごもっともです……」


 申し訳なさで肩をすぼめながらも……その内心では僕は楽しくて仕方がなかった。

 いや、ちゃんと反省はしてるんですよ、ええ。馬鹿にしてるとかじゃなく。


 そうじゃなくて――本当に、ただ楽しかったから。


 ああ……いいなぁ。これが日常だ。


 僕らが望んでやまなかったものだ。

 やっと、僕らは戻ってきたのだ。


 ――――戻って来た? 


 それを噛み締めながら、踏みしめながら……同時に浮かび上がった戸惑いと共に僕は教室に向かう。

 

「――羽代?」


 気付けば彼女は姿を消していた。

 学園の喧騒もすっかり消え果ててしまっている。

 

 ……きっと始業前だからだ。そうに決まっている。教室に行けばまた会えるんだ。


 だから何も、心配する事なんか、ないんだ。ないはずなんだ。


 徐々に膨れ上がって来る何かを抱えながら僕は教室へと辿り着いた。

 閉ざされた戸へと手を伸ばす――どこか、微かな拒否感を感じながらも、何故だろう――そうしないではいられなかった。 


「おは、よ……?……」


 そうして教室に入った僕は――異常に気付いた。


 僕の眼に映るのは、整然とじゃなくても、それなりに整えて並べられた机の群れじゃなかった。

 そこに座る、クラスメート達じゃなかった。


 教室には、四つの座席しかない。

 所々に置かれた、その席には、その席の主が座っていた。


 比良瀬さん、革平さん、瑞野さん、そして。


「おはよう、ふーくん」


 切那せつな、さん。


 そんな馬鹿な。

 そんなはずはない。


 君は、もう、ここにいるはずのない人。

 君達は、ここにいるはずのない人たち。


 どうして、彼女達がここにいるんだろうか?

 いや、そもそも――どうして、僕はここにいるんだ?


 僕は、僕の本当の居場所は――


「何で……?」

「わかりきった事よ。そして、貴方もとっくに気付いている事」


 死んでいく。

 あの三人が、殺される。

 僕の横を通り抜けて、教室に入り、触れただけで消滅させる。殺してしまう。


 ……それだけでは終わらない。


「うわ?! ああああっ!?」


 右腕が。

 それまでは確かにあった――本当はとうの昔に失われていたはずの、僕の右腕が消えていく。


 それは、知っている光景。

 それは、知っている結末。

 それらを為したのは、紛れもなく。


「これが、ただの夢でしかない事を」


 血塗れになっていきながらも、僕を眺める切那さんがそう呟いた瞬間。

 切那さんの近くで立ち止まり、こちらへと振り向いた――それらを為した羽代はねしろ守深架すみかはニッコリと微笑んでいた。





「……!!」


 片目を開く。


 視界に映ったそこは、一ヶ月と少し前から住み出したアパート。

 天井の染みが印象にあったから、間違いはない。


「……はぁ」


 思わず溜息を吐くような夢を見ていた。


 いつもの夢だ。

 悪夢だ。


 そして、悪夢は慣れるはずのないものだと、また思い知る。


 そんな悪夢を見たせいか、寝汗をたっぷりとかいているようだった。

 その事に不快感を覚えたその時。


「いや……」


 響いてきたその声に視線を向ける。

 そこには、僕の横で――同じ布団で眠っていた守深架がいた。


「いやあああああああああああああっ!!!!」


 守深架は叫びながら、起き上がった。

 その額――いや全身には汗が滲み。その目尻から涙が零れていた。


「同じ夢を見たんだな、今日も」


 挨拶も無しに呟き……挨拶の代わりに、守深架の肩を抱き寄せる。

 そうすることで、最初は半狂乱となり頭を掻き毟り、強張っていた全身の力が、少しずつ抜けていく。


 やがて脱力していった守深架は暫し僕の肩に寄りかかっていた。


「ぅ…うっ……うぁぁっ……」


 それでも、守深架の涙はしばらく止まる事がなかった。




 ――――あれから、もう二年の時が流れていた。

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