31 エアガンと休日と思いがけない遭遇

「ただいまー」


 僕・伏世ふくせゆうは兄さんに余計な心配をかけないよう、玄関前で気分を切り替えた上で敷居を跨いだ。


 昨日は確かにあったもの――母さんの作る料理のが匂いが今日はない。

 それが昨日だけのものだと頭で分かっていても、少し寂しかった。


 台所を覗くと、兄さんがいた。

 どうやら買ってきた惣菜を皿に並べている所らしい。

 兄さんはこっちに気付くと無言で軽く手を上げた。


「ただいま。手伝う事は?」


 そう問うと兄さんは首を横に振った。

 こういう時は何を言っても、大抵の場合手伝いをさせてくれないのはよく知っている。

 「分かった」と軽く頷いて、僕は二階へと上がっていった。


 脱いだ制服を椅子にひっかけて、シャツとスパッツに袖を通す。

 それだけで少し体が軽くなったような気さえする。

 今日は身体を酷使し過ぎたからね、うん。


「慣れない事はなんとやら、かな」


 呟きながらベッドに横たわる。

 いつも寝慣れたベッドもいつもよりもふかふかに思えてしまう。


 眠りに落ちそうになるのを堪えて立ち上がる。

 その足でバッグからエアガン……グロック17を取り出した。

 今日色々な使い方を試したので一応確認するが――うん、壊れたりはしてないみたいだ。

 汚れているので一応身近にあったティッシュで全体を拭いておこう。


「これを買ったときは、あんな風に使う事になるなんて思わなかったな」


 ただ、自分の中の何かをなんとなく満足させたくて買った玩具。

 でも、これはすでに玩具じゃなくなってしまっている。


 ある意味で、少し前の僕はそれを望んでいた。

 この銃をかっこよく使ってみたい。そう思っていたのは確かだ。


 でも、実際に使ってみて、思う。


「……重いよ、これ」


 このたかが弾丸一発に込められているもの。

 自他の命を賭ける場所で使った事で実感する。

 それは想像よりも遥かに重い、持て余す物だという事を、僕は今更ながらに知った。


「全部終わったら、捨てようかな」


 と、呟いたタイミングでノックの音が響いた。


「兄さんか?」


 まあ、現在この家にいる人間は僕を除いてただ一人なのだから尋ねる必要はないのだが、反射的にそうしてしまっていた。

 ドアが開くと、そこには案の定の兄さんの姿があった。


「メシだ」

「ああ、すぐ行く」


 拭き終わった事で微かに光るグロックをベッドの上に置いて、僕は階下に下りていった。




 夕飯を食べた後は風呂に入った。

 湯船に浸かっていると色々な事が頭を過ぎる――考えたくない事まで。

 それを散らそうと、少し強引に鼻歌を歌う。

 それだけである程度は気分が楽になる辺り、自分は本当にお手軽だなと思った。


 その後は、兄さんに挨拶してから寝床についた。

 風呂上りにすぐ寝るのは心地良く、僕はいい気分でうとうとしながら眠っていく事ができた――。




「ふあ……」


 なんとなく気分が良くて、僕はむくりと一発で起き上がった。

 これも、昨日いい感じで眠れたからだろう。

こんな気持ちで目覚められる朝はそうそうない。


「明日もこんな風に起きれるといいな」


 明日。

 そのまた明日も。

 ずっとずっと。


 でも。

 もうそんな保証はどこにも――。


「って、また要らない事を考える…………ったく、僕はネガティブだな、はは」


 そうして冗談めかして笑い飛ばす――だけど、完全には暗い気持ちは消えなかった。


 今、この時はそれでいい。

 まだ誤魔化しは効く。[p][cm]


 でも。

 が来たら?

 その時が来ても僕は自分を誤魔化せるのか? 誤魔化して、どうにかなるっていうのか?


「その為に切那せつなさんを説得するんだって。

 だから、何もびくびくする必要はないんだっての」


 うっすらと心に広がりつつある"それ"を振り払って僕は制服に……って、馬鹿。


「そっか、今日は休みだったっけ」


 着替えかけた制服を元の位置に戻して、僕はベッドに腰掛けた。

 

「……じゃあ、今日はどうしたもんか――」


 少し考えた末に、どうするべきかを決める。


「よし」


 さっき折角頭に過ぎったんだし、切那さんと話して、説得を試みてみよう。


 どうにか、考え方を変えて欲しい。

 人をこれ以上殺さないで欲しい。

 そして――。


「……僕だって、まだ死にたくなんかないんだ」


 "自分が死にたくないから説得するんだろう"


 誰かにそう言われたら、僕は何の迷いもなくそれを肯定する。


 でも、それだけじゃない。

 どんなに偽善的だと言われようとも、何処の誰に嘲笑われようとも。

 

 他の誰かに、自分と同じ痛みを味わって欲しくなんかないから。

 切那さんに、誰かを殺して欲しくなんてないから――だから、行くんだ。


「まあ、単純に切那さんと色々話したいしね」


 暗くなりそうな心を持ち上げるように独り言を呟きつつ、手早く私服に着替える。


 一階にはまた人の気配がしていなかった。

 せっかくの日曜日、兄さんが徹夜でゲームをしないなどということは基本的にありえない。

 その事実を思い出しつつ簡単に朝食を取って、僕は家を出た。


 そんな僕を出迎えた空は、折角の休みには相応しくない曇天だった。

 少し気分が滅入るのを感じつつ、僕は――。


「って。何処に行けばいいんだ?」


 家を出て少し歩いた所で、僕はその致命的な事に気付いてしまった。

 僕は、切那さんの住所はおろか、電話番号、携帯の番号さえも知らないという事に。


「ううっ、迂闊」


 自分の馬鹿さ加減に呆れつつ、頭を抱え込みながらその場にしゃがみ込んだ。


「……………………ふーくん?」


 そんな僕の頭上から切那さんの声が……って、あれ?

 僕がゆっくりと顔を上げると、不思議そうな顔をした切那さんの顔があった。

 いつもの三つ編みはそのままに、黒いロングスカート……いや黒いワンピースを着ている、私服姿の切那さん。


 …………えーと、その。

 めちゃくちゃに似合ってません? というかすごくかわいいんですけど。


「……どうしたの、顔赤いけど」

「あ、いや、その、なんでもないんだ、本当」


 ゴホンと我ながらワザとらしい咳払いをしてその場を整えてから、切那さんに向き直る。


「おはよう、切那さん」

「おはよう、ふーくん」

「その……奇遇だね。こんな所で会うなんて」

「………」


 僕の言葉に、切那さんはジトー……と擬音が聞こえてきそうな表情と視線を向けてきた。


「え? どうか、した?」

「奇遇じゃないわ。私、あなたに会いに来たの」

「え、そ、そうなんだ」


 一瞬、なんと言うか馬鹿らしい妄想が頭を駆け抜けた。

 彼女が『僕にただ会いたくて』ここに来たという馬鹿らしい妄想を。


 無論、そんな事はない。

 何かしらの用事があるだけだろう。

 自分の馬鹿な妄想を、落胆する前に否定すべく、彼女が来訪の理由を語るよりも先んじて尋ねた。


「でも、なんでまた?」


 彼女はそれに対して残酷だけど当然の答えを――。


「ふーくんに会いたくて」

「…………………え?」

「ただ会って、ただ話がしたくて、ここに来たの。

 それじゃ、だめ?」


 心底不思議そうに、言葉の途中からは不安げに彼女は言った。


 その表情を目の当たりにした僕は力の限り首を横に振った。

 下手したら360度首が廻せるんじゃないかってほどに。


「そ、そ、そそ、そんな事は、ないよ」

「そう。ならいいんだけど」

「えと、ちょうど僕も、そのつもりだったし」


 パチクリ。

 そんな擬音がつきそうに切那さんは目を瞬かせた。

 ……気のせいだろうか。

 微かに、顔が赤く……いや、そっちは確実に気のせい気のせい。


 切那さんの反応が意外で、僕は思わず動揺した。動悸がすごいです。

 まあ、切那さん相手だとよくある事の様な気もしないでもないけど。


「え、えと……そ、それじゃ、その、僕の家に来る?

 あー……その。お茶とお菓子ぐらいなら出せるけど」


 どうにか逸る気持ちを抑えながら、せっかくの機会と言わんばかりに思い切って言ってみる。

 一回来てもらっているからか、幾分は緊張せずに済んだ――まぁちょっとだけだけど。

 すると切那さんは表情を改めた後、暫し虚空を見詰める、いつもの思考時間の後に首を横に振った。


「ご家族の方、いらっしゃるでしょ?」

「兄さん――兄が一人いるけど、別に気にしなくても……」

「駄目」


 いいよ、と言おうとした僕の言葉に彼女の言葉が覆い被さる。

 強い声音からいつになく強硬な拒絶を感じ取ったので、僕は自宅への誘いを諦める事にした。


「うーん。なら、どうしようか……」


 なら、なら。

 なら、なら、ならなら、ならならなら…………………。


 如何せん女の子を何処かに誘う経験が足りないので、恥ずかしながら思いつかなかったり。

 今はここにいない幼馴染はファミレスでもゲームセンターでも気軽に誘えたんだけどなぁ……。


「ぐ、ううう~」

「………歩きながら、話しましょう」


 必死に考え込む僕を見兼ねてか、切那さんはそう言って歩き出した。


「あ、ちょ……」


 情けなさたっぷりに、僕は慌ててその後を追った。

 ……切那さんと出会った頃から変わらない、自分の進歩の無さに嘆きながら。

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