21 日常と間違えている事と改めての決意
「……う」
気が付くと朝になってきた。
なんとなく起き上がると、少しずつぼーっとしていた頭が動き始めていく。
それでも頭が重いような気がするのは、慣れない考え事のせいなのかもしれない。
「……丁度いいくらいか」
携帯の時刻表示を見ると、眠りそうになりながらセットした、目覚まし用アラームの時刻の一分前だった。
僕はセットを解除して、背伸びする。
「今日はいい天気だな」
カーテンを開くと、窓の外は梅雨時だというのに、雲ひとつ無い快晴だった。
いわゆる日本晴れという奴だ。
重くなっていた気分も軽くなっていくような気にさえなる青空だ。
「よし! さあ、行こうかぁっ…………はあ」[
いや、もちろん。
軽くなったような気になるだけで空元気なんだけど。
まだ考えはまとまらない。
行くべき道も見えはしない。
それでも、行かなくてはならない――いや、だからこそ、なのかも。
そんな事を考えつつ、制服に腕を通して階下に降りると、今ではすでに兄さんが朝食の準備を済ませてくれていた。
こういう時の兄さんの気遣いは本当にありがたい。
ぶっきらぼうで何も考えていないように見えて、僕なんかよりも端々の事に目を光らせている――だからこそ、こっそり尊敬している自慢の兄さんなのだ
「……なんだ?」
「いや、なにも」
なんとなく兄さんの方を見ていた事に少し照れを感じつつ、僕はいつものように新聞に目を落とした。
四コマ、テレビ欄、そして。[p][cm]
「……く」
また。
また、被害者が出ていた。
推定時刻は……夜に限りなく近い夕方。
犯行現場は昨日、あの白い男と会った場所……?!
時刻も、その辺りに符合する。
犯人は、複数なのか……?
いや、違う。
昨日僕達が戦ったバケモノがいる。
あれがもし白い男が作った、何らかの能力の産物だとすれば、説明はつく。
昨日遭遇した時の、鏡界に紛れてそれを行ったと仮定すれば尚更だ。
それよりも。
「くそ……っ」
またしても。
またしても僕は、身近にいながら誰かの、理不尽な死を、防ぐ事ができなかった。
他の誰かには気付けなくても、僕には気付けたかもしれないのに。
「――憂?」
「……ん、あ、いや、不愉快な事件ばかりだから、つい」
新聞を見ていただけと考えると過剰な反応を見かねたのか、兄さんが声を掛けてきた。
なので僕は心配を掛けないように、湧き上がる感情を抑えながら、自然さを意識しつつ、嘘ではない言葉を口にした。
すると、兄さんは静かに、だけどハッキリと聞き取れる言葉で言った。
「そうか。だが、それはお前の所為なのか?」
「え?」
「お前がその事件に何かしら加担しているのならともかく。
そうでないのなら、お前がそこまで気負う必要もないだろう」
「ま、あ、そうなんだけど……」
「そうなら、そう思え。辛気臭い顔をするな」
「……うん」
分かっている。
傍から見た僕は、たまたま事件を目撃した、遭遇した一般人だ。
ある部分を除いては、兄さんの言うように気負う必要はきっとないのだろう。
でも、僕は――――。
「ありがとう、兄さん。じゃ、行って来る」
口にしかけた言葉を飲み込んで――その代わりに気遣ってくれた兄さんへの感謝の言葉に変えてから、僕は家を出た。
……晴れの日には相応しくない傘を手にして。
学園へと続くいつもの通学路を歩く。
一昨日も通ったはずなのに、なんだか懐かしく思えた。
その道を行くのは僕だけじゃない。
僕と同じ場所に行く人達が、僕と同じように歩いている――けど、同じじゃない。
同じ制服に身を包んでいても、それぞれ抱えているもの、気持ちは違う。
でも、それでも、そうして違っている誰もがきっと同じ願いを秘めて生きているはずだ。
死にたくなんかない、悲しみたくなんかない、と。
「
声のした方に顔を向けると、そこにはクラスメートの
彼女と会うのも久しぶりのように思えてならない。
少し小さい羽代さんと近くで話すには少し視線を落とす事になるんだけど、それは新鮮な、日常の中の小さな刺激だ。
そんな事を考えながら、僕は暗くならないよう気を付けつつ、挨拶を返す事にした。
「おはよ」
「どうしたの?
なんか元気がないみたいだけど。昨日も休んでたし……」
なのだが、あまり明るくは出来てなかったらしい。
それを誤魔化すように僕は苦笑を浮かべた。
「そう見える?」
その問いに、すぐ横を歩く羽代さんは、コクン、と頷いた。
僕と彼女はさほど親しいというわけではない。
その彼女がそう指摘するという事は、誰の目にも明らかなほど疲弊してるように見えるという事なのだろうか。
と、思っていたのだが。
「伏世くん、表情が分かりやすいから」
「……マジ?」
予想と全く違った見解に僕は思わず呟いていた。
「うん、授業中先生に当てられた時とかその問題ができない時の顔はすごく悲痛に見えるよ。
実際、そういう顔してるときは答えられない事多いみたいだし」
「あー……そうなんだ」
うう、顔から火が出る思いだ。
そんなに自分がわかりやすい奴だったとは……今度からは気をつけよう。
――まあ、気をつけてどうにかなりそうな問題でもないし、気をつけるような問題でもないかもしれないけど。
「あ、
「――!」
そんな何気無い羽代さんの言葉に、必要以上に力んで顔を上げる。
すると、彼女の言葉通り、僕らの少し前を歩く
三つ編みが揺れる後ろ姿は、すでに見慣れたものだった。
羽代さんはそんな彼女に小走りに駆け寄って何事かを呟いた――朝の挨拶だろう。
彼女に気付いた切那さんが頷くように挨拶を返すと、二人は揃ってこっちを向いた。
躊躇いはあった。
それは無論、切那さんに対する。
昨日の男が突き付けてきた言葉が否が応でも思い浮かんでいる。
切那さんが人殺しだという、言葉が。
――今あそこに立つ彼女には関係ない……懸命にそう言い聞かせて、僕は彼女達に駆け寄った。
「……おはよう、切那さん」
「おはよう、ふーくん」
「そう言えば、何で伏世くんって"セツナ"さんって呼ぶの?
ふーくんって言うのはなんとなく分かるけど」
「え? まあ、その」
「昔つけられたあだ名のようなもので、結構気に入ってるの。
たまたま機会があったからふーくんにはそう呼んでもらってる、それだけ」
彼女に『セツナ』と呼んでほしいと言われた事を説明するのかどうか迷っているうちに、切那さん自身があっさりと答えてしまう。
だけど、彼女が口にした『理由』は僕も知らない事柄だった。
「ふーん……」
その言葉を聞いた羽代さんは、僕と切那さんを交互に見て、納得するようにうんうんと頷いた。
「……?」
「羽代さん、何、そのリアクション」
切那さんと僕が思わず少し訝しげな表情で羽代さんを見やると、彼女は非常にご機嫌そうにニコニコと笑った。
……何か果てしない勘違いをされているような気がするんですが。
そう思っている事を知ってか知らずか羽代さんは笑顔のまま言った。
「ううん、なんでもないよ」
「……そうなの」
「あっさり納得するんかい」
切那さんの言葉に、僕は思わず虚空に突っ込みを入れた。
兄さんに角度の指導を受けて、前よりも切れがいいはずだ。
「ふ。前よりは進歩したな」
そんな声と共に何処からともなく現れたのは、クラスメートにして友人、
……何気に努力を肯定されているのは嬉しかったり。
しかし、それはそれとしていつの間に接近していたのやら。
「いつの間に近くにいたわけ?」
「愚問だ、伏世。
ライバルの成長を陰ながら見守る……そこに理由など要るまい」
「いや、質問に答えてないし。
それに、いつ誰が君のライバルになったんだ?」
「ふ、出逢った時からの必然か。
あるいは、運命……そう呼んでもいい」
「漫画のセリフみたいだね、ふふ」
「羽代さん、何故に嬉しそうなので?
というか漫画かな? 最近は中々こういう大袈裟なセリフ回しは見ない気がするけど」
「……素敵」
「切那さんも何気にとんでもない事を言わないの」
「冗談だから」
そうして言葉を交わしていると、自然に口に笑みが浮かんできた。
あまりの馬鹿らしさに昨日の事とか色んな事を、今この一瞬だけ忘れる事ができてしまう――その事を心苦しく思いながらも。
そんな、何気無い会話。
そんな、何気無いやりとり。
これはあって当たり前のもののはずだ。
……でも。
昨日、もし切那さんか僕が殺されていれば、この時間はありえなかっただろう。
あいつの犠牲になっていたのが、道杖くんか羽代さんでも同じ事だ。
――――やっぱり、間違っている。
アイツも。
そして、切那さんも。
「ねえ、切那さ……」
浮かび上がった言葉を彼女に向けようとした、その瞬間。
あの感覚が広がっていくのを、確かに感じ取った。
鏡界の展開――しかも、かなり近い。
即座に切那さんの顔を見る。
彼女も同じモノを感じたようでその表情を微妙にだが硬化させていた。
少なくとも、僕にはそう見えた。
――――行かなくちゃ。
「ああっ!」
「なんだ、急に大声を上げて」
変なものでも見るような半眼気味な目で道杖くんがこっちを眺めた。
内心申し訳なく思いながらも、僕は嘘を吐いた。
「いや、家に忘れ物しちゃって。取りに帰らないと」
「そうか。だが遅刻するぞ」
「遅刻の方がましだって。数学の教科書だから」
僕達の数学担当教諭は忘れ物に容赦がない。
先生にとっては何故か遅刻よりも教科書や宿題忘れの方が重い扱いらしい事は、先生の授業を受けた誰もが知っている。
だから、この言い訳はかなり説得力があるはずだ。
案の定、道杖くんと羽代さんは"ああ"と納得の表情を浮かべていた。
「……そうなの。なら私も帰らないと」
僕の言葉に合わせた方が楽だと判断したのか、切那さんは言った。
「え? 境乃さんも?」
「ええ」
「転入生だからという言い訳は……聞かんだろうな、あの石頭は。
まあなんにせよ、それが本当なら二人とも急いだ方がいいぞ」
「わかった。じゃ!」
「また学園で」
そう言って、僕らは同時に駆け出した。
家ではなく――辿り着くべき、本当の場所へと向かって。
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