18 遭遇と哄笑と正しくはない事
「……それじゃ、私は帰るから」
玄関先に立つ
あれから、今後の事を少し話した後、彼女がする事があるからと席を立ち、今に至る。
時間にすると僅か数時間足らずだったのだが、僕・
それだけ緊張と恐怖、覚悟が入り混じった時間だった。
ただ、それはあくまで僕だけの事情なので、それをなるべく出さないように僕は別れを告げた。
「……ん。じゃ、また」
「その前に。ひとつ、いい?」
「なに?」
「この事件が終わったら、私は、あなたを殺すわ。
あなたも第四世代に過ぎないから」
「……」
「でも、この事件が終わるまでは、私があなたを守る。
……それでいいのね?」
「…………うん」
「それが確認したかっただけだから。
……それじゃ……また、明日」
その言葉を僕の脳裏に響かせたのを最後に、彼女は扉を開き、雨の中を駆けていった。
「なんでなんだろう……」
彼女は、人殺しに快楽を見出しているわけじゃない。
ただ、そこに仕事としてあるものだから、すべき事だから、と処理している。
彼女の話し振りからだとそうとしか思えなかった。
生まれなのか。
環境なのか。
血筋なのか。
彼女自身の本質なのか。
現在の彼女をそうさせているものはなんなのか、僕には分からない。
だが、僕はその理由が、根本的な原因があるとするなら、それこそ殺されて然るべきものの様な気がしてならなかった。
「……まずいよな、これ」
昨日今日の間に随分考えが物騒になったような気がする。
あまりよろしくない――なんとなくそう思いながら軽く首を振った。
「もう、こんな時間か……それなら、今日は御飯作らないとな」
そうして強引に思考を切り替えて顔を上げた先にあった時計は、いつも兄さんが帰ってくる時間を少しオーバーしていた。
こういう時は僕が料理を作らねばならない。
こんな時でさえも。
「……乗り気はしないけど、しゃーないな」
僕はズボンのポケットに入ったままの財布を確認して、戸締りをしてから買出しに出掛けた。
「それにしても」
昼間立ち寄ったスーパーを再び練り歩きながら、ぼやいてみる。
何故スパゲティの材料を買ったときに夕飯の材料を買う事を思いつかなかったのだろう。
いつもなら、まず真っ先に思い浮かべそうな事なのに。
「……うーむ」
彼女が一緒にいた事で、知らず舞い上がっていたのだろうか。
まあ、女の子と一緒に歩くなんてことは滅多にないからしょうがないとは思うけど。
――同時に、これからの自分がどうなるのかの不安も入り混じっていたから、かもしれない。
そんな事を考えつつ、簡単な夕飯の材料と個人的な夜食をいくつか買い込んでスーパーを出た。
夕方時を過ぎて闇が世界を支配し始める時間になっても、この場所はまだ活気に溢れていた。
その活気に包まれながら、僕は黙々と家路を進んでいく。
人が何処からか溢れ出てはそれぞれの場所へと帰って行く。
そんな事が繰り返される事こそ、この街の日常であり、幸せだったはずだ。
でも、今は、そんな当たり前の事さえ脅かされている。
人間、生きていれば、何処にだって転がっている不幸にいつかは突き当たるものだろう。
その中での最悪の形は人によって違うが、僕にとっての最悪はやはり"死"だ。
その中で更に最低最悪はと問われれば、それは"理不尽な死"となる。
何のいわれも理由もなく誰かの気まぐれで人が死ぬ。
これほど理不尽で許せないものは無い。
だから、今事件を起こしている奴は僕にとってみれば史上最悪の敵と言えた。
「史上最悪の敵とは……お褒めにあずかり光栄だな」
「……っ!」
突然にその声が聞こえるのとまったく同時に、違和感……いや鏡界展開の感触が僕の感覚を刺激した。
キッと前を睨みつける。
そこには紛れもなく、僕にとっての史上最悪の敵が立っていた。
白いスーツを着たその男は初めて遭遇した時と変わらない仮面を付けている。
何かおかしな感覚がするのも、その肩に猫を乗せているのも変わらない。
「買い物途中とは申し訳なかったな。だが、すぐに済む」
「く……」
今ここで僕を殺す気なのか……?
ここで戦わなくてはいけないのか……?
まずい。
ここは、あまりにも人が多い。
ここで戦う事だけは何とか避けないと……
どうにかコイツを連れた上でこの場から離れる策を練ろうと頭を必死に回転させる。
そうして思考を巡らせていると、男は、フッ、と息を漏らすようにして笑った。
「心配しなくてもいい。別に君を殺しにきたわけではない」
「じゃあ、何だっていうんだ……?」
油断はできない。
こいつがどんな能力を使うのか、正確に把握にしていない事もある。
警戒を解かないままに僕は目を、キュ、と細めた。
その様が余程面白く映るのか、笑い声もう一度零した上で男は言った。
「この間の忠告の続きだ。あの女から離れろ」
「断る」
即座に答えた。
元より、この男の提案など聞くつもりもない。
「早いな。もう少し考えてもよさそうなものだが」
「人殺しの言う事を聞くつもりはない」
言葉遣いが自然荒くなる。
コイツを前にすると、ソレを抑え切れない。
はっきり告げたその言葉を聞いて、目の前の男は一瞬微かに仮面の奥の目を見開いたかと思うと。
「……は。
ははっははっはっははっははっははっはははははは」
本当に面白そうに笑った。
いや、面白いのだろう実際。
何故かは、分からないが。
そんな笑い声を上げている彼に、雑踏の中の誰も注目しなかった。
皆そこにあるものに気付かないままに歩み去っていった。
鏡界――今、この特殊な空間に立つのは、僕と彼の二人のみだった。
「君の思考はストレートだな。感情に走りやすいと言うべきか」
満足したのか笑いをピタリと静止して、彼は言った。
「本来精神感応は人の心を読むためにあるものではないんだがな。
君は余程人がいいと見える。
はっきりと分かるよ。君の私への嫌悪感がね。
それはそうと、何故かって?」
……自分の感情を読まれると言うのは正直不快だったが、今はそれよりも目の前の男の言動が気にかかった。
白い男は自分の肩に陣取る猫の頭を一撫でしてから、言った。
「君は人殺しの言う事を聞くつもりはないというが、君と共にいたあの女も人殺しだぞ」
「……っ……」
「あの女が今までどれだけの人間を殺してきたのか、聞かなかったか?」
「……」
「あの女がどういう素性の存在なのかも、聞いていないのか?」
「……う……い」
「だったら、懇切丁寧に教えてやろう。あの女は……」
「……うるさいっ!」
僕は叫んだ。
それ以上、男の言葉を聞きたくなかったから。
「お前が、彼女を語るな……何も分かっていないくせに、彼女を語るな……!」
僕の知る、
靴紐を結んでくれたり、子供を助けたり、考え事をする時にポーッ……としていたり、ミートソーススパゲティが好きだったりする、そんな女の子だ。
それで、十分だ。
十分の、はずだ。――――――――――――でも。
「いいや、何も分かっていないのは君のほうだ」
十分であっても、それはきっと。
正しくは、ない。
「カルネアデスの板。
それがあの女の所属する組織の名前だ。
その組織は第四世代を滅ぼすために作られた。
あいつらは第三世代を残すために一方的に第四世代を狩っている。
あの女もそういう存在だ。
察する所、あの女から少しは事情を聞いたようだが……
危険な第四世代を狩るというのは、その為の名目に過ぎない」
否定したかった。
コイツの言うことなど全て嘘だと。
でも、できなかった。
彼女自身が、言っていたから。
僕を、殺すと。
「特にあの女は……"
それが事実だ」
「……」
「何も言わなくなったな。精神の声も聞こえない。
ショックだったか、そんなに」
黙れ。
そう言いたかった。
でも、その気力の全てを根こそぎ殺がれてしまっていて、できそうもなかった。
「話が逸れてしまったな。
要は何が言いたいのかと言うと、私は第四世代を殺す気は基本的にないということだ。
私が殺すのは薄汚い第三世代だけだ」
「……」
「協力しろとは言わん。だが邪魔はするな。
その時の命は保障できない」
「……」
「じっくりと、考えておくといい。
自分の身の振り方をな」
気がつくと。
あの男の姿は何処にもなかった。
鏡界も解除されていた。
後に残されたのは、殺人者を前にして、何も言えず、何も出来なかった、僕だけだった。
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