16 非日常な食事とカルネアデスの板と自らを捨てる決意

「さあ、どうぞ。美味しくなるようにはしてみたけど」

 

 暫し後、僕・伏世ふくせゆうはお盆からスパゲティ二人分を置いてから、切那せつなさんの向かいの席に座った。

 ちなみに今朝、僕が殴り割ってしまった方に、である。


 それはともかく。

 いつもの風景にいつもと違う何かがある、誰かがいるというのは思っていたよりもずっと新鮮な光景だった。

 普段はこんな時間に家にいない――学園にいる事を思うと尚更だ。

 まあ、彼女の落ち着いた物腰は、この和室と合うのかもしれないが。

 

 少し前に切那さんを引き連れて自宅に戻った僕は、兄さんがいないことに安堵しつつ手早く調理した。

 いつもは調理の手つきが遅い僕だが、待たせている以上急がねば、と自分でも驚くほど手早く済ませる事ができた。


 その間、切那さんはというと、僕らがいつも食事を取る和室で待ってもらっていた。

 彼女は特に何をするわけでもなくただ黙って座っていたようだ。


 テレビとかはあまり見ないのだろうか。

 彼女がテレビとかを見る姿はあまり想像できないものがあるけど。


 そんな事を考えていると、切那さんがポソリと呟いた。


「……味次第では、すごいことになるわ」

「……………………」


 冗談だと思いたかったが――彼女のこだわりを知っている以上、冗談じゃ済まされないのは必至なのかもしれない。

 ついでに言えば、ミートソーススパゲティを作るのは初めてではなかったが、数えたほどしか、しかもまだ作り方を覚えたわけではないので本を片手にやったので不安は募る。


 思わず息を呑んでいる間に、切那さんがフォークを取る。

 そして、手際よく一口分を巻き取って、持ち上げる。

 それを見守る僕は知らず汗が滲み出ていた。


 そんな僕の視線などどうでもいいのだろう。

 切那さんは何の迷いもなくあっさりとそれを口に入れた。


「…………」

「…………」


 モクモクモク……と彼女はじっくりと頬張った。

 なんというか、ハムスターを思わせる食し方だと思う。

 愛嬌があって可愛いというか……そんな事を考えている間に、彼女は一口分を呑みこんでしまった。


 感想を聞きたいような聞きたくないような……そんな迷いが間を作る。

 そんな、刹那のようなそれでいて数時間のような時の流れを破ったのは、切那さんだった。


「……パスタ、ちょっと固め」

「ぐはっ……」


 思わず声が出てしまった。

 YOU LOSE……そんな文字が頭を駆け回る。

 YOU LOSEってゲームでは良く出るけど本当はYOU LOSTじゃないかなって思います。

 などと余計な事まで考えてしまうほどに、僕は焦りまくってます。


 ううう、やばいのか、僕。

 思い浮かぶ限りのありとあらゆる残酷シーンが頭を過ぎる。


 ――――と、そこに彼女は一言付け加えた。


「でも、おいしい」

「へ?」

「おいしい」


 もう一度、そう呟いて、彼女は食事を再開した。


 ついていけず、しばしそれをただ眺めていた僕も切那さんがおいしそうに食べるので、遅ればせながらフォークを取った。

 味見をしたはずのそれは、さっきよりもおいしいような……そんな気がした。

 ――確かにちょっと固めだけど。



「ごちそうさま」

「はい、おそまつさまでした」


 律儀に手を合わせてそういう切那さんに微笑ましいものを感じながら、僕は言った。

 少し多めに作ったはずのスパゲティは見事なまでに綺麗さっぱり無くなっていた。


「…………あ」


 外を見て、僕は思わず声を漏らした。

 いつの間にか曇天が空を覆い、パラパラと雨が降っていた。

 買い物をしていた時は雲が多くなってきたな、ぐらいだったのに……梅雨時はこういうことがよくあるとは言え、なんだか少し憂鬱になる。


 これから、話す事を思うと尚更だ。


「――はいどうぞ」

「……ん。ありがとう」


 彼女は軽く会釈して、僕が注いだ緑茶の入った湯飲みを受け取った。

 この和室にはポットが備え付けられていて、いつでもこの場でお茶が飲める。

 お茶を注ぐのに台所にわざわざ行く事を億劫がった母さんが買ってきたものだ。


 僕はお茶を一口含んでから、味わって飲んだ。

 それが喉を通り越す感覚を確認して、息を吐く。


 こんなにも心の準備が必要とは思えないのに、そうしてしまう。

 そんな自分に戸惑いながら、ようやっと僕は口を開いた。


「じゃあ、そろそろ……訊きたい事、訊いていいかな」


 その一言を、お茶を飲むように吟味して、彼女は頷いた。


「……その前に。

 改めて、自己紹介する」


 いつの、まにか。

 彼女は今の今まで何処に持っていたのかも分からない刀を取り出していた。


 それだけで。

 この部屋の、空気が。

 海底に沈んだように息苦しく、凄まじく重いものに変わった。


「私は、境乃さかいの切那きりな

 第四世代に対抗する第三世代の組織、カルネアデスの板に所属する、第四世代への殺人機構。

 その任務は危険と判断された第四世代を最優先に殺し、最終的に全ての第四世代を滅ぼす事。

 言うなれば、今の人類の防衛システムであり、子供を殺す親。

 そして――――あなたを殺す女」

「……っ」


 フィクションの世界で、よく、気圧されるという言葉を耳にする。

 その言葉の意味を、今、この時。

 はじめて、理解したような気がした。


 ……鞘から抜いてもいない刀を喉元に突きつけられる感触。[


 これが、殺気。


 そして、それは間違いなく僕に叩きつけられていた。


 今、その気になれば。

 この瞬間、即座に彼女は僕を殺す事ができる……それを確信出来た。


 ――――――――それなら。


 もう、どうやっても殺されるというのなら。


「……ま……ってほしい」

「………」

「僕を、殺すのは…………構わない」


 圧倒的な死の気配に押し潰されながら。

 それでも、僕は言わなければならない事があった。


「どういうこと?」


 殺気を緩めないままで、彼女は問うた。


 僕はぐっと手を握り、その圧迫に耐えた。

 ともすれば、今にも吐いてしまいそうだ――いや、例えそうなったとしても、言葉にしなくてはならない事がある。

 そうして、決意を固めた上で、僕は文字通りの意味で必死に口を開いた。


「僕は……多分どうあっても君に殺される。今の君を見れば、そのぐらい、分かる。

 だからその時は――君が僕を殺す時は、抵抗しない。

 その代わり、僕を殺すのは、もう少し待って欲しい。

 せめて……この街で起こってる事件を、終わらせたい」

「……あなたが?

 完全に第四世代になったようだけど、事件を起こしているのはあなたの仲間なのよ」

「仲間なんかじゃ……ないっ……」


 精一杯の力を込めて、僕は叫んだ。

 掠れ声のそれは、叫びだなんてとても言えない――それでも、それは僕の叫びだった。


 切那さんは、そんな僕を静かに見詰めていた。

 そして、僕はそんな彼女を半ば睨みつけるように見据えていた。[


「人殺しが、仲間なわけないだろ……っ」

「でも、第四世代は――」

「疑似群体だって言うんだろ――?

 それが、なんだって、言うんだ……

 僕は……僕は、伏世ふくせゆうだ……!

 世代がどうこう以前に、それが先なんだ………!」

「……」

「僕に、事件を解決できるなんて思ってない………

 でも、事件の終わりは、しっかりと見届けなくちゃいけないんだ………見届けたいんだ……!

 僕に出来る事は、全部やり遂げたいんだ――!」


 そうでないと。

 僕が"見殺し"にしてしまったあの人が報われない。申し訳が立たない。

 勝手な思い込みかもしれないが、そう思う。


 そうしてあの場所から一歩も進めないのは嫌だった。

 例え一歩進んだ先に死が待っていたとしても――――少しでも僕に出来る何かを探して、為し遂げる為に、僕は進みたいんだ。


「だから、切那さん、その時まで……君に協力させて欲しい………

 犯人を殺す、なんてのは認められないけど……その時の事は、その時だ――まず、犯人を捕まえなくちゃ………!


 そして、何より……これ以上、誰かが殺されるなんて、嫌だ。

 だから。


「だから、お願いだ……!!

 もう少しだけ、僕が生きる事を許してほしい――!」


 言いたい事を言い切った僕は、切那さんに土下座した。

 もう、それしかできることはなかった。


 圧倒的な気配に締め付けられ押し潰される中、僕はただ頭を下げ続けた。

 次の瞬間には殺されて、それさえも出来なくなるのだとしても、そうする事しか僕には出来なかった――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る