8 自己憎悪と決意と意外な『出会い』
「う……」
窓の……カーテンの隙間から差し込む光。
それが突き刺さるように視界に入った。
その痛さを避けようと僕・
ボーっとした頭で携帯を手繰り寄せて時刻を確認する。
――いつのまにか、夜が明けてしまっていた。
それどころか、信じられないほどの遅刻だ。
「……」
それなのに。
たかがそんな事でしかない、と思う自分がそこにいた。
ただ少し気になるのは、何故兄さんが起こしもしなかったのか、ぐらいなのだが……。
「まあ、それもどうでもいいか……」
のろのろと立ち上がった僕は、そのテンポのままでとりあえず制服に着替える。
着替えを終えて階下に下りても、人の気配はしない。
兄さんは何処かに出掛けた様だ。
正直、この場に兄さんがいないのはありがたい。
居間でもぐもぐと適当にパンを頬張りながら新聞を読んだ。
いつもどおり四コマを読んで。
いつもどおりテレビ欄を見て。
そしていつもどおりに紙面を流し読む。
「……」
地元の記事が乗る欄の約半分を占める割合で、それは載っていた。
この近くの路地裏で、バラバラ死体が発見された、という、その記事。
所持品から、被害者は近所に住む主婦だという事が判明。
一緒にいたと思しき彼女の子供については所在不明らしく、現在も捜索が行われているらしい。
「……」
考えるまでもない。
これは、あの場所、あの時の。
「――――――ああああっ!!」
拳を打ち付けた食卓の一部が簡単にはぜ割れた。
いくら材質が木材とはいえ、それなりに頑丈なはずなのに。
……その力が否が応でも昨日の事を思い起こさせる。
「……くそっ!!」
怒りが、憎しみが、情けなさが、恥ずかしさが、申し訳なさが、呪いが――――そんな感情の全てがただ心の中で渦巻く。
「く……そっ!!」
どうでもいいなんてはずはない。
人が、死んでいた。
自分の目の前で。
なのに、僕は。
あの人の死を、伝える事さえせずに。
臆病さから
――――――――――――――――――――我が身可愛さだけで、あの場から逃げ出した……!!
そして。
今この時でさえも、なんでもなかったように振る舞おうとしていた。
全てに目を伏せて、見なかったふりで日常を始めようとさえ――――――――
「最低だ……」
心の奥底から、吐き気がした。
……こんな自分ではありたくなかった。
僕は、別に大きな理想を掲げているわけじゃない。
ただ、今の生活を自分なりに楽しくゆっくりと暮らしていたい……そう思っているだけだ。
いや、だけ『だった』。
人間誰だって自分に多少なりともの不満がある。
容姿の事だったり、性格の事だったり……それは人それぞれだと思う。
僕だって、そうだ。
どちらかと言えば弱気な性格は嫌だし、大人びて見えると言えば聞こえはいいけど少し老けて見える容姿も好ましくはなかった。
でも、それらは生まれ持ったものだから仕方ないし、最近は自分なりにそれに折り合いをつけられるようになったと思う。
だけど。
昨日の自分は、どうあっても許せない。
絶対に……絶対に容認出来ない。
自分が化け物かもしれないとか、そんな事ではなく。
人の死から逃げ出すような心根を許すわけには行かない。
こんな自分のままで"今の生活"はきっと送れない。
それが自分勝手で、自己満足でも。
何かやらなければ、何かを変えなくちゃ、僕は僕を許せない。
事件の解決なんかできないのは分かっている。
犯人を捕まえるとかも、漫画の読みすぎにしか思えない。
僕に出来るのは、殺された人の冥福を祈る事……しかないのかもしれない。
でも。
だからといって、ここで何もしないこと。しようともしないこと。
それこそ、本当の最悪だ。
だから――――僕は、立ち上がった。
「……行こう」
僕は玄関先で自分を蹴り飛ばすように一人呟いて歩き出した。
目的地は、昨日の場所――人が死んでいた、あの路地。
……学園をサボるのは後ろめたかったけど、このまま行っても、きっと全てが上の空で何の意味もない。
あの場所に行っても警察や野次馬がいるばかりで何も出来ず無意味かもしれないけれど――――それでも、学園に行くよりは意味があるのだと信じたかった。
空は昨日と同じで青空が広がっていた……が、それも午前中までらしい。
午後からは雨が降るというテレビの予報を信じて、僕はいつもの傘を家から持ち出していた。
「……降りそうじゃないけど……梅雨だしな」
青空から視線を落とした僕は、路地に辿り着くまで昨日の事をもう一度思い返してみる事にした。
何か自分の出来る事を手繰り寄せる、その為に。
昨日、あそこに来た時……まず感じたのは、違和感。
何に対する違和感なのか……それは分からない。
そもそも、あの場所そのものに違和感を感じるようなものはなかったはずだ。
だとすると、僕の勘違いかもしれない……と、言いたいのだが。
あの時、感じた違和感から派生した出来事。
それらは決して夢や幻ではない。
それを思うと、あの違和感にも何か意味があるような気がしてならない。
……しかし、いくら考えても、その違和感の正体は掴めそうにない。
数字の概念を理解できない者が数学をやろうとするようなもの、と言えるのかもしれない。
『――――』
瞬間、頭の中にノイズめいたものが走ったような気がした。
だけど、ほんの一瞬の事だったので立ち眩みか何かだろう――――そう考えて僕は思考をへと再び埋没する。
ひとまず違和感は置いておくとして……一番の問題を考える事にしよう。
すなわち。
あの殺人を行ったのは、誰なのか。
新聞に書いてあった事件の概要から、昨日の事も近頃起こっている事件と同じ犯人だと僕は思っている。
――――最近起こっている連続殺人に共通している奇妙な事。
それは、事件の起こった場所が人気のない場所ではなく、むしろ人の眼が何処にでもありそう場所だという事。
時間帯も、殆ど深夜などではなく――深夜切那さんを見かけた、あの日以外――日中が多い。
昨日の事件も、人が多いとは言えないが住宅街のど真ん中で夕方頃行われている。
だが、にもかかわらず目撃者はいないし、何故か発見さえも遅れている。
やはりというべきなのか、それも昨日の出来事と符合する。
……第一発見者である僕が逃げ出した事が、申し訳ないし、悔やまれてならない。
だがしかしだ。
昨日、僕は誰かが通りかかったから……逃げ出した、のだが、その誰かが悲鳴を上げたりする事はなかった。
あれだけ明かな殺人が行われていたにもかかわらず、だ。
奇妙な事だけど、それもとりあえずさておく。
……それらの原理はともかくとして、昨日の現場に居た者達を思い浮かべる。
あの場にいたのは――僕と、あの白いコートの男と、
現場に居たから犯人だ、とは簡単に断定は出来ないが……仮に、あの二人のどちらかがそうだとする。
その上であくまで客観的に考えるのであれば。
「……はあ……」
自分の考えに嫌気がさしつつも、認めざるを得ない。
あの場で明らかに凶器を持っていたのは境乃切那だけだった。
しかも、僕とあの男を殺そうとした……のかもしれない。
往生際が悪いのかもしれないが、その事実を僕は信じたくはない。
彼女、切那さんの事を、僕は信じたかったからだ。
だが今は客観的に物事を推察するため、その気持ちは横に置かなければならない。
悔しいし、辛い、けど。
ともかく。
その二点……現場にいて凶器を持っていたというだけでも……認めたくはないが……かなり怪しい。
だけど、これだけでは明確な証拠にはならない。
では、あの男が犯人なのか。
これも、確たる証拠はない。
おまけに、男が着ていた白いコートには赤い染み一つついてはいなかった。
あの男が犯人だとすると、あれだけの惨殺を行っておいて返り血ひとつないと言うのは奇妙だ。
……だが、それが逆に自分が犯人ではないとアピールするための何かしらのトリックなのかもしれない。
誰も見ていないのだからアピールする意味もないと言えばそうなのだが。
そもそも、あの男は素手だった。
仮にナイフか何かを隠し持っていたとして、あそこまで死体をバラバラにできるものなのだろうか?
いや、相手は化物なのかもしれないのだ。
素手で引き千切って……いや、鋭利な刃物の代わりになるようなものを持っていたのかもしれない。
――考えれば考えるほど、わけがわからなくなってくる。
と、自分なりに思考を煮詰めている間も足を動かし続けているうちに、いつのまにか"そこ"に辿り着いていた。
「思ってたとおりか……」
そこに広がる光景を見て僕は思わずぼやいた。
事件があった辺りを警察が調べているらしいが……その周辺を近所の人や、報道関係の人が限界ギリギリまで詰めかけていて、とても現場を調べられるような状態ではなかった。
「……どうしたもんかな」
警察に、自分が本当の第一発見者だとでも言おうか?
そうすれば、この中には入れるかもしれない……って駄目だ。
それだと警察に拘束される可能性が極めて高い。
今更犯人扱いが怖いとかいうつもりはないし、逃げ出してしまった手前そうなっても仕方ないけど、そうなって何も出来なくなっては本末転倒だ。
警察に僕が見た全てを伝えるのは最後の手段として(見たものが見たものなので信用してもらえない可能性も高いし)。
何もできなくても、とは思ってはいたが実際何も出来なくてもやはり困る。
「ええい……考えてても仕方ないか……」
最前列にいければ何かわかるかもしれないし……最悪、現場に一番近い場所で冥福を祈る事だけはできるだろう。
僕は意を決して、人ごみの中に自分の身を投げ入れた。
押し合い圧し合いの果てに、へろへろになりながら、僕はどうにか最前列に立つことが出来た。
そこにはドラマか何かでよく見る、現場を封鎖するテープが張られていた。
その上、警察の方々も捜査を進めつつも油断なくこちらの様子を窺っている。
これでは――さすがにどうしようも、ない。
ならばせめて、今は殺された人のために祈ろう……そうしようとした時だった。
『………様子………い………………れ……………か』
突然、頭の中に途切れ途切れの声が響いた。
それはノイズが走っているように、最初は不鮮明だったが、徐々にクリアに聞こえ始めた。
完全にノイズが消えると、はっきりとした声で『それ』は告げた。
『この中の様子を御覧になりたいのでしたら、遠慮なくそうすればよろしいじゃないですか』
「……誰だ……?」
辺りを見回すが、それらしい事を言った人はいないようだ。
誰もが事件の現場に集中していて、僕の事など気にも留めてはいない。
だが、そう思考しながらも僕には分かっていた。
さっきの"声"は僕の中にのみ届いて、響いたものだ。
しかも、何処かで聞いた覚えのある声だった。
それらの事実をはっきりと認識した時。
「……!……」
昨日、ここで感じたものと全く同じ違和感が僕を包んだ。
それと同時に。
警察が張ったロープをひょいっと越えていく人がいた。
それは、見慣れた学園の制服姿。
そして、それを着ている人も、よく見知った人だった。
彼女は……理科部部長にして学園の生徒会長、
だが、僕はそれどころではなかった。
いや、部長が僕に笑いかけてくれるのは大変嬉しいのだが……彼女がとんでもない事をやらかしてくれているので、声が出ない。
「……っ!……!!」
彼女に身振り手振りで"まずい、まずいって"と伝えようとするのだが、部長は意にも介さないで、微笑みを浮かべたまま――
「っ――?!」
近くに立っていた制服姿の警察官のホルスターから拳銃を引き抜いた。
そしてそれを弄ぶように持ち上げたり構えたり、あまつさえ持ち主たる警官に銃口を向けもした。
だというのに――誰も、それを咎めるような事をしない。
いや、そもそもにして。
誰も、彼女を、認識していない……………?
『その通りです。
ここにいる人たち……わたくしの鏡界のなかにいる方々はわたくしを認識していません。
あなたを除いて、ですけどね』
再びその、内からの声が響く。
聞き覚えがあったそれが部長の声であることを、僕はここではっきりと確信した。
その部長は、さっきの拳銃を警官に返して、ぽん、とその肩を叩いた。
だが、その警官は辺りを見回すばかりで、すぐ横に居る部長が見えていなかった。
『正確に言えば、認識できないなんですが……まあ、それもおいおい説明しましょう』
一体、何がどうなっているのか。
そんな僕の疑問に微かに笑いを含んだ"声"で部長は応える。
『ここではなんですし、場所を変えてお答えしますよ、伏世くん。
まあ、なにはともあれ……』
そこで部長は微笑を浮かべたまま、ゆっくりと僕に歩み寄り、封鎖テープの直前で立ち止まって――告げた。
「わたくしたちの世界へようこそ。新たな同胞さん」
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