6 振り下ろされる刃と激情と変わらない彼女

「セツナ、さん……?」


 僕・伏世ふくせゆうは、何とはなしに呟いていた。

 自分が見ているものが夢か現かを確かめるように。


「……」


 彼女は――――境乃さかい切那きりなは、切那せつなさんは応えない。

 彼女は無言のまま、佇んでいたその場を……この辺り一帯、同じ様に群れる家の屋根を蹴って地面に降り立った。


 と同時に。

 彼女は持っていたトンファーの形状をした刀を袈裟懸けに振り下ろした。


 そこには、彼女が斬る様なものは何一つない。


 当たり前だ。

 その動作は斬るものではなく、生み出すものなのだから。

 刀から放たれる、あの真空の刃を。


 凄まじい速さの一撃、その軌道は一直線。

 標的はあの男でもあり、僕でもある――――?!


「っ!!?」


 不可視の刃が当たるギリギリで僕はそれを半身ずらして回避する。

 先程と同じ『身体の感覚』は正確で、見えない刃すら空気の揺らぎで認識できていたからこそ可能な事だった。


 僕の遥か後方に立つ男も、当然のようにさもくだらなさそうに肩を竦めてそれを避けた。

 その挙動に込めた感情のまま、呆れた様子で男は言った。


「……ふん。

 察するに、彼は貴様の知り合いなのだろう?

 それを情けも容赦もなく殺そうとするとは、さすがは殺し屋といった所か」

「な――?!」


 殺し屋? 殺す? 切那さんが? 僕を?


 ……ありえない。

 だって彼女は言ってくれたじゃないか。


 気をつけて、と。

 そう言って、僕を心配してくれたはずじゃないか。


 そう思いながらも反面で、まるで逆の事も僕の頭を過ぎっていた。

 でも、なら、さっきの攻撃は、どうして、と。


 信用、希望、困惑、混乱、動揺、疑問、疑念――――様々な感情で思考を撹拌されながら、僕は切那さんを見詰めた。


 だけど、彼女は僕を見ていなかった。

 いや、何かを見ているようにさえ見えなかった。

 ただ虚ろに、そこにあるものを遠目から眺めているような……そんな眼。


 ――――それは、普段の彼女そのものじゃないだろうか。


 いや、違う、そんなはずはない。きっと違う。

 根拠はないけど、違うはずだと僕は頭をブンブンと横に振った。

 浮かび上がった黒い疑念を、不安を振り払うように。


 そして、そのまま僕は必死にその男の言葉を否定しようと言葉を搾り出した。


「出鱈目だ……出鱈目に、決まってる………!」

「出鱈目かどうかは、君とて認識できたはずだ。

 さっきの攻撃は紛れもなく、君も狙っていただろう?」


 微かな僕の呟きを聞き取った男は、哀れだな、と否定した。

 僅かに嘲笑染みたその言葉が僕の中の何かを激しく揺さぶった。

 

 それは――怒り、なのだろうか。

 僕自身正体の分からない、ただ激しい感情のうねり――――僕は、それをそのまま、ただ感情のままに吐き出していた。

 そうせずにはいられなかった。


「黙れ……っ!

 彼女の事を、切那せつなさんの事を、知りもしないくせに……!!」


 僕が彼女の事を口にした瞬間、仮面の奥の眼が一瞬瞬いた、ような気がした。

 だけど、僕がそれについて考える間もなく男は言った。


「忠告だ。その女に近付くな。

 というより、今すぐにでも逃げた方がいい。

 これは君が俺達の同胞だからこそのアドバイスであり、心遣いだ」

「黙れって……言ってるんだ!!」


 胸の底から湧き上がる熱い何かが抑えきれないままに僕の中で駆け回る。

 そうして叫びでもしなければ、あの男を殴ってしまいそうだった。

 男はそんな僕の姿を、まるで小動物か何かを見ているような、ペットを可愛がるような――それでいて、その実見下しているようなそんな眼で見ていた。


「やれやれ。見た目に惑わされるとは――青春とは悲しいな。

 まあ、じきに君も自覚するさ。

 君は、未来を担う新世代の一人で、そんな女とは相容れるはずのない人間だという事を」


 そう言い残した後、男は信じられないほどの跳躍力で屋根の上に飛び上がり、人間離れした身体能力をもってあっという間に僕の視界から消え去っていった。


 僕はそれをただ呆然と見ていたが、やがてやるべき事があったことに気付き、振り返った――――彼女と、向き合うために。


「切那さん……」


 彼女はさっきまでの表情を崩さないままにこっちを、いや、こっちの方にある虚空を見ていた。

 僕自身をまるで認識しようとしていない眼だった。


 そんな彼女の認識をこちらに向けようと、僕は叫んだ。


「切那さん……ッ!!

 嘘だよね……さっきのあいつの言ったことなんかみんな嘘だよね……?!」


 それでも、切那さんは反応らしい反応を僕へと返してはくれなかった。

 トンファーの形状をした刀を太腿の鞘に収め、背を向ける。


「切那さ……」

「だから」


 この場所に来て初めての彼女の言葉が、なおも呼び掛けようとした僕の言葉を遮った。


「……だから、気をつけてって、言ったのに」


 淡々とした口調でそう呟いて彼女は何処かへ……男が消え去っていった方向へと去って行った。

 あの男と同等か、それ以上の身体能力で。


 追いたかった。

 その背中を追いかけたかった。


 でも、何故か――どうしても、出来なかった。


 切那さんの背中が、あまりにも。

 あまりにも遠く――――そして小さく見えたから。


 最早負う事が無理だという理性的な判断なのか。

 あるいは――――その距離ゆえの小ささが、僕に錯覚を起こさせたからか。

 追ってしまえば、簡単に彼女を踏みにじってしまうような、そんな錯覚を。


 いや、本当はもっと違っていて。 

 それらを理由に、から目を背けて、逃げようとしているからなのか。

 

 本当の所さえ分からず、僕はただ立ち尽くした。


 そうして……切那さんを追う事が、できなかった――――。

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