5 外れた道と外れた男と――――二度目の出会い

 僕・伏世ふくせゆうが、家路の最中いつもとはささやかに違う――それだけであるはずの道に足を踏み入れた……その時だった。


「え――?! う、うぅぅ…………?!」


 何かが、違っていた。

 何かがなんなのかは分からない……いや、分かる……?


 このおかしな感覚は、これに近しい感覚は、いつかどこかで感じたような気がした。

 それもつい最近に――そう、これは……一昨日の夜切那さんを見かけた、あの時に。


「くぅ――あぁっ――――」


 一昨日の夜と同じ違和感――――それは間違いない。だけど。

 その感覚の強弱・大小、そういったものが一昨日よりも一段と強くなっている……?


「ぐ、ぅっ……なんだ、これぇっ――?」


 例えるのなら――そう、例えるのであれば……

 夜ではあり得ない輝きを浴びて、悪夢めいたまどろみの狭間を漂っている――――そんな奇妙な違和感が全てを覆い隠しているような感覚だ。


 起きる必要はない――――そもそも夜なのだから。

 だけど、それでも起きなければ違和感の正体を確かめられない。

 幸いカーテンは横になっていても届く。

 キッチリと閉じて光を完全に遮ってしまえば、心穏やかに眠る事が出来るだろう。


 でも、起きるのも悪くはないのかもしれない。

 今すぐこのカーテンを開け放ってしまえば、気持ちよく目覚める事が出来るだろう。

 例えそれが真夜中なのだとしても。


 どうするべきか――僕は自分自身に問い掛けた。


 このカーテンの向こう側にあるものがなんなのかは分からない。

 さっきまで戻ろうとしていた日常いつもから遠ざかるものなのか、あるいは戻る為のものなのか。


 日常いつもに戻る為の踏み入れた道での、この不可思議な感触。

 そもそもそんな道に進もうと思ったのが間違いなのかどうか――――それさえ分からなくなっていく。


 本当は――僕は何を望んでいるんだろうか。


 日常いつもに戻る事そのもの?

 それとも――日常いつもから遠ざかっていくような切那さんに伸ばす手?


 分からない分からない分からない分からない。


 答の出ない困惑と混乱で、思考の渦に呑み込まれていく。

 もういっそ、カーテンを完全に閉じて、全てに目を背けてしまえばいいんじゃ―――― 

 



『ふーくんがあそこで立ち止まっていてくれてたから、私、あの子を助けてあげられた――――』




 いいんじゃないかと結論付けようとしたその時、不意に――昨日の、迷子を送り届けた際の出来事が、切那さんの姿が、言葉が脳裏に過ぎった。


 あの時、僕は何も出来なかったと思うけれど。

 それでも、目を逸らす事はしなかった。

 足を動かす事は出来なかったけど――それぐらいは出来た。


 切那さんの言うように、立ち止まる逃げない事でささやかにでも何かを変えられたのなら。


 そう、だからせめて。


 今そこにあるモノから目を背ける事だけは……したくない。したくない――――!!





 そんな衝動に突き動かされて。

 僕は……眩しさに目を眩ませながら……カーテンを――ひらいた。





 …………あふれた。カーテンの向こう側から。


 暗黒から降り注ぐ、圧倒的な光の、情報の、世界の奔流。

 凄まじい何かが僕の頭の中へと押し寄せて、駆け巡る……!


「う……ああ……おおおあああ………っ」


 恐ろしく膨大な何かを直接目の当たりにした事で、声にならない声、叫びにはなれない叫びが口から零れ出る。

 そんな圧倒的な何かに晒されているけれど、不思議な事に痛みはない。


 だけど僕は頭を抑えずにはいられなかった。

 自分が、他でもな自分自身が書き換えられていく。

 "伏世憂"の何かが変わっていく。

 変化していくソレは、中身なのか表層なのか両方なのか、あるいは全てなのか。

 程度も、範囲も、限界も、まるで、まるでまるで何もかもが分からない。


 そんな表現する事さえ困難な感覚に支配された中、僕はソレを止める術を探した。

 自分でカーテンを開く事を選択しておいて、実に無様で滑稽だ――そう思いながらも僕は不格好に掻きむしる様に辺りを手探った。閉ざす為のカーテンを掴もうと必死になって。


 でも、ソレは最早できない。叶わない。不可能だ。

 何故なら開け放ったカーテンはすでに何処かへと消え果ていた。



 "もう後戻りは出来ないんだよ"


 "後悔したってしょうがないですよ"


 "大丈夫だって、死にはしないから"



 奇妙な感覚にのた打ち回る中、誰かの声が何処からか――いや、至る所から、四方八方から、何処かしこからか、世界中から聞こえてくる。



 ”――――――”


 ”――――――――――――――――――”


 ”――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――”


 声の数は徐々に増えていき、正確に認識出来ないほどにまで増大・増殖・拡大していく。

 そして、今の僕にはそれが夢か、現か、幻かの判別さえままならない。

 僕はただ降り注がれる光に焦がされ焼かれ続けた。

 痛みはない。ないはずなのに。

 僕の全てが膨張して、遂には破裂しそうになり――――――

 

「うああ……うううおおおああああああああああああああああ……ああぁぁ………あ……あああ…………あ、れ?」


 いつからだったのか、ハッキリとした事は分からない。

 ただ……全てが、少しずつ、収まっていくのを僕は感じていた。


 唐突な光にも、眼はやがて順応するように。

 あれほど頭を騒がせていた複数の声も少しずつ少しずつ沈黙していき――――――いつしか完全に消え果てていた。


 そこに残ったのは――――――いつもとは違う道の真ん中で、呆然と佇む僕だけだった。


「……なんだ……ったんだ……?」


 よく分からない。

 さっきまでの違和感が消えたわけではない。


 でも、何故だろう?

 今はこの辺り一帯がとても澄み渡っているように感じる。

 でも、その感覚と相反するように世界が狭まった――圧縮されたような……。


「……気の、せいかな」


 そう呟いた、その瞬間。

 そんな事など考えてられない事態がすぐ迫っている事に僕は


 ドクンッ、と心臓が脈打ち、頭蓋に、そして身体に稲妻が走ったかのような感覚と共に力が満ちていく。


 "空気流動変化強"

 "過去認識の記憶にない何かが急速接近"

 "接触の場合生命活動に支障"

 "回避推奨"


 そして、そんなが全身に響き渡った。

 実際にそんな声が聞こえたわけじゃない。

 ただ僕のカラダがそういう認識をして即座の対処を命じていた。


 それは熱いものを手で触れた時熱いと感じるような、当たり前の感覚。

 その感覚がそう告げていたんだ。


 だから、僕は"生命活動に支障"がある"何か"を横に飛んで避けた。


「……へ?」


 直後、ふわっと、身体が浮き上がった。

 正確には、そう感じるほどの浮遊感が全身を覆っている、ような気がした。

 それゆえの間抜けな声が僕の口から思わず零れていた。


 そうして、さっきまで僕がいたその場所を通り過ぎていく何か……液体と思しき何か……を眼で追いかけながら回避し――勢い余って全身で壁に激突した。


「――っつ?! ……って、あれ……?」


 身体が、軽い。

 さっきの壁との衝突は、自分の体が軽すぎて跳躍しすぎてしまった……らしい。

 というか結構派手に激突したのに、あまり身体が痛くない――?


 そうして、僕が正体不明の出来事の群れに戸惑っていると――。


「避けた、という事は、……やはり、そうか」


 ――僕のものではない、別の誰かの声が突然に聞こえてきた。


 今度は幻聴じゃないようだ。

 そう認識した僕は謎の声の方向……先程僕の方に飛ばされた何かしらの大本だろう方向へと視線を向けた。


 そこには、もう夏時だというのに白い冬物のコートを着込んだ人物が立っていた。

 声や背格好から男だという事は分かる――正確に言えば、それぐらいしか情報が掴めなかった。

 その顔は真っ白い、目の部分だけに穴が開いた仮面に覆われている。

 そして、何故なのか―――男の肩には一匹の白猫が乗っていて、こちらを静かに見据えていた。


「……?」


 何か、違和感を感じた。いや今も感じている……?

 よく分からないが、何かがおかしい。


 分かる範囲で言えば――男との距離は、数日前の深夜切那さんの姿を遠くに見かけた時程に離れているのに、その男の姿が克明に見える。

 彼の纏う服の皴や、肩に乗っている猫の髭の数も確認できるほどに……見え過ぎている。

 僕はこんなにも視力が高くなかったはずだ――そろそろメガネを買おうかと検討しているぐらいの低めの視力だったはずなのに。


 いや、そもそもにしてだ。


 

 道の先にあれだけ目立つ風貌の男がいるのなら嫌でも目に入るはずだ。

 少なくとも、こちらの路地に入るまでには誰も僕の視界には映っていなかった。

 だけど、あの男は今、確かにそこに立っている――不可解でしかなかった。

 それと、他にも、何かがあるような……。


「戸惑っているな。それもそうだろう。まだ"目覚めた"ばかりなのだからな」


 そうして僕が思考に囚われている中、夕陽に照らされた赤い道に立つ男が口を開いた。

 周辺を見渡すけど、他に誰かがいるわけでもない。

 つまり、その言葉はどうやら――


「僕に、言っているのか……?」


 僕の言葉に、男は、ふふふ、と鼻につく笑いを浮かべた。

 偉そう、という意味では道杖くんに近いけど、彼とは違って男の笑みには不快感しか感じられなかった。


「この"鏡界"には俺と君、あとは愚かな殺し屋しかいない。

 仮に他に何かが存在していても俺達と同じ『第四世代』でないと認識はできない。

 そして、今の俺が旧世代の、初対面の人間に親しげに話しかけるはずはない。

 だから俺が話し掛けているのは、君だ」

「――――」


 男が何を言っているのか、僕にはまるで理解出来なかった。

 何処か芝居がかった言葉調子もあって、妄想とか中二病に囚われてる人なのかも、とは思いはした。


 だけど

 僕の感覚が――全力でそうではないと警戒を呼び掛けていた。

 だけど、頭が警戒を命じても、身体はどうすればいいのか分からずにいる。

 そうして戸惑う僕に対し、男は肩を竦めてみせた。


「――どうやら、たまたま迷い込んで目覚めたばかりのようだな。

 同じ『第四世代』のよしみだし、丁寧に説明するのはやぶさかじゃないが――」


 そこまで呟くと、男は突然に空を睨みつけて、息を吐いて大きくバックステップした。 

 直後、数瞬前まで男の立っていた地面に皹が――いや、切断の傷痕が刻まれる。


 この辺りの地面はアスファルト。

 仮に刀か何かの刃物を叩きつけた所でそうそう簡単に深い傷がつくはずはない。

 下手をすれば叩きつけた刃物の方が壊れるなりするはずだ。


 にもかかわらず。

 地面に刻まれた傷は、恐ろしく深く鮮やかなものだった。

 漫画に出てくる達人や超人が行っているような、綺麗な切断の痕跡――常識の枠をはみ出している……?


 "真空状の刃プラス未知の効果"


 僕の思考を肯定するように、僕のカラダがまたしてもそう認識……いや分析していた。


 いや、待て。

 僕は何を冷静に分析してるんだ――?


 目の前で繰り出されたこの現象は――地面だから傷ついた、破損したで済んでいる。

 だけど、こんなものがもし生き物に、人間に当たったら――大怪我で済むどころか、一撃で死を与えかねない。


 そんなモノをどうして僕は淡々と――困惑こそ多少あれど――見極めようとしているんだろう。


 いや、そもそもの所。

 こんな危険な現象をヒトへとぶつけようとしたのは一体何者なんだ。

 思考の果てに、分析が示したその"不可視の刃"が解き放たれた方向……上空を、僕は振り返った。




 ――――――――――――――――――――――そこに、いた。




 赤く染まり始めた空を背に。

 その手にトンファーに近い形状の刀を握り締めて。

 黒いライダースーツのような『鎧』で全身を覆い。

 時折吹く風に、その三つ編みを揺らせて。


 そこに……僕が見慣れた風景の一角に"彼女"は立っていた。


 境乃さかいの切那きりながそこにいた。

 そして、、感情の色が薄い表情で……静かにこちらを見下ろしていた――――。

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