4 巡る不安と否定と―――最初にして最後の一歩

「う……」


 目が覚めると、光が僕・伏世ふくせゆうの部屋を満たしていた。

 窓もカーテンも開けっ放し。

 どうやら、昨日は漫画を読みっぱなしのまま眠ってしまっていたようだった。


 そうして昨日の事をなんとなく思い返す。

 ――なんというか、切那せつなさんの事ばかりの一日だったような気がする。


 朝から切那さんが殺人事件に巻き込まれてないか心配――その時は気付かなかったけど――で、

 昼にどうにか話せて僕の罪悪感以外は解決して。


 それから放課後は、迷子の子供を切那さんと一緒に交番に連れて行って――僕的には切那さんが連れて行ったって認識だけど――。


 その後は家に帰って、普通に過ごしていた――つもりだった。


 だけど、どうにも、ずっと――色々な事が頭を過ぎっていた。

 切那さんのこと、殺人事件のこと、なんというか――それらがよく分からないまま絡み合って、消化できていないような。


 それというのも、後からある事に気付いたからだ。


 僕は昨日切那さんの無事を本人に確認した。

 だけど、それには及ばないまでも重要な事柄の確認を行っていなかった。


 それは、、ということ。


 僕はあの瞬間、夜の闇の中にいたのが切那さんである事を確信していた。

 その上で尋ねた訳だけど、それについて切那さんは明確な解答をしていなかった。 


 単純に答え損ねていたのか――――それても、あえて触れなかったのか。


 僕の確信はさておい、切那さんがあそこにいた事をハッキリさせなかった事に気付き、気になってしまったのだ。


 そこからは思考が只管にグルグルと回っていた。

 切那さんの無事、切那さんの真実本当、殺された人がいるのに切那さんの事ばかり気になる罪悪感、

 想像以上に殺人事件が自分の身近で起こっていた事への驚きと僅かな怯え――――。


 それらがあまりに続くものだから、気を逸らそうと漫画を開くも、それでもままならず――――今に至る。


「――なんだかなぁ」


 切那さんを信じたくて問い掛けて――結局疑う事になっている自分が滑稽で情けなかった。

 切那さんの人柄は――これまでのやりとりや迷子の子供を助けた事で、少しは知っているはずなのに。


 そんな自分に溜息を吐きながら携帯で時刻を確認する。

 時刻的にはまだ完全なアウトではなかったけれど、朝食を取っていたらかなり厳しい、そんな時間だった。


「朝食抜きの上、高速で準備しないと」


 自業自得なので誰の所為にもできない。

 昨日放り出したままの制服を着込んで、大慌てで家を出る。


 だけど、頭の中はまだ完全に切り替えが出来ていなかった。

 

 いつものように歩く通学路――だけど、そこは本当にいつもの、なんだろうか。

 僕が通る道を、殺人事件の犯人も歩いているのかもしれない――どころか、今すぐ近くにいるのかもしれない。


 少し前まで、僕は日常に退屈していた。

 そんな日々に綻びを作ろうとして選んだ道で――切那さんに出会った。

 でも僕が望んでいたのは、そういうささやかな出会いぐらいであって――――誰かが死んだり殺されたりを望んでいたわけじゃない。望むはずなんかない。

 そうして非日常の加減を望む事は自分勝手なんだろうか――。

 

 そんな雲が空を覆うような、ぼんやりとした思考を続けていたからか。


「おっと……」

「うぅっ!?」


 学園に到着、急いで教室に向かう中、まともに誰かと衝突してしまった。


「す、すみません」

「あ、いえ、その、こちらこそ」


 そう答えた人は何処か頼りなげな男性だった。


 先生、なのだろうか?

 でもこんな先生ってこの学園にいただろうか……?


 と、疑問を浮かべた瞬間思い出す。

 確か教育実習生がこの学校にきていた筈だ。

 この先生の若い風貌から察せられる年齢は丁度そのぐらいに思える。


「それでは急ぎますので、これで」

「あ、はい、すみませんでした」


 頭を下げた”先生”は向かうべき場所へと小走りで駆けていった。

 こうしてはいられないと僕も同じ様に頭を下げて、その身を翻して、自分の教室へ向かう。


 どうにか朝のホームルームには間に合ったけれど、僕の心は曇天を引きずり続けていた――。




 そうして、思考に囚われていると時間というものはあっという間に流れていくもので。

 いつしか教室備えかけの壁掛け時計は放課後を指し示していた。


 そうして昨日を引きずったままだったので、今日は切那さんとは挨拶を少し交わした程度だった。

 正直、今は合わせる顔がないに近しい状態だったので、その方が良かったのかもしれない――。


「む、伏世。

 今日は理科部には行かないのか?」


 そんな中かけられた声に横をちらりと見やると、道杖くんがそこに立っていた。

 ちなみに、彼も一応理科部員である……幽霊部員ではあるが。

 そのせいで、僕は道杖くんが理科部に入っていた事をつい最近まで知らなかった。


 それはともかく。


「ん……」


 いつもなら落ち込んだ時は鈴歌迂月部長の顔を見れば元気になれる。

 部長に会う時間は、そして理科部で皆と過ごす時間はそういう空間だった。


 だから今日こそうってつけ――なんだけど。


「今日は……行かない事にするよ」


 なんとなく、今日は行けないというか行き辛いというか、そんな気持ちになっていた。

 辛気臭い顔を他ならぬ部長には見せたくなかった。


「そうか、珍しいな。伏世は理科部が生きがいのように見えていたが」

「――あはは、そこまでのつもりはないけど」

「…………ふむ。何かあったのか?」

「え?」


 少し神妙な表情で問い掛ける道杖くんに半端な言葉を返すと、彼は言った。


「今もそうだが、ずっと今日は色々なキレが悪かったからな」

「そうなの?」

「そうだな」

「……いや、その、ちょっと、昨日から考えてる事が頭を離れなくてね。

 心配かけてたらごめん」

「心配はしてないが、愉快なやりとりが出来ないのは困るからな」

「――それはそうだね」


 なんだかんだ、僕は道杖くんとの他愛ないやり取りを楽しんでいた。

 きっと道杖くんもそうだろう。

 だからそれが出来ないのは困る――ただただ納得できる言葉だと思った。

 

 そう考える事で、僕は自分の負のスパイラルがよろしくない事を改めて理解した。

 ここらで断ち切らないとね――切那さんにも申し訳ないし。


「ごめんごめん、今日まででどうにか切り替えてみるよ」


 だから僕はあえて明るく言葉にする事で、思考の切り替えを強く意識した。

 それに道杖くんも乗ってくれたようで、彼はニヤリといつもの偉そうな笑みを浮かべてくれた。 


「ああ、そうしておけ」

「お詫びにゲーム一回ぐらいは奢るからゲーセンに行かない?」

「うむ。

 昨今ゲームセンターの売り上げは芳しくないと聴くからな。

 都会らしい都会ならまだしも、この街では数少ない娯楽場所、売上貢献するのはやぶさかじゃないが――すまんが野暮用があってな。

 暫しここに留まらなければならない。ゲーセンは次の機会にしよう」

「用事なら仕方ないね。わかった、んじゃまたの機会に」

「うむ、またな」


 残念だけど用事があるなら仕方ないだろう。

 申し訳なさを感じながら軽く手を上げて道杖くんと別れる。


 教室を出た辺りで、御礼を言いそびれた事に気付くが――。


「……また今度でいいか」


 今改めて告げるのは照れ臭く、僕は明日へとその機会をずらす事にして、足を進めていった。



 


 そうして、学園を出た後、一人ぼんやりと進んでいく家路。

 昨日の下校時間よりも早いからか、空はまだ赤みがかっているかいないか、くらいだった。

 商店街の近くの住宅街……その、張り巡らされた道の中の一つを僕は歩いていく。


 その道は、本当に昨日と同じ、いつも歩いている道そのままなんだろうか?

 僕は今日、今、この時――日常いつもを生きているんだろうか?


「――――はぁ」


 無理矢理に断ち切った思考が頭の隅でこびり付いている消化不良感。

 それを誤魔化すように打ち消すように頭を横に振って、その上で僕は上書きするよう思考を巡らせていく。


 確かに、この道は昨日とは違っていて、いつもの道じゃないかもしれない。


 でも、そんな事はありふれた事だ。

 殺人事件云々関係なく、ありふれている事なんだ。


 たくさんの日常の積み重ねの中で形成される『日常いつも』なんて、ささやかな出来事で簡単に『日常いつも』から遠ざかる。


 例えば、野良猫が通りかかったり。

 例えば、道端に見知らぬ花が咲いていたり。

 例えば、思わぬ人と出会ったり。


 それから――そう、例えば。

 

 僕が行くこの道を一つ外れると、そこには別の誰かの道がある。

 それは別の誰かにとっては日常だけど、僕にとっては非日常だ。

 そして、その逆もまた然り。


 日常と、非日常。

 その違いはたったそれだけの、ささやかな違う道を一つ選ぶ事からはじまるのかもしれない。

 たったそれだけで僕達は日常いつもとは遠ざかる――だけど、それもまた大きな日常いつもの中にある、ちょっとした非日常でしかない。


 今、目の前にある別れ道を、いつもと違う方向に進んだとしても――そこにあるのは、結局は『ちょっとした非日常』という名の日常なんだ。


 実際違う道をあえて選んだとしても、かなりの遠回りになるけど途中から横道に逸れれば家に帰る事はできる。

 そう、非日常から日常に戻る事なんか簡単なんだ。


「うん、簡単な事なんだよ」


 ずっと言い聞かせるように頭の中で考えていた事を、より強く言い聞かせるようにあえて声に出して呟く。

 呑み込み切れずにいる感覚を消す為に、望まない非日常を消す為に、僕は決意した。


 いまここにある別れ道は奇しくもあの雨の朝、切那さんに初めて出会った道だ。

 そう、殺人事件なんかとは違う――ささやかで、素敵な……日常の延長線上にある、ちょっとした非日常そのもの。


 あの日そこから学園に、日常に戻ったように、今日もここを通って日常に帰れば良いだけの事。


 そうして。

 僕はいつもとはささやかに違う――それだけであるはずの道に足を踏み入れた。






 ――それこそが、明確に日常から足を踏み外す、最初にして最後の一歩だと知る由もなく。

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