3 戸惑いと真意と未だ見えないもの
「……それで?」
話を聞くために誘った学園の食堂、その片隅の席。
昨日と同じミートソーススパゲティをあっという間に平らげて、向かいに座る彼女・
僕・
「ああ、そうだった」
彼女の僅かな声のトーンの違いでそれを察して、僕は頷いた。
忘れていたわけでなく様子を窺ってこちらからと思っていたので、切那さんから切り出されて虚を突かれてしまった。
このまま聴けずにいたら本末転倒だと思っていたので、渡りに船、ありがたたかった。
まだ僕の昼食である牛丼は、丼半分ほど残っていたが――時間はある。
この質問を済ませてから食べても十分に間に合うだろう。
「えと、聞きたい事っていうのは……
昨日の夜遅く、この近くで殺人事件があったのは知ってる?」
回りくどく言っても仕方ないし、彼女が気付かないという可能性もある。
……言っちゃ何だけど、切那さんは少し天然ボケっぽい所があるような気がするし。
だから、僕は単刀直入に尋ねる事にしたのである。
そうして声に出した疑問に対し、彼女は首を縦に振って、頷いた。
「そう、なんだ。それで……昨日、なんだけど」
そこで言葉に詰まって、開けっ放しの喉が渇いていくのを僕は感じていた。
昨日の、あそこにいた誰かの姿と、今ここにいる彼女の姿が頭の中でダブる。
昨日確かにアレが彼女だと僕は確信していた。
だというのに今この瞬間は、それが嘘である事を、夢幻である事を半ば願っていた。
アレが彼女であろうとなかろうと事件に関わっていたのかさえ分からないのに。
「昨日の、夜遅く、なんだけど」
何処が単刀直入だ。全然訊けていないじゃないか。
分かっていても、躊躇いを覚えている自分を僕は確かに意識していた。
何も言わないまま、こちらを眺めている切那さんの視線がその感覚を強め、僕は焦っていく。
そして、その不格好な焦りを形にするまいと言葉を失っていく。
かと言ってずっとこのままでいる訳にはいかない
僅かに下唇を噛み締めて、僕は最後の意を決し――一気に思いを言葉にしていった。
「僕は、君を見かけたような気がするんだけど……
その、事件のあった場所の近くで――――だから、その……」
さあ、言え――!
「大丈夫、だった?」
――えっ?
直後、僕は自分が言った言葉に自分で驚いてしまっていた。
「……………何が?」
当然言われた切那さんにも何の事か分かるはずもなく、彼女は微かに眉をひそめていた。
だけど、驚きの後――逆に僕自身は納得していた。
思うままに吐き出した言葉と。
不思議そうな……感情のある――紛れもなく生きている彼女の顔を見る事で。
今までの自分の勘違いと、本当は何を思っていたのか、を。
とどのつまり。
僕は切那さんが犯人とか事件と何の関係があるかじゃなくて。
「その、切那さんが事件に巻き込まれて怪我とかしてなかったかな、って」
ただそれが心配で、その是非を本人の口から確かめたかっただけなんだ、と。
――――なんて非論理的なんだろう。
そんなこと、彼女の姿を見たときに確認できていたのに。
――――なんて恥ずかしくて情が薄い奴なんだろう。
人が殺されているというのに、その事よりも彼女の事を強く考えてしまっていた。
そんな気持ちの重ね合わせで、僕は言葉を失って、恥ずかしさや情けなさもあり顔を俯かせた。
その瞬間その拍子に、案の定というべきか先程からの表情を変えることなくただ、ぼうっ、とこっちを見詰めていた切那さんの表情が見えた。
ひょっとしたら呆れられてしまったかもしれないけど、そうなっても何も言えない僕は視線を下に向け、泳がせる事しかできなかった。
そんな沈黙の中……ややあって、彼女は"ああ"と納得の息を洩らした。
「……ええ、大丈夫。怪我はしていないから。私は見てのとおり健康無事そのもの」
その声を――話を聞かなければという思考を理由に僕は顔を上げた。そんな自分がつくづく嫌になる。
そんな僕の内面を知る由もない切那さんは答えた後、何処か少し困ったような表情を浮かべていた。
「あ、うん……それなら、いいんだ」
僕はその表情に気付きながら何も問えなかった。
一番気にかかっていた事を尋ねる事が出来たので、これ以上は訊きたくない訊かなくてもいい、そんな気持ちになっていた。
――――殺された人への申し訳なさが、そうさせていた。
……結局、その後は事件については触れる事無く、当り障りの無い話をしているうちに時間が過ぎていった。
「ごめんね、時間を潰しちゃって」
食事を終えた後の、予鈴前の僅かな時間。
その間に教室への足を進めながら、振り返りつつ僕は言った。
後ろを歩く切那さんは三つ編みの先をいじっていた手を一時だけ休め、こちらを一瞥して言った。
「特にする事もなかったから」
だから気にしないで、という事なのだろうか?
それだけ答えると、ただ無表情に僕の横を歩いていた。
食堂と僕らの教室はそこそこ距離があるはずなのだが、そんなやり取りをしているうちに僕達はいつのまにか教室に辿り着いていた。
なんとなく、口から溜息が洩れる。
結局何だったのだろう。
それは昨日の事であり今現在進行形の、この時間の事だった。
当初の疑問こそ解決できたけれど、モヤモヤとした曇天の心は晴らす事が出来ないまま。
自分の恥ずかしさとか情けなさばかりが勝手に浮き彫りになったような、そんな気がする。
「ふーくん」
二回目の溜息を小さく洩らしたその時、切那さんの声が微かに響いた。
「ん?」
溜息の余韻も何処へやらバッと振り向くと、そこには真剣に僕の顔を見詰めてる切那さんがいた。
彼女の顔はあまりに凛々しくて綺麗で――――胸が、詰まった。
「―――え、えっと、何か……」
余計な事でもしましたでしょうか、などと変な文章を脳内で組み立てつつも言葉にならず声を失う。
切那さんは、そんな僕の間抜けな様子を特に気にした風も無く、思わず惹かれる表情のままで言った。
「ありがとう。
……それから、貴方も気をつけて」
それを告げた後、切那さんはそれ以上の言葉を放つ事なく、僕の横をすり抜けて自分の席に歩いていった。
取り残された僕は茫然としたまま思考を脳裏に巡らせていた。
『ありがとう』
……何に対してなのか、よく分からない――僕が心配した事になのだろうか?
だとすればそちらは分かる――でも。
『気をつけて』
こちらは、ただ心配してくれている事からの言葉なんだろうか?
それとも――何かを知っているがゆえの言葉なんだろうか?
答えは出せない。今の所は出しようがない。
ただそれでも……今、切那さんに何も起こっていないのなら、よかった。
――殺されてしまった人には、すごく申し訳ないけれど。
「……ハァ」
安堵の息か、自分への呆れの息か。
僕自身よく分からない息を吐いてから、僕もまた自分の席へと戻っていった――。
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