2 朝と事件と信じたい気持ち

……窓から差し込む光。ってことは、朝か。


「ふあ……」


 枕元の、目覚ましのアラームを設定していた携帯をほとんど意識せずに引き寄せて、時刻を見た。

 目覚ましの針はセットした時刻よりも2分前を指していた。

 ……出来れば二度寝したい所だが、ここで二度寝しようものなら遅刻は確定だろう。


 というか、眠気こそあるがそもそもそんな気分でもない。

 諦めた僕はむっくりと身を起こした。


 朝を告げる小鳥のさえずりなどという風流なものは聞こえてこないが、爽やかな朝だった。

 だが、残念な事に僕自身はあまり爽やかではない。


 原因は何かというと、まあはっきりってしまえば寝不足だ。

 夜遅くまで宿題をやっていた事もさることながら……やはり彼女の、切那せつなさんの事が気に掛かっていたのが一番の理由だった。

 何故あんな遅くにあんな所にいたのだろう?


 ……そんなのは決まっている。

 彼女なりの理由があってそこにいた。

 そして、僕にそれを詮索する権利はない。


 わかっている。

 わかっているんだけど――


「気になるものは気になるんだよな」


 口からこぼれ出た溜息がただ部屋に浸透して行った……。


 気分が乗らないままにのろのろと制服に着替え、僕は階下に降りて居間に向かった。




 テーブル……と言うとこの和室には合わないので今は食卓とでもしておこう……には、いつものように兄さんが簡単に準備した朝食が並んでいた。

 今日は徹ゲーでうたたねした上寝坊でもしたのか、トーストと崩れた目玉焼きのツーセット・簡単メニューだった。


「……」


 その兄さんは虚ろな目で機械的に……[l]いやゾンビ的にトーストを口に運んでいた。


「兄さん、今日仕事は?」


 ギ・ギ・ギと顔を上げて兄貴はパクパクと口を動かした。


「なんでゲーム疲れで声が出なくなるか知らないけど……ないんだよね?」


 ……というか首を振ればいいと思うのだが。

 その事に気付いたのか、それに対する返事は首の縦振りだった。


 それに呆れつつも僕は朝食の片手間に……テレビを見る事にした。


「兄さん、チャンネル変えるぞ」


 兄さんはその言葉に反応しなかったので、僕はそれを肯定と受け取った。

 ……まあ、多分眠りと現実の境界をふらついてて返事どころじゃないんだろうなぁ。


 ともかく、パ、パ、パとチャンネルを変えていく。|

 この時間帯の番組は基本ニュースぐらいしかないのだが、同じニュースでも番組の雰囲気が違う。


 結局僕はいつも見る、割とお気に入りのニュース番組へとチャンネルを変えた。

いわゆるメディア総合系の番組だが、通常ニュースもなんとなくだが見る気にさせてくれるので朝はこれを見るのが基本である。


『……ただいま臨時ニュースが入りました。

 この間より立て続けに起こっている、同一犯のものと思われる殺人事件が再び起こったとのことです』


「……っ」

 

 思わず息を呑む。

 その女性キャスターの言葉を聞いて、またか、と僕は思った。|

 くだらないことを、とも。


 ここ最近身近で起こっている殺人事件があった。

 犯人像の特定さえもままならない、老若男女関係ない、無差別殺人。


 手口らしい手口はない。

 分かっているのは、ただ、凄惨な殺し方をしているということ。

 それと、ある少し奇妙な事実が一つあるだけだった。


 ……吐き気がする。


 僕には殺人犯の心境は理解できないし、理解したくはない。

 殺人に至る理由は何かしらあるんだろうけど……意味を理解してやっているのだろうかといつも疑問に思っていた。


 人の活動を停止させるという事の意味を。

 月並みだろうがなんだろうが、死んでしまえば、もう二度と動く事は叶わない。

 夢も、希望も、楽しみにしていた様々な事も、抱えた罪の清算も、その人の全てが霧散してしまう。


 自分がその危機になれば拒否するだろうくせに、人……他人にはそれを為す事ができる。

 それが、僕には解せない。


 人は、気付かないままに自分がされて嫌な事を人に強要する事がある。


 気付かなければしょうがない、とは言わない。

 でも、後からだとしても気付きさえすれば謝罪も出来るし反省も出来る――――死なない限りは。


 だが、いくらなんでも殺人は……少なくとも衝動的でないものは……"どうあってもやってはならないもの"のだと分かるはずなのに。


 そんな僕の思考を、画面の中の女性キャスターの一言が一撃で霧散させた。


『今回の事件が行われたのは昨晩深夜の……』


 その女性キャスターは事件のあった場所を語った。

 そしてそれはあまりにも馴染みのある場所で、僕は耳を疑った。


「……ここの、すぐ近くじゃないか……!」


 しかも、犯行が行われたと思しき時間は――深夜。

 深夜、すぐ近くにいた彼女……その姿が脳裏に走る。


 馬鹿らしい。心からそう思っている。

 なのに……何故、こんなにも、焦燥が胸を駆け巡っているのだろう――


「……ごちそうさま」


 それでも、朝食を平らげてから僕は席を立った。

 時間を確認する余裕はなかったし、その必要もなかった。


「……行って来るよ、兄さん」

「……………………? ――ああ、行って来い」


 寝ぼけていても、ちゃんとそれに応えてくれる兄さんに少し心を和ませてもらって、僕は家を出た。




 そこには、昨日の朝とはうって変わった青空が広がっていた。

 でも……今の僕には、それが何かの皮肉に思えて仕方なかった――。


 今日も普通の通学路を通って、僕は学校に到着した。

 いつもどおり、を装っているつもりだが、周囲にどう見えるかは分からない。


 少なくとも、内心は多少なりともグシャグシャだった。


 ――切那さんにに会った時、僕はどうするんだろうか?

 考えたくない事だからなのか、自分の事なのに他人事のように考えてしまう。

  

 そんな自分に呆れながら改めて考える。

 切那さんに会ったら――昨日あった殺人事件と関係ある?とでも聞けばいいのだろうか……正直、改めたのに考えはまとまらなかった。

 靴を履き替えて、教室へと向かう。


 そんな事を考えながら廊下を歩いていたせいか、僕は不注意にも人とぶつかってしまった。


「あ、すみません」

「いえいえ……あ、伏世ふくせくんじゃないですか。

 おはようございます」

「え……? ……って部長……」


 そこで僕は、自分がぶつかってしまった人が理科部部長・鈴歌すずか迂月うつきさんだと気付いた。


「あ、その……おはようございます。

 ぶつかってしまってすみません」

「いいんですよ」


 にっこりと部長は微笑んだ。

 それに思わずホンワカしかけた僕だったが今はなんとなくそういう気分にはなりたくなかった。


「あ、すみません、今は急ぐので……失礼します」

「え? あ、はい、また理科部で――」


 首を傾げる部長を置いて、僕は心苦しく思いながらも教室へと急いだ。

 到着直後、教室の戸を開くのにさえ思わず力が入ってしまったが……些事としておこう。


「おはようさん、伏世」

「伏世、おはようー」

「……うん、おはよ……」


 僕はそれを生返事気味に――そうするつもりはなかったので胸が少し痛んだ――返しつつ、自身の席に着いた。

 振り返ってみるが……まだ彼女は来ていない様だ。


 ……安心する様な、逆に落ち着かない様な。


「来て早々彼女の席を注視とはな」

「――なに、その含みのある言葉」


 声のした方に振り向くと案の定の東条君だった。

 彼は、フ、と鼻で笑っていそうな笑みを浮かべている。

 誤解が生まれそうだが、これが彼の普通の笑い方なのである。


「含みがあると思うのは、お前にその心当たりがあると言う事ではないかな?」

「……正論だね。んで、多分当たりだよ」

「ほう。だが、あまり良くない心当たりのようだな」

「分かる?」

「表情を見ればな。お前は顔に出してないつもりなのかもしれないが、な」


 そうなのだろうか?

 自分の顔を鏡で見たことはあっても、表情を見たことはあまりないから僕にはなんとも言えなかった。


 ……結局、朝のうちに彼女に話し掛ける事は出来なかった。


 彼女は遅刻ギリギリで教室に駆け込んできて、すぐさまHR,授業がはじまったからだ。

 今日に限って一時間目が担任の授業というのは僕はつくづく運が無いのかもしれない。

 その後の時間ごとの休み時間も、タイミングが悪いのか、それとも自分では気付かない何処かで躊躇いがあるのか……彼女に近づく事すらままならならなかった。


 ―――そして気付いたら昼休みになってしまっていた。


「……よし」


 僕は決意を声に出した。

 この時間ではっきりさせよう。


 正直、どう話しかけようかすら悩んでいるのに、何故こんなにもこの事を追究しようとしているのか、僕自身分からないのだけど。

 だけど――


「でもなあ……」


 一方でこれでいいのかと問いかける声があるのも確かだ。

 切那さんを信じたいのであれば、わざわざ追及するのはやめておくべきじゃないだろうか。


 本当の所を知りたいか知りたくないかで問われれば……無論知りたい。

 だが、その為に彼女を追い掛け回すのはあまり褒められない事だろう。


 ――――でも。


「……うーん――やっぱり、ちゃんと聞くべきだよな」


 あえて言葉にする事で決意を形にする。 

 やはり、ここはちゃんと聞いておいた方がいいと思う。

 

 切那さんと出会ってまだ少ししか経っていない。

 彼女との関係が続く以上、信じる信じないはこれから作り上げていくものじゃないだろうか。

 そのためにも、疑心に駆られないよう、ここで真実をしっかり彼女の口から聞くべきだ。


 今度こそ決意を固めた僕は席を立ち、教室を出て行こうとする彼女に呼びかけた。


「……切那さん」

「ふーくん。なに?」[p][cm]


 今まで話しかけられなかった時間が嘘のように、あっさりと彼女は立ち止まり、振り返った。

 切那さんの顔は昨日と変わらない。

 変わらないその顔を見ていると、胸の焦燥が少し消えていくのを感じられた。


 だから、今この時だけは迷いも焦りもなく言う事が出来た。


「訊きたい事があるんだけど……昼ご飯おごるからちょっと時間をくれないかな」


 彼女はその言葉に視線を虚空に漂わせた。

 思考時間に入ったようだ。


 それから約一分後。

 彼女は質問込みで昼食を共にする事を同意してくれた――――。

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