5 作り事の意味と彼女の救い

(うーむ、困った――)


 最近物騒なので、境乃さかいの切那きりなさんこと切那せつなさんを自宅に送るべく一緒に歩いているわけなのですが。

 

 正直、話題が思いつきません。

 これが友達とかなら簡単なバカ話を展開できるんだけど――実際、少し前までいた女友達というか幼馴染にはできていたし。


 でも切那さんとはこれから親しくなっていきたいわけで、つまり今まさに距離感調節の機会なのである。


 ゆえに心遣いのない、迂闊な事を口にしたくはないんだけど……どこまでどう踏み込んでいいやら加減が分からなかったり。


「切那さんって、どんな事が好き?」


 なので無難な会話デッキに頼る僕――すみません、トークは苦手なのです。

 唐突だったのが仇となって、切那さんは案の定と言うべきか、不思議そうな顔をして、尋ね返してきた。


「好きなこと?」

「う。いや、あの」


 微かに小首を傾げる姿がかわいくハマっていて、ちょっと動揺。

 それでも、どうにか言葉を搾り出す。


「その……僕は漫画とか読んだりするの好きなんだよ。

 うちの兄さんはゲーム狂いだし。

 まあ、要するに時間を忘れるほどに夢中になれる事、かな」

「……そのぐらいわかるけど。ただ質問を確認しただけ」


 半眼の切那さんがそう言った瞬間、ごぉっ、と何かが解き放たれた。

 漫画的表現で言えば気迫による重圧感プレッシャーというモノだろうか。

 気のせいか、目がキュピーンッと光っているようにさえ思える。


「……ぅぉぅ。いや、ソノデスネ。

 決して切那さんの察しが悪いとは言っておりませんので、はい」

「……そう。

 好きなこと、か。

 うーん。……食べる事は好き。特にミートスパ。

 あと寝るのも好き。いつの間にか時間経ってるし」


 指折り数えて呟く切那さん。

 いや、それは可愛いのですが。


「あー、いや、それは何か違うと思うけど」

「……冗談よ」

「はひ」


 またしてもプレッシャーが撒き散らされ、僕は本能で身を縮こませた。

 切那さん、ちょっと突っ込んだだけでプレッシャーを解き放つのはやめてください。


 しかし、それはそれとして。

 こういう切那さんを見るのは、はじめて、だと思う。


 なんというか、少し気を許してくれたのかな、と嬉しくなる。

 新鮮でいいとも思うけれど……それはそれとしてプレッシャースゴイコワイデス。


「ふむ。

 ふーくん、漫画、好きなんだ」


 そうして僕が怯えまくる中、ポソリ、と切那さんが呟いた。

 少しは興味を持ってくれたのか、話題に乗ってきてくれた事が嬉しくて、僕は力の限り頷く。


「うんうん。好きなんだ、漫画。

 特に好きなのは戦う奴かな」

「……戦う?」

「主人公が自分の信念とか、好きな女の子とかのために戦う。

 どんなに辛くても、痛くても、悲しくても『負けない』。

 まあ、男子としてはそういうのに憧れたりするんだよ」


 少し照れくさくて頭を少し掻きながらの言葉。

 すると切那さんは、少しだけ首を傾げる様な、顔を俯かせる様な……疑問とも思考とも取れない仕草を見せた後に、口を開いた。


「……そう。

 でも、本当の戦いなんてそんなかっこいいものじゃない」

「そう、かな?」

「うん。もっと重いもの」

 

 意外な反応に、僕は内心驚いていた。

 喜んで話に乗ってくる、なんて思わなかったけど、こんなに真剣に返してくれるとは、違う意味で思わなかった。


 だからこそ、僕も真剣に考えてから言葉を口にする。


「……うん。そうだね。本当は、そうだと思う。

 人が傷つけ合うのは軽い事じゃないって読む人は皆分かってると思う。

 本当にそんな事をしたりされたりするのは誰だって嫌だから。

 でも、だからこそ、物語の中ではそういう風に描けるし、描くんだと思う」

フィクション絵空事だから?」

「まあ、そうなんだけど」


 ストレートな答に思わず苦笑してしまう。

 ……でも、その切那さんの答は僕的には少し違っていた。


「フィクションって言うより……うーん、強いて言葉にするなら、夢、かな。

 勿論、人が傷つけ合う事そのものが夢ってわけじゃなくて、漫画とかで描かれるかっこいいもの、かわいいものとか、そういうの全般の事。

 なんというか――この世界じゃ、100%自分の思い通りになる事なんて、悔しいけど殆どないよね」

「うん、それは確かに」

「だからって、それに従う義理は僕たちには無いと思うんだ。

 たくさんの創作物は、そういう事を簡単にはカタチにできない僕らの代わりなんだと思う。

 そのカタチがどんなものであれね。

 あくまで現実じゃない――物語だからこそ、だけど」

「……」


 切那さんは小さく頷きながら話を聞いてくれていた。

 その事が嬉しくて、僕は思わず熱を込めて言葉を続けていく。


「僕たちはそれを見て、こうありたい、こうなりたいって、”彼ら”と同じように頑張っていく。

 その為の頑張りの方法や結果を間違える事もあるかもしれないけど……そうして頑張れるって事には意味があると思う。

 ……僕としてはフィクションはそういうモノであってほしい。

 だから、それはフィクションって言うよりは、夢って言った方がなんかよくないかな、なんて」

「――」

「……思う訳です、うん。――」


 一息に言ってしまった後、若干冷静になって僕は顔が熱くなった。

 流れに乗ってしまったからって、妙に熱くて変な事を。


 でも……言葉にした事は、紛れもなく僕の本音だ。

 今更”今のは冗談”なんていうのは嫌だった。


 それはそれとして次の言葉が浮かばないんだけど――どうしましょう。


「――そうね」

「え?」


 そうして悩んでいると、切那さんが呟いた。

 彼女の言葉に反応して、色々考え込んで俯いてしまっていた顔を上げる。

 その切那さんはというと、目を伏せて悲しそうな……それでいて穏かな表情を浮かべていた。


「夢か。

 それなら、物語にも自分からは遠い世界にも意味はある。

 作り事の戦いにも、関われない世界にも価値が生まれる。

 そうして、今を頑張れる――うん、それっていいね」

「――うん、いいよね」


 なんというか。

 自分の根っこ部分、本音に頷いてくれた。

 そうでなくても、真剣に、真っ直ぐに話を聞いてくれた。

 切那さんがそうしてくれた事に、僕は胸を撃ち抜かれた思いだった。


 だからこそ、その後の僕は、特に口を開かなかった。


 別に話を続けても、話を変えても良かったんだろうけど。

 不慣れな話題作りよりも、今は何も言わない方がいいような――そんな気がしたから。


 ……そうやってぼんやりと歩いているうちに。


「ふーくん、ここ」


 僕らは彼女が住んでいるというアパートに着いた。

 少し古い感じのするアパートだが、その分、家賃が安かったりするのだろう。

 そこは学園のすぐ近くで、すぐ横に視線を向けると、ゆるやかな坂の向こう側に校舎が見えた。


「学園、すぐ近くだね」

「うん。だから、少しは長く眠っていられる」


 冗談とも本音ともつかない事を……いや、うん多分、本音だろうなぁ。

 眠るのが好きって言ってたし、心なしか目が輝いてるし。


「じゃあ、ここまでで。

 ふーくん、ありがとう。おかげで楽になった」

「……?

 いや、まあ、なんだかわからないけど、どういたしまして」


 正直自爆気味な自分語りになってしまっていたと思うのだけど――それが何かしら切那さんの役になっていたら嬉しい事だ。

 ――実感がないので、ちょっと生返事になってしまったけど。


「……ん」


 僕の返事に、切那さんは小さく頷いてから背を向けて歩き出す――かと思うと、顔だけを僕の方に向けた。

 そして、真っ直ぐに僕を見据えて言った。


「ふーくん、何か困った事があったらここに来て。

 私に出来る事があれば、やるから。

 ……別に用事がなくてもいいけど」

「え?」

「今日の御礼。それじゃふーくん。また……明日」

「あ、ああ、うん――またね」


 切那さんはもう一度頷いて、今度こそ自分の家へと入っていった。


 僕はというと、しばしの間、彼女が消えた場所を眺めてしまっていた。

 そうして切那さんの言葉の意味を考えてしまっていた。

 ――言葉どおりだと分かっていたはずなのに、考えずにはいられなかった。


(いや、何やってんだ僕は)


 暫く棒立ちしていた自分が、客観的に見て良くない――ドストレートに言えば気持ち悪いものじゃないかと気づいて、僕は内心の突っ込みをきっかけに身体を動かした。


 そうしてアパートの敷地から出た矢先。

 少し離れた所から、アパートを眺めている――――見知らぬ男性がそこに立っていた……。

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