4 気まずさと境界線と帰り道

 切那きりなさんがもたらした魔法のような瞬間。

 僕・伏世ふくせゆうがその余韻を引きずったまま家に帰ると、テーブルの上にメモが置いてあった。

 兄さんからの伝言で、今日は友達の家に泊まる、とだけそこには書いてあった。


 なんとなく、一気に現実に戻ってきたような、そんな感覚があった。

 ふわふわとしていたらいつのまにか地面に降り立っていたというか。


 ――気持ちを切り替えるにはちょうど良かったかもしれない。

 放っておいたら、つい切那さんの事ばかり考えていそうなそんな気がしていたから。


 一人の女の子の事ばかりついつい頭に浮かんでしまう――それは。


(切那さんに申し訳ないというか、心苦しいというかだしね)


 浮かび上がった言葉を、別の言葉を心で呟く事で僕は霧散させた。

 それを認めていいものなのかどうか、分からなかった……怖かったのかもしれない。

 

 ともあれ、そうして思考を切り替えた僕は「じゃあ、御飯は少し遅めでもいいかな」とわざとらしく呟いて自分の部屋に向かった。

 そこで私服に着替えてから居間に降り、お茶を飲み飲みテレビを使って様々な動画を見て過ごした。

 ――だけど、どこか楽しめないでいる自分がいて。


 そこそこで切り上げた僕は、自室で漫画を広げた。

 今日買うつもりだった新刊は――なんとなく本屋に寄って帰る気分ではなくなり買い逃してしまっていた。

 なので、今日は別の漫画を読む事を時間を潰し……そうしているうちに僕は眠りに落ちていった――。




「う……」


 目が覚めると、光が僕の部屋を満たしていた。

 窓もカーテンも開けっ放し。

 どうやら、昨日はあのまま眠ってしまっていたようだった。


「……まずった、かな」


 呟きながら時計を見つめる。

 時刻的にはまだ完全なアウトではなかったけれど、朝食を取っていたら少し厳しい、そんなラインの時間だった。


「こりゃ今日は朝食抜きだなぁ――」


 自業自得なので誰の所為にもできない。

 昨日放り出したままの制服を着込んで、僕は朝食は取らず、というか取れず、慌てて家を出た。




 予鈴の音が鳴り響く。

 下駄箱で上履きに履き替え、僕は急いで廊下に出た。

 そこにはもう人の気配も姿も殆どない。


「おっと……」

「うわっっと」


 自分が思う以上に焦っていたのか、まともに誰かと衝突してしまった。


「す、すみません」

「あ、いえ、その、こちらこそ」


 そう答えた人は何処か頼りなげな男性だった。

 

 先生、なのだろうか?

 でもこんな先生ってこの学園にいただろうか……?


 と、疑問を浮かべた瞬間思い出す。

 確か教育実習生がこの学校にきていた筈だ。

 この先生の若い風貌から察せられる年齢は丁度そのぐらいに思える。


「それでは急ぎますので、これで」

「あ、はい、すみませんでした」


 頭を下げた”先生”は向かうべき場所へと小走りで駆けていった。

 こうしてはいられないと僕も同じ様に頭を下げて、その身を翻して、自分の教室へ向かった。


 朝食を犠牲にしたかいがあって、僕はどうにか朝のホームルームに無事間に合う事が出来たのだった。

 



 あっという間に時が流れて放課後。

 昨日の出来事の気恥ずかしさというか、そんな思いがあって、今日は切那さんとは挨拶を少し交わした程度だった。


 避けられている――わけじゃないよね、うん。


 そもそも別にケンカしたわけでもなし普通に話せばいい→でもなぁ、な思考を繰り返している内に日は傾いていた。

 なんか一日時間を損した気分である。


「む、伏世。

 今日は理科部には行かないのか?」


 そんな中かけられた声に横をちらりと見やると、道杖どうじょうくんがそこに立っていた。

 ちなみに、彼も一応理科部員である……幽霊部員ではあるが。


 そのせいで、僕は道杖くんが理科部に入っていた事をつい最近まで知らなかった。

 まあ、それはともかく。


「うーん、そうだな」


 いつもなら落ち込んだ時は鈴歌すずか迂月うつき部長の顔を見れば元気になれる。

 部長に会う時間は、そして理科部で皆と過ごす時間はそういう空間だった。


 ならば今日こそうってつけ――なんだけど。


「今日は……行かない事にするよ」


 なんとなく、今日は行けないというか行き辛いというか、そんな気持ちになっていた。


「そうか、珍しいな。伏世は理科部が生きがいのように見えていたが」

「いやいやいや、そこまでのつもりはないけど。

 そこに限りなく近い位楽しいのは事実だけどね。

 で、君は?

 特にないならゲーセンにでも寄ってかない?」


 道杖くんとゲーセンなら今に相応しい息抜きが出来るかも――なんとはなしにそう思って誘ってみる。

 すると、彼はうんうんと頷きつつ答えた。


「うむ。

 昨今ゲームセンターの売り上げは芳しくないと聴くからな。

 都会らしい都会ならまだしも、この街では数少ない娯楽場所、売上貢献するのはやぶさかじゃないが――すまんが野暮用があってな。

 暫しここに留まらなければならない。ゲーセンは次の機会にしよう」

「用事なら仕方ないね。わかった、んじゃまたの機会に」

「うむ、またな」


 なんとも残念ではあるがしょうがない。

 消化不良感を抱えつつ、軽く手を上げて彼と別れ、学園を出た。




 

 一人ぼんやりと進んでいく家路。

 昨日の下校時間よりも早いからか、空はまだ赤みがかっているかいないか、くらいだった。


 商店街の近くの住宅街……その、張り巡らされた道の中の一つを僕は歩いていく。


 何とも言えない気持ちを誤魔化すように、僕は暇潰しな思考を巡らせていた。


 ――僕が行くこの道を一つ外れると、そこには別の誰かの道がある。


 近くにあるはずのその道は、実は遠くにあるものだったりする……

 それが僕には不思議だったし、そしてそれ以上に胸が騒ぐよう思いを感じていた。


 日常と、非日常。

 その違いはたったそれだけの、違う道を一つ選ぶ事からはじまるのかもしれない。


 そう例えば。

 今、目の前にある別れ道を、いつもと違う方向に進むだけで。


 道杖くんの言葉が、頭をよぎった。


『普通人間というものは日常の枠から外れる事はない。

 例え時間の余裕があろうとも、自分自身でそうする事を選択するのにはそれなりの意思が必要になってくるからな』


 そして、この道は奇しくもあの雨の朝、切那さんに初めて出会った道だ。

 かなりの遠回りになるけど途中から横にそれたらこちらからでも帰る事はできる。


 今の消化不良感を紛らわせるにはちょうどいい道なのかもしれない――

   

「……なんてね」


 だけど、僕はその道を選ばなかった。


 そもそも、そんな簡単に非日常とは出会えないだろう。

 出会えたとしても、せいぜい”やっぱりそんな事は起こらないんだ”という事を知るだけの非日常に過ぎない。


 それに―――『今』の日常を変えるのは、なんとなく気が進まなかった。


「さて、帰るかな」


 そんな思いをあえて形にするように呟いて、僕はいつも通りの道へと戻っていく。

 僕にとっての日常への道を。




 ――ところが、そこに待ち受けていたものこそ非日常だったのだから、世の中というのはわからないものだ。





「……ん?」


 日常を選んだ事で少しは気分が紛れたのか、明日は理科部に行こうかな、などと他愛もない事を考えながら暫く歩いていると、普段は人通りの少ないその道を通る人影があった。


 向こうから歩いてくるその影は、僕が近付くにつれ鮮明になっていった。

 そして、それは意外な事に顔見知りだった。


「切那さん」

「……? あ、ふーくん」


 こうして真正面から向き合うと――なんだろうか、さっきまでの消化不良がなくなっていくようだった。

 もしかしたら僕は、避けられているのかも、と思っている以上に考えてしまっていて、おっかなびっくりになっていたのかもしれない。

 だからこうして向き合って――少なくとも足を止めてくれているのを目の当たりにして、安堵している、のだろうか。


「ふーくん?」


 足を止めているのにそれ以上言葉を紡がない僕を不審に思って、切那さんが問い掛けるようにあだ名を口にする。

 それだけで僕の心は――。


 いやいや、何を考えてるんだか。

 切那さんはクラスメートで友達。クラスメートで友達。


「あ、ごめんごめん」


 そうして言い聞かせて落ち着いて(?)くると、違和感に改めて気付く。


 違和感の正体は――切那さんの姿にあった。

 切那さんは私服なのだろうか、独特な服を着込んでいた。

 ライダースーツのような、動きやすそうな感じの服……いや、やっぱ”スーツ”そのものだ。

 さらに言えば、その”スーツ”の数箇所には何かの工具らしきものがぶら下がっている。


「切那さん、その格好は?」


 会話のきっかけとして丁度いい、と疑問を口にする。

 ありがとうよく分からない切那さんの姿――!と内心で礼を告げる僕であった。


「……何の事?」


 そんな疑問をすっとぼける切那さんに僕は……って、あれ?


「え?」


 そこに立つ切那さんは姿

 いや、さっきまでは制服じゃなかったはずで――先程の姿は僕の錯覚だったとでも言うのか……?


「???」

「どうかしたの?」

「あ、いや……ごめん、なんでもないんだ」

「……」


 納得はできなかったが、今現在ここにいる切那さんの姿が制服である以上、僕の勘違いか何かなのだろう。

 昨日漫画を読み過ぎたせいだろうか……そんな在り得ない事を考えながらも気を取り直して、僕は口を開いた。


「まあ、それはさておき……

 こんな所で会うなんて……なんかこっちの方に用事?」


 切那さんは少しだけ、ぼーっ、と虚空を見詰めてから、口を開いた。


「まあ、そんな所。終わらせてきたけど。

 ふーくんこそ、どうしてここに?」

「僕の家、この近くなんだ。

 …………。えっと、もし暇だったら少し寄っていく?

 お茶くらいなら出せるし、二人以上で遊べるゲームもいくつかあるけど」

「え?」


 少しの躊躇いの末、友達だったらこう言うよな、と口にした言葉に、切那さんは少し驚いたのか目を幾度か瞬かせた。


 そんなあまり見ない――というか初めての反応リアクションに僕は内心大いに狼狽した。


 いや、別に下心があるわけじゃなくて、ただ単に友達としてゆっくりと話ができたらいいなーって思っただけなんだけど……って、それが下心なのか?

 女の子相手だと、下心になるのか?

 まずかったんでしょうか?


 やはり取り消すべきなんだろうか?

 でも、友達であれそうでないであれ親しくなりたいって事に嘘はないしなぁ――うう、悩む。


 どうする、僕? どうするよ、僕!?


「いいいや、その、あのですね。

 嫌、ならいいんだけど、そのあの」


 内心では大騒ぎ状態だったが、表面上はその十分の一くらいになんとか抑える。

 そのつもりなのだが、実際にはどう映っていることやら……とほほ。


 そんな不安から、おずおずと切那さんの方を見やる。


「……ごめんなさい。私、帰らないといけないから」


 すると、狼狽えまくる僕に対し、あくまで静かに切那さんは告げた。


 それが本当に申し訳なさそうだったので、僕の中に、チクリ、と罪悪感のようなモノが浮かんだ。

 

 内心の混乱は、そんな切那さんの表情でなりを潜め……代わりに、少しでもそれをなんとかしたい気持ちが湧き上がってきた。

 その気持ちを形にするべく、僕はなんとか言葉を紡ぐ。


「ああ、気にしないで。切那さんの都合の方が大事だから。

 あ、そうだ……!

 それはそれとして、家に帰るなら送るよ」

「……?」

「いや、だから、女の子の一人歩きは危ないから。

 最近殺人事件とか起こってるらしいし」


 実際、近頃物騒なのは事実。

 しかも、今は日が落ちてきている。

 こういう状況であれば、切那さんを家まで送るのは当然に思えた。

 流石にこれに関しては切那さんと話す口実ではなく、安全優先の方が意味合いが強かった。


「どう、かな」

「ああ。そういうことなら、私一人でも……」


 少し考えて意図を把握したのか切那さんは何かを言い掛けて――途中で言葉を澱ませた。

 そこに生まれかけていたのは否定の言葉のようで、否応なく僕は緊張状態を維持させたまま、そのまま彼女の様子を見守った。


 そんな僕の様子に気付いているのかいないのか、切那さんは虚空を、ぽーっ、と見詰めてから口を開いた。


「……なら、お世話になってもいい?」

「え?」


 何処か遠慮がちな彼女の言葉。

 正直予想外な言葉だったのでまたも一瞬戸惑ってしまうが、その一瞬分を補うように僕は慌て気味にウンウン!と首を縦に振って答えた。


「うん、もちろん。

 こっちから言い出した事だしね」

「……ありがとう」


 その瞬間。

 基本的に無表情な切那さんの表情が、フワ……と、軽く微かに弛んだ。


 それはあまりにも短くて、錯覚にも思える。

 実際、錯覚なのかもしれない。

 それぐらい、刹那の瞬間だった。


 ……でも。


「……ふーくん」


 いつぞやのように、僕が呆けている内に切那さんは、少し先で僕を待っていた。

 既に返事を受け取った切那さんにしてみれば当然の事なのかもしれない。


 でも、僕には……その当然じゃない当然――僕が来るのを待っていてくれるという事実が、どうしようもなく嬉しく思えた。


「あ、ごめんごめん。ちょっと夕日が綺麗で思わずボーっとしてた」

「――なるほど」


 僕の事に反応して素直に夕日を眺める切那さん。

 その姿がまたすごく絵になっていて、正直ちょっと携帯で撮影したい気持ちになった。

 流石にしないけどね、うん。 


「じゃあ、行こうか」

「うん」


 そうして僕らは切那さんの自宅へと歩き出したのだった――。

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